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「勉強」と「学び」のミルフィーユの上で(わたしと勉強リレー#1)

ママタチ代表カヨコです。
3週目の「交換日記」始めます!

1週目の「パラダイムシフト」2週目の「原体験」
のストーリーをそれぞれ書いてみて、お互いに
いろいろな今の気持ちやその背景を知ることができました。

メンバーどうしでも「ここ親近感!」「ここは真逆だね!」
と発見があり、きっと読む方それぞれの中にも
いろいろなご感想が浮かんだのかもしれないなぁ、と想像しました。

みんな、手探りで生きている「ママタチ」。
同じ時代の、痛みと恵みを共有しつつ、それぞれ全然違う物語を生きている私たち。

それぞれの「そのままのカタチ」を見せあって、補い合っていける・・・
そういう時代を、自分たちの小さな輪から少しずつ
体現していけたらいいなぁ、と、ささやかな願いを改めて感じました。

+++

さて今週は、「原体験」の一部とも重なる「勉強」をテーマにしました。
全国的な休校、9月始まりの年度に切り替えるかも議論、など
”日常”だった「学校の勉強」が揺らいでる今。

コロナが収束したら「前の学校に戻る」のが理想?
「勉強」ってそもそも何なの?何のためにするの?
そんな問いが浮かんできたわたし。
メンバーそれぞれにとっての「勉強」ってどういう体験だったのか・・・
前回と重なるところもあるかもしれませんが、改めて
それぞれのストーリーを聞いてみたいと思います。

■わたしが考える「勉強」と「学び」の意味の違い


「勉強」「学習」「学び」・・・

「人が何かを学んで習得していくこと」を表す言葉はいくつもあります。

その中で、わたしは、圧倒的に「勉強」が苦手です。

「勉強」の言葉の意味をgoogle先生にお聞きすると真っ先に出てくるのが

無理にでも努力して励むこと

という語源です。

「強いて」「勉める」

という、字面、そのまんまの意味です。

「耐え忍んでいる」マインドや
「ともかく机に向い何かに取り組む」という行動そのもの

を表すための言葉で
そのマインドや行動が、「勉強」に取り組む本人にとって

「幸せ」につながっているか
「育ち」につながっているか
「発見」につながっているか

そういう観点が抜け落ちている言葉だな、とわたしには感じられます。

一方、「学ぶ」は、「まねぶ」が語源、という話をよく聞きます。
「学習」も「まねぶ」「ならう」
目上の人や、人生の先輩のマネをして、知識や知恵を習得していくこと。

こちらの方がまだ、「勉強」よりはしっくり来ます。

これは、授業、宿題、問題集、テスト、の世界で生きてきた時にはしっくり来なかったものの、社会に出て仕事をしながら必要に応じて読書をしたり様々な人に出会って自分自信の知見が広がっていく時に「あ、今、わたしは学んでいる」という体感をもって、魅力を感じました。

「学ぶ」は、おそらく、「あそび」の延長線上にありえるものです。

「あそび」という時私は、

失敗も成功もなく、いろいろと世界に働きかけているうちに
なにかこの世界のことを一段深く知ることができたり
できなかったことができるようになっていったり
人と人とがつながれたりする営み全般

をイメージしています。

「いろいろやってるうちに、結果として習得しちゃった」

それは、「無理してでも勉める」勉強とは全く違うものです。

そうやって、あそびながら「先人の知恵を獲得していく」プロセスを「学び」というのであれば、それはわたしにとって、ワクワクしてとっても大好きなものです。

あなたにとって、「勉強」って「学び」ってどんなものですか?

■「学校の勉強」=つまらない・苦しい・怖い


先週の「原体験」noteの中で
管理栄養士のアキコさんとosotoゆかちゃん
二人の「勉強」観の違いが印象に残りました。

・教育熱心な家庭で資金には恵まれていたものの
「成績」という数値で「自分をまるごと評価されていたような」
子ども時代を過ごしたアキコさん

・良くも悪くも両親が自分の「教育・キャリア」に関心がなく
 「ありのままでいいよ」と自由にさせてもらえたけど、
 勉強したくても資金援助がなく悔しい思いもしたゆかちゃん

それぞれに、悔しさや心許なさも感じつつ
自分のタイミングで「勉強」と「学び」をうまくブレンドさせて
自分の人生の舵取りをしてきたんだなぁー!

二人の歴史に思いを馳せていろいろな感慨が浮かびました。

そして、私自身の「勉強」体験についてもモヤモヤ・・・
と思い出されたものがありました。

アキコさんのようなケースは
昨今、「良かれと思って」教育熱心な親が陥りやすいよと指摘されている
「教育虐待」の1ケースかもしれません。

「虐待」とは、あまりに強い言葉。
気楽に使ってはいけない言葉だと思います。

ただ、「特別なひどい人だけが陥る」ものではなくて
「良かれと思って」という親心✖️親自身のいろいろな願望の投影
で、うっかり正当化してしまいそうになる・・・

いつも、子育てしているママタチのすぐ隣にあるものだと思うんです。

私自身だって、息子にイライラすると
あと数ミリ先に「虐待」が見えてるな・・・
という言動をしている自分にハっとすることがあります。

「誰しも」と言い切れるかわかりませんが、かなり多くの親が
一度や二度は、あるいは、しょっちゅう
その「壁」を超えるか超えないかのところで
かろうじてふんばっている感覚を覚えるのではないでしょうか。

そういうどんな人からも近いところにある「虐待」の一種として
最近特に問題を指摘されているのが「教育虐待」です。

あんまり暗い話をしたいわけではないのですが

「今」勉強を語る上で、避けては通れないテーマだなと思います。
それは、ママタチ代表、としても、私個人としても。

というのも、わたしも、アキコさんの記事を読んで
「わかる気がする・・・」とすごく思ったんです。
見に覚えあるな、と。

ただ、うちの場合すこしテイストが違いました。

「教育虐待」という言葉は、ここ数年でメディアでもたびたび見られるようになった。では教育虐待自体がいま増えているのか。

はっきりしたことはわからない。教育虐待のような事象は昔からあった。しかし昨今では、その構造が複雑化していることこそが問題だと思われる。高度成長期の「教育ママ」は子どもを有名大学に入れることだけを考えていればよかった。「もやしっ子」と呼ばれようが、テストでいい点数をとれる子を育て、「高学歴」というパッケージ商品を得られれば、それだけで満足できた。

しかしいま、「学歴はもう役に立たない」と言われる。とはいえ、学歴が要らなくなったわけではない。高学歴があることは大前提で、オプションとして、英語もできなければいけないし、プログラミングもできなければいけない、プレゼンテーションにも長けていなければいけない……と考える親は多い。

「勉強ができるのは当たり前。でも勉強ができるだけじゃダメ」というわけだ。単純に、昔よりも子どもの負荷は増えているのである。

先ほどの記事からの中にあったこの箇所にうなずきました。

うちの場合は、「勉強ができるだけじゃダメ」の部分に該当するのが、英語とかプログラミングとかではなく・・・

「努力」と「愛」

でした。

それは、
母が大切にしてきた「価値観」と
母なりにわたしを観察して導き出した「カヨコの個性」
をかけあわせて導き出された

この子には、
「勉強ができるのは当たり前。でも勉強ができるだけじゃダメ」
を伝えよう、
という「指導方針」だったんだろうと推測しています。

++++

わたしが思い出す小中学校の授業風景は、「退屈」の二文字。

教科書を読めば分かるようなことを
ただなぞるように説明していく授業は、
わたしにとってはただの待ち時間でした。

わたしは超人見知りインドアで
知らない子どもたちと元気に野山を駆け回る
とかほんとなんの罰ゲームなんですか?
というタイプの子どもだったのですが、
その一方文字への関心がすごく強く
誰からも教わってないのに3〜4才の頃には自分で絵本を読んでいました。
数の概念も、あそびの中でなんとなく体感的に身に付けていました。
「早期教育」には全く興味がない両親でしたが
わたしが勝手に好きで読めるようになっちゃったんです。

そうして本をあれこれ読んでいたからか?
教科書に書いてある程度の論理的思考も難しくなかったので
小学校〜中学校の授業内容は、読めば分かるし、聞けば分かる。

それから、暗記もたまたま大得意でした。
ものの「印象」を短期的に描いて脳味噌に貼り付ける感じで
一夜漬け的にパパっと暗記して高得点とることができました。
なので、大して勉強してなくてもテストでは毎回好成績。
それが当たり前でした。

それだけ書くと、成績を上げたくて苦労した方は
「うらやましい」と感じられるかもしれません。
そうですよね。たしかにわたしは、
いろんな意味ですごくラッキーだったんだと思います。

ただ、恵みは痛みと表裏一体・・・諸刃の剣でした。

まず、「読めば分かることの説明を長々と聞くだけのつまらない授業」を毎日何時間も受ける学校生活は、すごく味気ないものでした。
「何のために勉強するの?」という問いに答えてくれる大人は、まわりにはいなかったし、それを自分の力で発見する気力も当時ありませんでした。

わたしは、小学校に入る前、すごく、学校に行くのが楽しみで、「宿題」に憧れていました。
だから、小1最初の宿題が出た日、わたしはウキウキでした。
「しゅっくだい♫しゅっくだい♫」と
ずっと歌いながら、学校から家まで小走りで帰ったのを覚えています。
そして、帰宅するとすぐに勉強机に向いました。
憧れの宿題・・・よーしやるぞー!

そこで取り組んだのは、ひらがなの「く」を練習するプリント。


「く」がゲシュタルト崩壊するほどに、B5サイズの藁半紙のプリントに書き込みました。そして終わった瞬間

(宿題・・・くっそつまんねぇ・・・)

わたしの憧れがガラガラと崩れ落ちた瞬間でした。

これがもしも、「字なんてはじめて!」という状態だったら、もう少し盛り上がったのかもしれませんが

「こんな分かり切ったことのために・・・無駄すぎる・・・」

学校の勉強=つまらない

それが宿題の第一印象になってしまったんですよね。

+++

そういう
「努力しなくても成績が良い私」を一番厳しい目で評価したのは、
ほかでもない母親でした。

「あなたは生まれつき、学業の成果を出すのが得意。
 せっかく恵まれてるのになんでもっと勉強しないのか。
 なんで死に物狂いで見直しして毎回100点をとらないのか。
 あなたが本気で取り組めば出せるはずの結果を出さないのは
 あなたの怠慢だ。
 世界中の学びたくても学べない子どもたちのことを想像しなさい。」

97点でも、95点でも。
わたしの”努力”が足りないと思えば
”見直し”で気を抜いた形跡があると思えば、
母の追求はどこまでも続きました。

「結果が欲しいわけじゃない。
 わたしは”努力する”プロセスを大切にしたいだけ。」

母は毎回そのように言っていました。

「予習復習をしっかりする。
 自分で計画をたて、毎日問題集を着々と進める。
 それはできて当たり前。
 ”やりたくて”当たり前。
 だって勉強は面白いはずだから。
 ”つまらない”と思うこと自体が ”贅沢”。」

たしかに、そうなんだろう、と子ども心にも思いました。
勉強は、「やらされて」やるものじゃないはずだし
もっとこれを知りたい!という子どもで
お金がないからという理由で学校に行けなかったら
悔しい思いをするだろうな、と想像しました。
なので、ものすごく自分のことを責めるようになりました。

ただ、その当時わたしは、他のことで毎日いっぱいいっぱいでした。

先ほど書いたように、母が「勉強だけじゃダメ」と
わたしに伝えたかったことは、「努力」の他にもう一つ

「愛」

でした。

学業以外の部分でも
人としての「愛」のあり方について、厳しく指導を受ける毎日。
加えて体調不良や過敏な性格などと相まって
いっぱいいっぱいすぎて周囲への気配りどころでなかったわたしは
「愛」の尺度の世界では圧倒的「劣等生」でした。

そのギャップが、母の価値観の中では許せなかったんですね。

「努力」はしない
「愛」は無い

その二つは、人間として当然持っていてほしい資質なのに。

その上、成績という結果は出せちゃう

母にとっては、「最低な人物」「このまま育ったら大変なことになる」と本気で心配したくなる人物像だったわけです。

「好成績とるのは得意。だけど勉強は苦手で大嫌い」

学校の勉強=苦しい

わたしにとって、「学校の勉強」にまつわる体験は
そういう「誤学習」の繰り返しだった、といえます。

+++

加えて、幼い頃の私は

アイスクリームが冷たいから怖くて食べられない
うがいをすると溺れそうで泣いちゃう

そういうハイパー敏感ちゃん♫だったんです。

そういうわたしの「違和感センサー」に、
授業で習う教科書の内容もアレコレ引っかかっていました。

光は、「ああきれい」「なんかあったかい」
そういうことを感じれば十分なのに
「入射角だとか反射角だとか」
こんな味気ないことをなんで知らなきゃいけないんだろう・・・
この世の中怖い(泣)

蘇我馬子・蝦夷・入鹿て!
何その名前!性別も謎だしそもそも名前なのそれ!
違和感ありすぎるー同じ歴史を共有する祖先と思えないー
歴史怖いー(泣)

「免罪符」てどういうこと?
そんな紙切れ一枚で天国に行けるって当時の人は本気で信じたわけ?
うそうそうそ、バカすぎる、怖い、そんなバカだらけの世界怖い
昔の世界とか本当怖すぎて見たくない、歴史ほんと怖い(泣)

弱肉強食とか生物の循環とか
わたし、人間界に生まれたからなんとか生きてるけど
もし動物だったら生まれた瞬間に立ち上がれなくて死んでたり
父親に崖から突き落とされてそのまま登れなくて死ぬタイプだ
淘汰されて死ぬキャラだ
あぁ人間でよかった人間でよかった
人間もバカすぎて怖いけど戦争とか怖すぎだけど
でもせめて人間で良かった、自然怖いこの世界怖い(泣)

こんな感じで授業内容にいちいちビクビクするので
「へー!世界ってこんななんだぁ、おもしろーい!」
どころの騒ぎではなかったんですよね。

学校の勉強=怖い

+++++

でも、つまらなくて、苦しくて、怖いものを
「面白い」と思うのは、けっこうハードルが高い!
ことなんですよね。

そのことに気づかず自分を責めていた学生時代でした。

■「学び」=面白い・楽しい・安心


そんな私も、少しずつ社会との接点ができていく中で
遅ればせながら「学び」の面白さを見つけていきます。

そこには

「勉強が」が嫌いだっただけで「学び」は面白い!
なんだ!楽しんで良かったんだ!はやくいってよー!

という感動と

当時は訳もわからず「勉強」として無理して覚えた知識も、
忘れた頃に思いがけないタイミングで役に立ったりするもんだ!

という発見

その二つの感慨があったように思います。

+++

例えば、英語。

今のわたしにとって、「英語」は、
公私に渡り、自分の人生に「彩り」を与えてくれている
とっても大切で欠くことのできないツールになっています。

でも、学校で英語を習っている時に、授業を面白いと思ったことは一度もありませんでした。

「こんなもの、やったところで何になるんだろう」
「とてもじゃないけど話せるようになる気がしない」
「どこで使うんだよこの会話」

教科書の例文に悪態をつきながら、英語の先生の発音の悪さや、文法は教えられるのにTAが来た時にちっとも話せない姿にがっかり。
「学校の英語なんて、なんの役にも立ちやしない」
と冷め切った目で見ていた私。

そんなわたしも大学生になり、いつしか近所の小さな学習塾でアルバイトをするようになりました。
そこで、「こんなの受験にしか役に立たないけどな」と思いつつ
中1〜中3までの英文法を中学生に教えていたんです。

それが、実はすごく役に立ってた!と後から気づくことになります。

大学卒業後、わたしは、どこか外国に留学しよう、と決めていました。
あえて書きますが、その学費も滞在費も全部、親持ちです。
「教育資金」という尺度でいうと、本当に恵まれていたわたしなのです。
そして、「留学したい」という気持ちを植えつけてくれたのも、母でした。
母は海外経験ゼロにもかかわらずなぜかカリフォルニア鈍りの英語を話す、珍しいタイプの日本人でした。
わたしは、母の、自由で、外国人に物怖じしなくて、異文化コミュニケーションを楽しそうにしていて、日本人離れした英語を話す姿を、とっても良いな、そんな風になりたい、と思って育つことになりました。そのことを母も喜んでくれて、学費はポーン、と出してくれたんです。

どんな親でもそうですが「良かれと思って」なので、母の厳しい評価の背景にも、愛がありました。だからこそ、前回書いたようなフィリピン旅の経験もさせてもらえたわけです。

そんな母のおかげで、「いつか英語を話せるようになりたい」という情熱の種まきがされた私。大学を卒業したら留学する、ということまで決めていました。かといって、留学に向けてせっせせっせと自分で英語を勉強したりはしていなかったんです。

いざ、留学先で進学する学校を決めよう、という時、英語の検定試験を受けることになりました。大急ぎでTOEFLの点数を上げなければ…そこでわたしは、気がつきました。

塾講バイトでさんざん教えてきた「中学英語文法」。
これ、今、めちゃくちゃ役に立ってる。

自分のために英文法を頑張って勉強した記憶は全く無いけれど・・・
教える必要性にかられて何度も問題集を開き
子どもたちに向けて説明しているうちに
自然とわたしの中に知識が整理され落とし込まれていました。

知らず知らずそうして獲得していた文法という言葉の「構造」
がしっかりしていたため、「発音」や「ボキャブラリー」
を学ぶ時には、骨組みに肉付けしていくような感覚で、
ある程度の量をこなすことで一気に実力をあげることができたんです。

そして、そこでわたしは「学び」ました。

学校の授業はつまらないしそのままじゃ使い物にならないけど
教えられている内容をしっかり理解することは
確実に将来のどこかで役に立つんだ。

授業の方法の問題、大人の導き方の問題、それはある。
でも、内容そのもののすべてが、無駄なわけじゃない。
そこには、「義務教育」として教えていただけて良かった
とのちに思えるような、知恵や知識や教養もたくさん詰まっている。

それを遅まきながら発見できて、本当に良かったです。

+++++

20代後半になると、「歴史」「地理」の魅力にも出会いました。

留学や、海外ツアコン時代に訪れたいろいろな街の体感を通して
「歴史」に編み込まれているいろいろなストーリーや
無数の因果関係を発見していくのがすごく面白い!
ということに気づいたんです。

例えば、学校の「勉強」のどこかでいやいや暗記した情報の中に
「今でこそ先進的と思われているヨーロッパだが、中世の頃はアラブイスラム世界に比べて文化的に遅れた地域だった」
というのがありました。イスラム世界の進んだ文化が流入したことが、ルネサンスの文化を開花させた、というような歴史の縦糸の話です。

それが、頭の片隅のどこかにただの「知ってる知識」としてこびりついていた私。ツアコンの仕事でエジプトの首都カイロを訪れた時に、その情報がブワっと蘇って鳥肌が立ちました。

ある市場の裏通りを散策して、モスクを見学した時のこと。白と黒の大理石で横の縞模様が印象的なその建物は、イタリア・トスカーナ地方のシエナにある美しい大聖堂のそれと重なったのです。先にシエナを訪れていて、「イタリアルネサンス的なもの」「ヨーロッパ的なもの」「キリスト教的なもの」という文脈で「白黒縞模様の大理石が印象的な大聖堂」を体感していた私が、後から、時間をさかのぼって、カイロのしましまのモスクに出会ったんです。

あ・・・こういうことなんだ。

あれは、元々は
「中東アラブ的なもの」「イスラム的なもの」「アジア的なもの」で、それを真似した結果が、シエナなんだ。
わたしが感じた「ヨーロッパ的」の背景に、こんなにも「ヨーロッパ的でない」カイロの一角にある景色が隠れていたんだ。

時代も場所も一気に飛び越えて、歴史と今と自分がぶわっと束ねられつながるような感覚。

あぁ、すごい、文字で読んだだけではイメージしきれない、
無数のこういう「あれとあれがつながってるんだ」という発見がある、
横や斜めの見えない糸が世界中にはりめぐらされている。
ちょっとした知識のきっかけと、想像力と、体感が結びつくと、
そういう歴史絵巻と宇宙の広がりの中に、今ここのわたしがいる!
ていう実感が生まれる。
その大きなドラマの一部を生きているっていうことが、
勝手に「映画の主人公」になったような、面白さにつながる。

「社会科」が本当に伝えたかったのは、こういう、世界が持っているロマンなんだ。世界の怖いところ、美しさ、この世界の本性の一面。
それを教えてくれるのが社会科だったんだ。。。

+++

他にも、生活のふとした時に、XとYを求める計算式が役に立ったり
子どもと暮らす中で、概念以前の、「量」の感覚として
無数の「数学的体感」を踏まえて自分は生活しているんだな、ということが分かってきたり。

論理的にものごとを理解したい時に、その組み立てに自然と数学的な物の見方を使っている自分に気がついたり。

はたまた、昔は「味気ない」と思っていた「物理」の世界も、今はまったく違う見え方をすることが増えていて。

社会に出て、実際に自分が「世界に出会う」その時に
「好奇心」と掛け合わさると
「何のために使うか分からなかった謎の知識」
もけっこう役に立つもんなんだなぁ、とここでも発見し、
同時に、「勉強」が大嫌いだったわたしでも
「学ぶ」ことがちゃんとできている!と
自分に自信を取り戻すことができました。

学ぶ=おもしろい・楽しい・安心!

+++++

そんな「勉強」体験と「学び」体験の両方を通じて

できれば子どもたちが学校に入る時に
最初から「学び」に出会えるような世界になってほしい
と強く願うようになりました。

「面白い」「楽しい」を自分で発見しやすい「安心」な場を
教師と親が一緒に作っていく工夫。

コロナ休校で苦しい方もたくさんいると思いますが
ここを通り過ぎた後に、ただ元に戻るだけじゃなくて

そんな新しい「学び」の仕組みに一歩前進していく
そういうきっかけになったらいいなぁ、と思います。

■わたしと「人生勉強」


(学校の)「勉強」と(あそびの延長の)「学び」

この二つの軸から、自分の「勉強」を振り返ってみました。

もう一つ、わたしが大切に考えているのは
「教科」として分類しようのない
様々な人生経験から学ぶことです。

例えば、好きな人ができて失恋して・・・
例えば、自分が正しいと思うことを人に伝えたら大喧嘩になっちゃって・・・

人と人が関わりあい、つながりあい、支え合い
「社会」を形成してしか生きられない「人間」
としての、
時に甘く酸っぱく小っ恥ずかしく痛々しく無様で苦しくてでもなぜだか感動にも満ちていたりする無数の
「人生勉強」。

学校で習う「勉強」だって
社会で体感する「学び」だって
結局、その人なりに「人生勉強」のために
使うツールなんだろうと思います。

そういうツールをあれこれ使いこなしつつ

「素直さ」と「好奇心」

という基本的な素材をうまく活用していくと・・・

子ども時代には見えなかったいろいろな大人の姿も分かってきました。
世界の解釈の仕方だってひとつじゃないんだ、ということも。

それに、「勉強」は学校の中だけにあるわけでもなく「頭脳」を鍛えるためだけにあるわけじゃなくて。
公私に渡り、「難しいけど、大変だけど、がんばって取り組もう」と向き合ってきた、心のこと・体のことも含めると、私自身も広い意味での「勉強」をしているじゃないか、と自分のことを新しい角度から発見し直したりもしました。

「相手のことがわかってくる」✖️「自分のことがわかってくる」

だから、過去に経験したことを解釈しなおし
今ある課題に多視点で取り組み
未来を自分なりに描いていくことができる。

そういうことのために「勉強」も「学び」もあるんだな。
すべて、「幸せになるため」にあるんだな。
そんなことを、つくづく思う今日この頃です。

+++++

おかげで、
苦かった「学校の勉強」体験にまつわる母娘の葛藤も
今では、わたしの中で理解の整理が進んできました。

母が
「勉強はできて当たり前。でも勉強ができるだけじゃダメ。」
「努力と愛を持っていないあなたはこのままじゃダメ。」

そういう風にわたしを評価した背景には、
母自身のストーリーからくる痛みがありました。
母が覚悟して守りたい、大切な価値観がありました。

そのことが子どもなりに分かっているだけに、当時は

「母の価値観を満たせていないわたしが悪い。」
「わたしが母を苦しめている」

と思っていたんですね。

それがある時

「別に、わたしのせいじゃないじゃん」
「母とわたしは別の人間なんだから、すべてを満たせなくたってしかたなかったじゃない」

と気づき、精神的に分離して自立の道を歩き始めると
親の期待や価値観がうっとうしくなります。

それが、通常は思春期頃にあらわれる「反抗期」なんだと思いますが
いろいろな条件が重なると、そこですっきり整理しきれないまま
大人になってしまうこともあります。

そうして親子関係をこじらせたまま大人になっている人が、本当に多いな、と、周囲を見ていて思います。

そういう「あるある」なストーリーの一つなのですが、
とはいえひとつひとつのストーリーが、その人にしか経験できない唯一のものです。

わたしはわたしで、このストーリーを自分自身の解釈で、自分の人生に落とし込もう、と考えて、大人になってからもずっと、折に触れて、より広い視点で、より深い愛で、どうやって理解しようかと試みてきました。

その中で、本当に役に立ったのが

「事実」と「相手が感じたこと」と「わたしの感じたこと」を分ける。

ということです。

主語が「相手」の感情と、「わたし」の感情と、事実が、ごっちゃごちゃにお団子状態になって自分の中に残っている・・・
それを、ひとつひとつ、そっと剥がすように、小さな出来事で心が揺れ動くたびに、分類していきます。

その先に、いつしか

「あの時母が言ってたことを真に受ける必要はない」
「母が苦しかったのはわたしのせいじゃない」
「だけど母には母の思いやストーリーや痛みがあったことも事実」
「あの時、母はキャパオーバーで、壊れかけてた」

ということが見えてきて、
自分のことも、相手のことも大切にできて
自分を責めもせず、誰かのせいにするわけでもない
等身大で「そのまんま」のソレが何かが分かってきました。

すると、最後に残ったのが、

「ひとりの人間としての母」
「別人格の娘」として
「心から応援したい」

という私自身の気持ちでした。

「わたしが母を幸せにしてあげる」
「わたしのせいで母が辛そうでごめんなさい」
でもなく

「あんたの問題はあんたが勝手に解決しろや、知らんわ」
でもなく

「わたしは誰かのかわりにはなれないけれど、
 心から幸せを祈ってるし、あなたの人生を全肯定しているよ!」

という、心からの応援の気持ち。

あぁ、もしかして

母が大切だよって言ってた「愛」って
こういうことだったのかな?

+++++

学校の勉強=つまらない・苦しい・怖い

という「誤学習」をしていた時代

いろんな意味ですごく苦しかったです。

だから、「自分の息子にはそんな思いをさせたく無い」と強く思っている自分がいます。
間違ったやり方は、もっと良くしていく。
それは進歩であり、成長なので、大歓迎。

だからといって、「あの時の間違いがすべて悪だった」という風にみなしてしまうと、人生の中で起こり得るトラブルや行き違いや理不尽がただの無駄な体験になってしまう。

嫌な体験から、いったん離れて、嘆いて、悲しんで、吐き出して、しっかりと辛さを感じ切ることがとっても大切で。
そこを通り過ぎることがなかなかできないくらい傷が大きい場合は、傷を癒していくこと、日々の表面を楽しく生きることだけに精一杯、で十分だと思います。

でも、もしも、そこを通り過ぎることができた場合は、
誤って学習したことの上に新しい学びを上書きして、
自分なりの解釈でもう一度世界に踏み出していけたら。

そういう、いくつもの「層」のように折り重なった経験が
その人の「人生勉強」のアーカイブとなり、生きることをもっと楽に、面白くしていってくれるのだと思います。

先人たちの無数の「人生勉強」のアーカイブの上にある現在。
そのミルフィーユの上に、絶妙で微妙なバランスで立ち上がっている
「社会」の中で生きている私たちは
「目の前のその人」を理解する時に、
簡単にその人をジャッジできないし、
「あっち側」「こっち側」と分けて考えられるわけじゃない。

だから、自分のことも相手のことも
「責める」のはやめたい。
そこにあるストーリーを
どうやって結び直すか
そっち方向にエネルギーを使いたい

言い換えれば

あらゆる「負の連鎖」を止めたい。
「愛の循環」に変えていきたい。

ママタチとしての活動をとおして
いろんな人たちのストーリーに寄り添い
「あなたの人生を全肯定するよ」という愛をもって
「応援したい気持ち」を届けらられたらいいな、と思っています。

追伸:
どうしても長文になってしまうわたし・・・
もう少し文章を削いで読みやすくする「勉強」も
現在進行形です・・・汗

■プロフィール■
まるやまかよこ 東京都日野市在住。一児の母。
チャイルド・ファミリー・コンサルタント(NPO法人子育て学協会)
わらべうたインストラクター(教育研究所ゆずりは)
おもちゃコーディネーター・保育士有資格
元海外添乗員・通訳案内士(英語)TOEICスコア960
「子育てが100倍楽しくなるママのための英語レッスン(仮)」開発中♫

保育観察:50クラス以上、のべ300名以上の子どもたち
旅:25ヵ国の海外滞在・旅案内経験
HSC・グリーフなどの痛みを「旅✖️学び✖️感謝」
を活用して乗り越えてきた(現在進行形)サバイバー

モットー
「世界を変えたければ自分が変わる」
「あらゆる声を聴き合う」

ミッション
「”負の連鎖”を止める」
「愛で分断を乗り越える世界を体現していく」

↑旅写真エッセイも書いてます♫

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