完璧主義者だと言われる:想像読書(ダスト・エッセイ)
完璧主義者だと言われる。
ある時、お世話になっている教員の一人に、研究をサボって、最近は関係のない小説などを読み漁っている、と言った。それに対して教員は、どうせあなたのことだから、その本をどのくらいのペースで読もうか目安を立てて、しかも律儀に要約や感想をまとめているんでしょう、と答えた。
図星だった。文学の楽しみ方にすら、読んだものからは何かを得なければいけない、という完璧な読書論を持っている。
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その時期、いとうせいこうに興味を持った。日本におけるヒップホップの初期衝動を生み出し、小説を書けば高く評価され、お笑いにも精通しているし、もうなんの人なのかよくわからない。いとうせいこうは、いとうせいこうだ、と言わせるその生き様に、憧れた。
憧れの彼の小説をいくつか読んだ。でも、ほとんど頭に入ってこない。読み進もうという気にならない。憧れに近づけないもどかしさが募る。
唯一読み切った感があったのは、代表作の『想像ラジオ』だった。3.11を通して、聴こえていない死者の”声”を生者が想像することへの葛藤が描かれている。死者を弔うことが、彼ら彼女らの死を遠ざけて、忘却を加速させる原因なのではないかという、引用するにはなかなか勇気の必要な指摘もなされている。
登場人物のナオくんが、聴こえていない死者の”声”を生者が想像することは、失礼だと言う。
ナオくんは、死者の”声”を完璧に聴き取れないと判断しているのかもしれない。
そんなナオくんの”声”を、僕が完璧に聴き取れるはずもない。
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律儀に書いた読書メモには、「2021年1月9日作成」と書いてある。僕はあの日以来、久しぶりに、そしてまた少しだけ、ナオくんの”声”を聴こうとする努力をした。
そして、また少し、読んだものから何かを得た気になっている自分を、好きでいる。
そんな自分をみて、また息苦しいことをしてやがると思う、もう一人自分がいる。
(2024年5月16日投稿)