いじめを受けた経験から見つけた【過去の捉え方と思考法】の本から一部抜粋
自費出版の本(現在執筆中)から一部抜粋して公開しようと思います。
#昔の価値観と現代の価値観
僕は今41歳ですが、大体20年前の20台前半の時に東京の芸能事務所が自費で制作する映画のオーディションを雑誌でみつけました。ちょうどこの頃は「やっぱり俳優やるなら東京かな」という根拠のないイメージを持っていたので、思い切って会社を退社することにしました。
母にも話しましたが当然説得されるようなことを言われましたが、あまり相手にもせず押し通すような感じで東京に行くことを決めました。
今の時代は物事に対して興味や関心を持つことが自己の成長や能力を高めたり、自分の価値を高めることに繋がると認識されてきています。そしてこの流れは今後益々拡大し、個人の価値を高めないと収入に直結すると考えていますし、間違い無いのかなと思います。
しかし、2000年代始めはそんな価値感を持った大人は今以上に少数派でした、母も「1つの企業で長く働き続ければ将来安泰」の側でしたので、話し合って合位点を見出すような視点は当時の僕は持っていませんでした。つまり、人生を謳歌した時代によって価値観や捉え方が違うということです。母の生きた時代と僕が今生きている時代でなぜこうも価値観が違うのかを僕なりに考察してみました。
母は昭和20年代に生まれました、多感な時代は30年代~40年代でしょうか。映画の「ALLWAYS 三丁目の夕日」が昭和30年代が舞台背景です。この時代は経済が急速に発展し、生活が急激に変化していった時代で物やサービスがどんどん生まれ始めた年代でしょう。
この時代は戦後復興の時代で何も無い状態から物やサービスが生まれ始めた時代。「顧客が本当に求めているものとは何か」という考えではなく「目新しいものは顧客に好まれる」、そんな傾向だったと思います。
さらに、明治維新以降に生まれた集団授業教育、戦中・戦後からほぼ確立された軍隊教育を受けてきた大多数の人は足並みを揃え、指示通りに勉強することが身についています。
しっかり教育されてきた人(当時の優秀な人材)たちが上司や会社から「指示」を受けて従事することが「普通」であり「当たり前」なんだと思います。個人の能力よりも企業の発展が重視されていた時代です。
そしてその教育は当時の時代背景、つまり高度経済成長真っ只中の工業化社会においては、日本全体を下支えする人材を輩出することができました。当時の教育は日本を成長させる上ではとてもマッチした教育方法だったのではないかとお思います。その結果として日本は急速に発展していきました。
当時としてはとてもよい教育方法だったかもしれませんが、2000年以降のグローバル時代に突入した現代においては、当時の教育を受けて育ってきた人々が、弊害を生んでいると僕自身は感じています。
「本質」や「そもそも」を考えられる人が極端に少ないのではないか、ということです。
やはり戦中・戦後時代の軍隊教育から脱出できていない昔ながらの教育を受けている大人はもちろん、今の学生すらもまだまだ知識提供型の教育を受けている人が大多数でしょう。(もちろん現在様々な教育を提供する指導方法は増えてきているのも事実です。)
軍隊的な部分は排除されていったとしても、まだまだ数字だけで判断されている現状です。目に見えて判断しやすいですからね、点数で優劣を付ける評価しやすいんです。
非認知能力である「好奇心」「疑問力」「没頭力」といった心の根底にある深層心理にはまだまだ目を向けられていないのが事実です。
要するに、「本質は何か」という疑問を持っていてもそれを見て見ぬ振りをする、もしくは目の前の与えられたことだけをすることに重点を置くため、本質そのものを考える取り組みがほぼ無いのがこれまでの風潮であり、教育でした。
更に、その「本質」の捉え方もその時代の状況や環境によって変わると個人的には思っています。今はインターネットがあるからそれを前提にした課題解決で考えますが、戦中・戦後は当然ありません。つまり、デジタルによる課題解決とアナログによる課題解決とでは発想そのものが異なるんだと思います。加えて、物が今よりも少ない時代に「目新しいものを出せば売れる」という成功体験をした人にとっては「そもそも本当に必要なのか」という結論も、現代の人が見出す結論とは異なると思います。その結果として、高度経済成長の時代を生きた人にとっては「本質」を考える経験が少なかったり、考えていたとしても「本質」の捉え方が現代とは違っていたりするんだと思います。
そのような人たちが、経済が急速に発展する社会を下支えし、そして実際に発展していきましたから「それが普通・当たり前」と思ってしまっても仕方がないのかもしれません。
現代人(10・20・30代くらい)の価値観と、高度経済成長時代以降にバリバリ働いてきた人々との価値観の違い。その原因はこのの3つかもしれません。
「教育」
「高度経済成長時の急激な社会の発展」
「本質の捉え方」
この3つが要因となって、50代以上の親世代の「現代に合った本質を考える力」が理解できていないのではと思っています。もちろんプライベート的なことが要因かもしれませんし他にも要因はあると思いますが、社会的な理由としてはこんなところだと考えています。
一部抜粋を記載しました。
この本はこれからクラウドファンディングでご支援いただきながら製本して届けていきます。今は開始前(4/4時点)のクラファンですが、もしご興味がありましたら「お気に入り」登録していただけると開始時に通知が届きますのでご覧ください。
いじめを受けた経験から見つけた【過去の捉え方と思考法】(Campfire)