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yuri_gaeru
普通じゃない。になりたい。
大嫌いだった母親と同じことをしている。
娘が不登校になった時「やった!」と内心、喜んだ。
これで私にもやっと普通じゃない人生が手に入ると思った。
世間の常識から外れることをしたくて
普通っていう枠からはみ出したくて
中学生の頃、学校に行かない選択をしたこともあったけど
結局、私は、学校に戻った。
ずっと特別な何かになりたくて、普通とは反対のことを選んできたけど
そこまで逸脱することもない、一般的な枠からはみ出していない「私」
の子どもが「普通でないこと」を選んだんだ。
「何かに熱中して、他の人には見つけられない物を見つける人になる?」
「もしかしたら、素晴らしい芸術的才能があって
偉大なアーティストになる?」
そんな子どもに、私の子がなるかもしれないと期待した。
結局それは、形を変えただけで大嫌いな母親が私にしたように
「子どもの人生に期待した。」んだ。
でも、同時に
「今日、この人を1人で留守番させて大丈夫かな?」
「頑張って学校に行かないことで、我慢強さが身につかなくなるかな。」
「学校に行かないことで、彼女の幸せが遠のいたりしない?」
「やっぱり、あの時、学校に言ってれば良かった。って後悔しない?」
私の中の「普通」が疼く。
親は、どんな形であれ「子」に期待してしまう。
そして、その期待はうっすらと子どもの存在を包み込んで行く。
そこから逃げようと踠いても踠いても逃れられない。
払っても払っても、纏わりついてくる。
私の中にある「それ」は
期待?願い?