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はじまりへの旅を観ながら考えたこと。

「はじまりへの旅」という映画がある。

ふらふらとレンタルビデオ屋で

借りる映画を物色していた私の目に飛び込んで来たのは

ヒッピーっぽい格好をした父親と

それに似た子ども達の写ったジャケット。


こんな風貌の人を見ると頭に浮かぶのは

私が20代だった頃の下北沢の南口。

昔、南口の駅前には、時計台があって

下北沢での定番の待ち合わせ場所だった。

その下に、時計台を取り囲むようにあった小さい花壇に座って

待ち人を待つ。

どこかの駅から、下北沢へ来る人たちと

下北沢に住む人たちとの待ち合わせ場所だったり

下北沢に住む人たち同士の待ち合わせ場所だったり

その時計台の周りは、いつも、人と人との気持ちの高揚が交差していた。


しかし、ある時から、姿が変化し始める。

いつも、そこにドレッドヘアの男性が居て

いつの間にやら、その仲間らしき人たちが集まって来るようになった。

下北沢に入り浸っていた私も、その仲間の中に入るのに

そんなに時間はかからなかった。


その人達は、ボブマーリーの話をし

社会主義の話をし、今の政治の話をし

いつも、不満をこぼしながら、今、自分が生きているこの世界を嘆いていた。

もっと、ましな世界があるはずだと。


この「はじまりへの旅」を観ていたら、その人たちの顔が浮かんで来た。

きっと、あの人達も、あのまま突き進んだとしたなら

この映画に出て来るような父親になっていたかもしれない。

私自身も、第一子出産後、食べ物のことからはじまり

環境問題について学んでみたり、洗剤のことを学んでみたり

私から生まれて来た子どもが、これから生きていく世界が

本当に、幸せに満ちているかどうか?

このままで、本当に幸せになれるのだろうか?と

嘆いていた時期が長く続いたように思う。


あの頃の私がみていた世界は

欺瞞に満ちていて、自分自身の利益だけを追求し

人の命の大切さなんて、これっぽっちも考えないような人達が

たくさんいて、正しい知識を持たなければ

子ども達の人生を台無しにしてしまう恐怖に満ちていた。


でも、子育てが進み、たくさんの人と触れ合い

私が敵だと認識していた人達の胸の中にも

「愛」があることに気づいた。


ツールや表現方法が違うけれど

子どもの周りに存在している人達は、皆

愛で溢れていた。


それに気づいた時、たくさんの情報を正しい知識を

これでもかこれでもかと収集していた私は

「あぁ、これいらなかったんだな。」

と気づいた。


この主人公の父親がそうだったかどうかはわからないけれど

いや、もしかしたら、映画の主題とは、全く関係ないのかもしれないけれど

この映画が私の中にもたらしたものは

「自分が正しいと思っていたことを捨てることは悪いことじゃない」

「変化を恐れなくていい」

っていうことだった。


そう、人は、昨日と今日は違うのだ。

細胞レベルでそうなのだから

心なんて、もっと変化しまくってて大丈夫なんだ。

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