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#4 映画『チアダン』を観て大号泣した話

おはようございます、mamaririです。
先日TBSで放送されていた『チアダン』を観ました。感動しすぎて大号泣したのですが、ふと「なんでこんなに泣いているのか」と疑問に思ったのでnoteで考察したいと思います。


青春群像劇、というのは日本のエンターテイメントの定番である。ドラマ、映画、小説、漫画、、、あらゆるもので青春物はみんなに読まれ、多くの者が涙してきただろう。

じゃあ、なぜ涙するのか。
私は二種類の人間がいると思う。一つは自分の青春と重ねて涙する人間、もう一つは自分が熱い青春を過ごせなかったことを悔いている人間だ。
私はこのうちの後者にあたる。


『チアダン』の青春

 物語を要約すると、主人公のひかり(広瀬すず)がチアリーディング部の仲間とともに様々な困難を乗り越えながら成長し、全米制覇しちゃう話である。しかも実話だ。

”できっこないをやる”、その言葉を軸に彼女たちは強く、一つになっていく。日本の福井という、世界規模から見たらとても小さなところでこの言葉を信じ、一心不乱に努力してきた彼女たちは本当に素晴らしい。

この姿を高校入学前に見ていたら、何か変わっていたのだろうか。


青春時代

 高校時代の話をしようと思う。就活では、学生時代に頑張ったことや将来やりたいことの裏付け、きっかけとして高校時代の経験を語ることが多い。しかし私には語れるものがあまりない。

中高大とエスカレーター式のぬるま湯学校に通い、きつい運動部に入って仲間と切磋琢磨することもなく、勉学もそこそこに過ごした高校時代。あまりにも挑戦が少なすぎた。

たしかに、入学当初は『チアダン』の広瀬すずのように明るく華やかに踊ることに憧れ、チアダンス部に入部する気でいた。しかし、体験入部で自分の体の硬さと運動神経の悪さを思い知り、踊れるようになるまでの途方もない努力量を考えて断念した。そしてその後、極ゆる運動部に入って楽しくのほほんと過ごしたのだ。
他にも、学校行事の時は委員などに立候補することもなく楽を一番に考え、とにかく何かに熱くなるということがなかった。

部活や行事の運営に頭を悩ませる同級生を横目に「ご苦労なことだ」なんていう冷めた感情を抱いていた。今思えば本当に何もわかっちゃいない。

1つ勉強したのは、挑戦をしないと人は成長できないということだ。


今思うこと

 彼女たちは私よりもずっと大人だ。私が挑戦しなかったことに果敢に励み、熱い青春を過ごし、一緒の友を得ている。
そんな彼女たちに誰よりも憧れているのは私であり、だからこそ『チアダン』のまぶしさに涙が止まらなかったのだろう。
この涙は単に感動の美しい涙というものではなく、悔しさや嫉妬なんていう泥水のような醜い涙も含まれている。

しかし、マカロニえんぴつも歌うように青春というのは本当に一瞬で、こうして何年か経ってからじゃないとその価値に気付けない。
なんのリスクもなく目標に向かって没頭でき、損得勘定を抜きにした仲間を作れる環境なんて学生時代くらいなのではないだろうか。
そして、何かに熱くなった日々というのは将来の支えになり、自信となるのだろう。



私も彼女たちみたいに何かに熱くなってみたい。このままぬるっと就職してしまったら、きっと私は一生熱くなることができない。
熱くなれる仕事とは何なのだろうか。生涯をかけてやりたいと思うことは何なのだろうか。

この答えはまだわからないが、就活の軸は1つ決まった。
『チアダン』、ありがとう。



 

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