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8月8日霊楽(ひらく)。

ライオンズゲートが最大限に開く日。        一粒万倍日。

何もせずにはいられない。

禍いは光降り注ぐこの日に祓いましょうと、     祓戸の神をお祀りする神社へ。

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いきなりトカゲちゃんでごめんなさい💦      速川神社では一の鳥居をくぐり、川に降ります。石橋を渡って向う岸からはいよいよ神域。 覚悟はしていましたが、軽く登山ですw    川を渡る辺りから場は変わって来ましたが、登る前から胸が…。 ガッ‼️と魂を掴まれた感じ。「早く来い」😰重圧プラス延々登り坂の肉体的負荷!

そんな中、トカゲちゃん達が神社まで先導してくれました。多分この先…こんなにいっぺんにトカゲを見る事はないでしょう…チョロチョロとわたくしたちの前を横切ったり、向かって来たりw   30匹以上をもトカゲを見たのは生まれて初めてでしたわ。何でも蛇よりご利益をいただくのがトカゲの方が早いとか…うじゃうじゃ居たらどうなんでしょうかな😅

と、まあ、トカゲを数えながら何とか境内まで到着。

《速川神社》

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こちらの主祭神は、大祓祝詞にしか出てこない祓戸の神四柱、「瀬織津姫」セオリツヒメ「 速開都比売」ハヤアキツヒメ「気吹戸主」イブキドヌシ「速佐須良比売」ハヤサスラヒメ。 しかし神社の方が「三柱」と言ったように捉えたんですが…。聞き間違えたのかな。ちゃんと聞けば良かったな。

大祓祝詞奏上のあと、掴まれていた魂をやっと離していただきました。奥の滝に感じるものはありました。  生卵とロウソクを捧げるのですから、龍神信仰ですね。

面白いのが、ここの瀬織津姫は天孫降臨の際、瓊瓊杵命ニニギノミコトに伴って地上にやってきたと。古事記の五伴緒神(いつとものお)には書かれてませんね。

伝説では、この速川の瀬に足を取られて川に落ち、亡くなったのでニニギが深く悲しみ、瀬織津姫の魂を慰めるために祀られたのが速川神社の始まりと書いてありました。祓戸の神や瀬織津姫が祀られている事自体、西日本や九州では珍しいので、ここは本当に貴重な神社だと思います。 昔から学問成就として宮崎では知られていましたね。何でそうなったかは神社の方もよくわからんと言ってました。昔、昭和55年(1980)の1月に吊り橋のワイヤーが切れ何人か亡くなると言う事故がありました。今は石の潜水橋になっていますが、何故かこの事故の事は鮮明に覚えてるんですよね💦

話が逸れました。瀬織津姫です。古事記や日本書紀には出てこない、だけど重要な大祓祝詞に出てくる謎のお姫様。なぜ彼女の存在が消されたのか!古事記好きな方々は好んで話す機会も多いですね^ ^   近年は瀬織津姫ブームと言われ、スピリチュアル系の方にも取り上げられていましたし。

宮崎ガイドのいやさかねえさんとしましては、勝手に妄想を膨らませ、恋愛ドラマ仕立てで昔マンガ描いてました。く、黒歴史?(笑)  あーそんなこともあったわ(笑)

そんな訳で?速川神社…行かれる方は筋肉痛を覚悟の上でお越し下さい^ ^


次に訪れたのは「速開都比売ハヤアキツヒメ神社」。 青い鳥居がある神社ですが…まぁ神社というか、そこはちょっと濁しておいて(大人の事情)、この奥に気吹戸主イブキドヌシ神社と水神宮の大滝があったのですが、この滝は物凄いパワーでした。

 『水神宮』

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連れが大祓祝詞を奏上し始めると、わたくしの体が、体がぁ〜💦勝手に滝を向く😅 右回りにぐるぐると止まらなーい。 祝詞が終わり、柏手の音でなにかが首の方から抜けました…。 しんどかった。

『都萬神社』

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速川神社、速開都比売神社と滝がらみ、龍神様の霊気にやられちゃったので、西都市内の『都萬神社』に。  境内に上がるとちょうど神主さんが大祓祝詞を奏上する所でした。お陰様でチリチリする胸や首がスーッとして落ち着きました。 木花咲耶姫をお祀りする宮崎二ノ宮清らかな神社です。 ホッとします。

それからぐるりと鬼の窟古墳や男狭穂塚、女狭穂塚の古墳を横目に高鍋から都農へ。古墳はニニギノミコトとサクヤヒメのお墓と言われている宮内庁管理地です。

そのあとは都農神社の奥宮、『瀧神社』へ。 サラサラと優しく流れる美しい滝でした。 ご祭神は高龗神タカオカミノカミ、イザナキに斬られたカグツチから産まれた神様。ご祭神としては貴船神社が有名ですね。

『瀧神社の滝』

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それからは、このまま下道行こうかという話になって、せっかくなので、美々津の『立磐神社』にも立ち寄りました。 これまでわたくしは建磐龍命タケイワタツノミコトが、ご祭神だと思っていたのですが、実は神武天皇がご祭神で、建磐龍命タケイワタツノミコトはお祖父様にあたる神武天皇の東征の足跡を尋ね、お船出の場所にお祀りしたというのが創建の由来でした。アップデート!

『立磐神社の御神木』

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近くには海軍発祥地の石碑もあります。美々津はゆっくり歩いてみたい宿場町のような所でした。

少し遅めの昼食後、ふっと横切った神社がありました。わたくし的にご参拝は16時までと決めていますので、そこまではギリギリ行けるか?の時間でしたが、やはり呼ばれたのでしょう。なんとか『竹谷神社』に滑り込みました。

美しい渓流が横を流れる…と言えば聞こえがいいですが連れが「怖い!え?神社あるんですかこの先に?」と驚くほどの山奥です^ ^    わたくしは2度めなので怖くはなかったけど、それでも険しく細い道なので慎重に運転しましたよ。

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周りに巨石(メンヒル)がゴロゴロ。謂わゆる巨石信仰、北辰のレイラインがここから日向まで、そしてもう一本は可愛岳山頂からまっすぐ高千穂神社に向かって…。 古い鳥居には「瓊瓊杵命ニニギノミコト」の文字。神秘的な神社です。

そして前回来た時も鳥肌が立つような霊気、まさに  【畏れ多い】空気感、怖いの種類が違うんです。   厳しいというか、笑っちゃいけん所みたいな感じ。  神社の周りの巨石は絶対動かしちゃいけないと言われています。いや、触ることすら無理だから💦

そして、ちょうど16時にこちらを後にして、ここまできたらニニギ縛りよ!と最後に北川町の西郷隆盛宿陣跡記念館へ行きました。こちらは予想通り、コロナにより休館でしたが、用があるのはこちらの記念館の裏山、  可愛岳えのだけ登山道入り口にある瓊瓊杵命ニニギノミコトの御陵墓です。ここに天皇家の祖、ニニギノミコトのお墓(とされる)があったから、西郷隆盛は山県有朋率いる政府軍に大敗を決したあと、ここに陣を取ったのです。天皇家の墓に向かって銃を打つことはないと分かっていたから。いやぁ日本の歴史はちゃんと古事記、天皇と繋がっているんですよ。興味深いですねー!

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8月8日、あなたの魂は霊楽ひらきましたか?     もう待ったはないですよ。嫌でも背中を押されています。今後200年は価値観や常識がこれまでと変わってきますよ。変化についてこれますか?

破壊と再生。改。 2020 年のテーマです。

天晴れいやさか✨✨✨


大祓詞より(祓戸四柱)

速川の瀬に坐す瀬織津比賣と言ふ神 大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す速開都比賣と言ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば 気吹戸に坐す気吹戸主と言ふ神 根底國に気吹き放ちてむ 此く気吹き放ちてば 根國 底國に坐す速佐須良比賣と言ふ神 持ち佐須良ひ失ひてむ 此く佐須良ひ失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 天つ神 國つ神 八百萬神等共に 聞こし食せと白す


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