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子供の声が教科書

娘が学校に行かない時は、ゆったり波のようなリズムに合わせて過している。

『こうしなければならない』という見えない強制エネルギーにとらわれることなく、

遊びたい、

感じたい、

お話したい、

自分の内側の声をきくレッスン。

娘の繊細さは、集団生活でのたくさんの外側からの刺激でいっぱいいっぱいで、自分のことをみたり聞いてあげるということが難しく、自分の本音が分からなくなっていた。

その娘の繊細さを娘の感性を感じることに向けていく。
母である私の感情で、娘をハイジャックしないように
距離を保ちながら眺めるように・・・

娘の世界と母の世界も違うのだ。

2人で過ごす時間は、
時に静かで
時に交流し、
お互いの存在を認め合う。

私も、娘に尽くしすぎて犠牲的になるわけではなく
お互いの世界を自立していく必要もあるのだ。

不登校を否定的にとらえる必要もなく、娘の感性を大切に育んでいる時間。

そこに大人がどう関わるか。

子供の声は必ず何かの気づきになる。

子供を変えようとする必要はなくて、
大人が丁寧に自分をみて気づいて解放して愛していく。

ゆっくりでいい。
急ぐ必要はなくて、一日一日を丁寧に生きること。

そうすれば、子どもは素直なので
すぐに自分の中にエネルギーを取り戻す。

娘も心のままに絵をかいて、
『手がとまらないよー』と夢中になって表現を楽しんでいる。

このゆったり過ごす時間を
もう少し続けてみようと思う。