闘牛場のある街 ロンダ
スペイン馬の旅は午前に外乗をして、その後、観光をすることが多かった。その観光も馬視点であるところが興味深く、馬好きにはたまらない。
上の写真はロンダという絶壁の上の街だ。旧市街と新市街があって、左に見える橋(ヌエボ橋。訳すと「新橋」)で結ばれている。新市街には闘牛場があり、闘牛場なら馬じゃなくて牛でしょう? と思うのだが、馬は闘牛には欠かせないということを初めて知った。
ロンダは新闘牛の発祥の地とも言われ、名高い。新闘牛というのは、私たちが闘牛と聞いて思い浮かべる赤い布(ムレータと呼ぶそうだ)をひらひらさせて、闘牛士(マタドール)がまるで舞を見せるかのように牛を興奮させ、向かわせるがかわしつつ、剣でとどめを刺すあの方式だ。近年、動物愛護が叫ばれて、闘牛を禁止するところも多く、たとえばバルセロナでは禁止されて、闘牛場がショッピングモールになっていてびっくりした。
新があるなら旧があるわけで、かつて闘牛は騎乗して槍で牛をついていて、とどめを刺すスタイルだったそうだ。騎乗闘牛がオリジンとなれば、闘牛に馬は欠かせないでしょう。
今も馬に乗って行なう騎馬闘牛があり、レホネオと呼ぶそうだ。 レホネオは「ステイタスの象徴として11~18世紀の貴族の結婚式では盛んに催されていたとされる」とネットに記載があった。今でもレホネオは数こそ少ないが、見ることができるらしい。この闘牛なら見てみたいなぁ。
他にもピカドールという、闘牛場で、闘牛がはじまる前に馬上から槍で突いて牛を怒らせる役の闘牛士もいる。その様子が下の写真。(このピカドールがかつては槍で牛を突いていて、とどめを刺していた闘牛の原型かしら? ←知識がなくて、定かではないです。)
さらに言えば、マタドールが仕留めた牛を運ぶのも馬である。(私が大学卒業旅行で見た闘牛は田舎町の小規模な闘牛だったからトラクターで運ばれていたと記憶している。)
というわけで、ロンダの闘牛場には馬用の施設が併設されている。ちょうど屋内馬場を見学していたとき、乗馬学校の人が調馬索を回すところだった。(ネットで調べたところ、戦争で鉄砲が使われるようになって騎士や馬の数が激減し、これでは何かあったときに困ると危機を覚えて、国王の肝いりで軍用馬術教練団体が組織されたのが、この乗馬学校の起源のようだ。)
調馬索を回す時、日本では舌鼓で進め、ホーと声をかけて減速や停止を求めることが多いと思うが(私はそう教わった)、見ていたら、進めとスピードアップは舌鼓、スピードダウンと停止には口笛を使っていた。だから一切、回している人の声を聞かなかった。上のように折り返しを付け、さらにサイドレーンをつけて屈撓させて(馬の頭を丸め込ませる)、右手前、左手前と両方向まわしたあと、サイドレーンだけ外して、それでも屈撓して回れるかを確認しているようだった。そんなに長い時間ではない。大きく回れるよう、回している人が動きつつ、壁というか蹄跡いっぱいまで行かせたりしていた。
闘牛当日、出番まで牛を入れておく場所ももちろんあるし、活躍する馬の馬房も併設されている。馬が顔を出していた。上の馬もここに戻すのかな。
現役の闘牛場でありながら、長い歴史を知るための展示物も充実していた。
下の展示、左がスペインというかキリスト教のヨーロッパの伝統的な戦い方、右がイスラムの戦い方なのだと思う。重そうな鎧を付けている左に比べて、右は軽装に見える。アラブ発祥のイスラムの騎乗が優れていたので、スペインではいくつかの要素を自分たちの騎乗に取り込んでおり、私が注目したのは鐙。
上の拡大図の鐙、滞在中お世話になったフィンカの主も愛用している鐙と同じ。つまりイスラム馬文化がスペイン馬文化にとけこんで、スペインのスタンダードになったのではないかと思う。
闘牛場のことだけで、長々と書いてしまった。ロンダの街は観光バスでたくさんの観光客が訪れる、他にも見どころのあるところなので、それは次回書くことにしよう。
闘牛場の近くでは八重桜だろうか、とてもきれいに咲いていた。