なぜ下書きで完成したものを、アナログで作り直すのか銅版画について考える
銅版画を習っていて、いつも思うこと。
今やパソコンやタブレットを使えばどんな質感でも再現できてしまします。
銅版画は、それをわざわざカーボン紙で銅板にうつし、なぞって描き起こす。
紙とは違う感覚なので綺麗に曲線を描くのは熟練の技です。
実際、思い通りにいったこと一度もありません。
思いもよらないところに傷がついて、磨いて消したり。
消す作業は描く作業の数倍の時間を要します。
しかも、結局消えなくて最初からやり直しとかもよくある話です。
私は何をやってるんだろう。何のためにこんな苦行をと。
でも、なぜかやめない。
そこにはうまくいかない面白さがあるから。
刷り上がって、へぇーこうなるんだって毎回思うんです。
うまいこといかなかったことが楽しくなってくるんです。不思議。
大御所とされる画家たちはこぞって版画もたしなみます。
ピカソやシャガールも版画作品を多く残しています。
絵を描いて生活してる人たちが普通に描く何倍もの時間をかけて、思い通りにならない手法を選ぶんです。
『ピカソとその時代~ベルリン国立ベルクグリューン美術館展~』よりピカソの銅版画作品
版画は最強のアナログなんじゃないかと。
誰がなんのために銅板に傷を付けて絵をかいて、そこにインク詰めて紙に刷ってみたんだろう。暇だったの!?ってつっこみたくなります。
毎度、理不尽さを感じながらもデジタルで何でも出来てしまう昨今、わざわざ回り道をした上にうまくいかないというジレンマにハマってしまったんだと思います。
それにしても、ピカソと並べると私の作品はなんとも幼稚(笑)
私の今やりたいことはこれなので、比べるものではないんですけど、やっぱピカソってすごい。