見出し画像

高校生までのみゆきち。の人生


こんにちは🕊️
私の名前は美幸、あだ名はみゆきちです。


私の人生を語りたい

そんな想いと

これからやりたいことの背景をまとめたい

そんな想いで、綴ります。

自己満足だけれど、一生懸命に綴ったので

私の背景を含めた、“わたし” を受け取っていただけたら嬉しいです。

最後までよろしくお願いします。



高校生までのわたし

3歳下の弟がいる私
父と母は当時仲が悪かった

今振り返ると、昔は承認欲求が強かった子でした。


「親から愛されたい
「見てほしい」

そのために、(私が周りの人が期待しているであろう)良い子でいました。
成績は優秀で、児童会とか学級委員長とかしている子でした。

基本何でもyesマン。

頑張ってた。


では、幼稚園から私の人生を始めましょう。

幼稚園

私は重度のアトピー性皮膚炎を発症

いじめられてた

毎晩包帯ぐるぐる巻きで
痒すぎて

寝れなかった

毎朝掻き毟った皮膚からたくさんの汁が出て
下着や包帯とくっついていた。
それらを取るために、必死でシャワー浴びてたな、

小学生

めちゃくちゃ習い事をしていた。
体操、和太鼓、ゴズペル、ダンス、バスケ、バレエ、バトン、水泳、ピアノ、英語、空手、塾、フラワーアレンジメント…とかとか。

ありがたいことだけれど、「やってみる?」に対して
「うん。」しか言えなくて

怖くて、やめられなかった。

「やりたくない」って言ったら

愛されないんじゃないかって。

真面目だった

時々真面目すぎて、めちゃめちゃ勉強の予習や復習をしていて寝れない時もあった。

小学校6年生の時の担任の先生には感謝していて
認めてくれて

嬉しかった

メガネに憧れていた。
だからあえて、視力検査で間違えた。
眉毛がコンプレックスだった。
自分で図工ハサミを使って切って、失敗して、親戚から笑われた。
毎朝両親が喧嘩してた。
喧嘩が終わるまでリビングに行かなかった
耳を澄ませて、弟とその会話をひっそり聞いていた。


優秀な従兄弟、追いつくために中学受験をした。

学歴で見てくる祖父母から親の株を保つために。
祖父母と親に認められるために。

そして、大失敗

かろうじて合格した、当時底辺だと思っていた、中高一貫校学校に入った。

中学生

そりゃ劣等感の塊
とにかく勉強をした。

1年生の時、大嫌いだった英語が好きになった。
校内の英語の暗唱大会で優勝した。

努力は報われると思った

バスケ部に入ったが、人間関係に悩まされる6年間だった。

2年生の時は勉強をサボった。
でも、英語の暗唱大会は死ぬ気で頑張った。
納得がいかない結果に終わり、先生に何度も聞きに行った。納得はできなかった。フェアじゃないなと思った。

努力は報われないと思った

眉毛を剃り過ぎていると担任の先生に言われた。

「コンプレックスなのに。」 (グサグサ)

3年生、愛知県英語弁論大会に学校選発で出場した。
聴いてくれていた人から個人的に感動のメッセージをいただけたり、その想いが嬉しかった。
表向きは先生の贔屓になるために引き続き
・良き学級委員長
・良き生徒
・良き部員
であるために生徒間の問題や先生との連携を身を削って頑張ってたな〜

祖父母とは価値観が異なっていて、

嫌いだった

ある時、祖父母と言い合いになって過呼吸になった。
頭カチコチで、あいつらの正しさを押し付けてくる感じが

うざかった

大嫌いになった。

高校生

某大学受験の塾に入り勉強をめちゃくちゃ頑張った。
3年間学級委員長、部活もできることを最大限に頑張った。3年間を通して、成績はほとんどオールAみたいなのだった。

1年生の時、京都大学に行きたかった。
東進の模試で京都大学のC判定、先生に相談したら

「無理だよ」

って言われた。

「え。。」 (先生ってなんだろう。。)

学級委員長としても、寄り添うリーダー気質な私は

引っ張ることが怖かった

いろんな人の顔色を伺っていた。

嫌われたくなかった

2年生、当時学級委員長をしていた自分のクラスが文化祭の演劇部門で最優秀賞を取った。
先生の期待に応るために全力で頑張った。部活動が大変な時期だった。
大切なお友達がある部員の子にいじめの標的にされていて
どうしようってたくさんもがいて、先生に相談して、行動してた。

辛かった

部活のことで、学校で過呼吸になったこともあった。でも

親には一度も相談できなかった

父親と高速道路で言い合いになった。
過呼吸になった。

願いを聞き入れてくれなくて

こんなやつが父親かと、、

失望した

クラスのお友達には恵まれた。本当に。
そして、すっごくいい学校だった。
先生も、手厚くいてくださった。

全力で遊んだし

ばかしたこともあったし

修学旅行では、消灯後にお部屋から出てみたり
そんなこともしちゃったりしてた。
本当はダメだけれど笑…

本当に本当にいろんな人に助けられた。本当にありがとう。
(卒業して4年がたつが、今も仲がいい。おかげさまでう。)

3年生、コロナが流行り出した。
おかげさまで部活に行かなくて良くなった。勉強に専念できた。
引き続き1日12時間とか勉強してた。
受験シーズンが始まり、私は一般受験とカトリックの学校が受けられる受験方式の2つを視野に、結果カトリックの学校が受けられる特別入試を経て、上智大学に通うことになった。

私は18年間

・劣等感の塊
・肩書きに囚われる
・頑張って生きることしか知らない
・条件付きの愛情しか受け取れない

わたしとして、18年間を過ごしていた。

Cf. こ~んな私も、今では"わたし"に気がつくことができた
大きな人生のかけらひとつひとつで愛おしい。
ありがとうだよっっぉ~!!
私へ
ありがとう。
愛しているよ。
わたしより


To Be Continued …


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?