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私の点シリーズ2:いじめ体験もポジティブにできる?
今回の写真は「あなたは愛そのもので、無条件で愛されているんだよ」というメッセージを残したくて私自身が描いたものです☺️
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私の人生の中で起きた数々の「点」が繋がったことで最終的に見えてきたヒーリングという道。そしてスピリチュアルな世界。思い出すことが辛い「点」もあるけれど、ジックリと振り返るために、誰かの勇気に繋がるかもしれないので敢えて書き出していきます。
いじめの始まり
あまりに遠い昔のことでハッキリとは覚えていないけれど、気がついたら一人になっていた感じだったように思います。
小学校四年生に上がる少し前辺りかな。
体育の時に誰も私もペアになってくれなかった、とか。一緒にかくれんぼをして遊んでいたはずなのに、気がついたら誰もいなかった、とか。少しずつ、少しずつ始まっていったのかな。
最初は「気のせいかも」とか「偶然かな)と思っていたけれど、声をかけてこっちを見たのに何も言わずに顔を背けられたりしているうちに、だんだん明確になっていったような気がします。
そのうち、無視されるのが怖くて声をかけなくなりした。グループにならなきゃいけない時も、誰がグループになるのか傍観していて、最後に残った人とグループになったり。
ひとりぼっちだった2年半
いつの間にか一人でいることに慣れていたように思います。
誰かに話しかけて無視されるよりも、何となく一緒に遊んでいるつもりなのにそうじゃなかったと後で気づくよりも、完全孤立していた方が悲しくならないから。寂しいけど、それはそれで何となく安定していられる。
一人の方がいいやって少しずつ変化していったのだと思います。
私にとっての究極の体験は、誕生日プレゼント事件でした。
ある日の放課後。
数人の女の子が少しモジモジ・ニヤニヤしながら私の机に来ました。
「シヒータ、今まで意地悪してごめんね。これからは仲良くしよう!少し遅れたけど、これ誕生日プレゼント」というようなことを言ってきて、私に箱を手渡しました。
人前では絶対泣かないと決めていた当時の私には涙を堪えるのが精一杯。それくらい嬉しかった。
「ううん、大丈夫。ありがとう」と箱を大切に受けとりました。ソッと箱を開けてみると、中にあったものは壊れたオモチャとゴミでした。
その瞬間呆然としてしまって全てが空白になったように感じたのを覚えています。笑顔も消え、言葉もなく、ただ立ちすくんでいました。女の子達はクスクス笑いながら去っていきました。この後の記憶はないんですが、一人になった後も泣いた記憶はないんですよね。
自分自身を守る為、気持ちを安定させる為に、自分ん感情に鈍感になっていたのかもしれません。
もしかすると、この体験辺りから「誰かに認められること」が必要以上に嬉しくなってしまったかもしれません。自己肯定感が下がってしまっていたからだと思います。そして、随分長い間、周りに承認されることで自己価値が上がるように感じていました。
ひとりぼっちでできたこと
ひとりぼっちだった時、一人でできることを色々と始めました。
絵を描く
ピアノの練習
手芸(編み物、刺繍、レース編み、フェルトを使ったマスコット作りなど)
料理(放課後遊ぶ友達もいないので、よく母と一緒に晩御飯を作りました)
当時は一人でいる寂しさを紛らす為に何となく始めた事だけど、50代半ばの今でも「私の時間を豊かにしてくれるもの」として継続していることばかり。
イジメ体験が後々の自分にポジティブな影響を与えてくれるとは想像すらしなかったけれど。。。
最後に
イジメ体験は、子供ながらに本当に辛かったです。
だけど、この体験があるからこそ生まれてくる共感力が身についたというか。
そして、一人で楽しめる事を沢山学ぶことができたから趣味多彩な人間になりました。最後の子が成長して巣立っていっても、私にはやりたいことが山ほどある笑
いま辛い体験をしている方達に伝えたいことは「その辛い体験が未来を明るくするかもしれないよ」ということです。今は見えていなくても、少し先まで進んだら見えてくるかもしれません。
そうなった時。あの辛い体験は自分の学びの為だったのかもしれないと思えるかもしれませんよね。
人生の中で起きていることは全て学びの機会で、自分の心と魂の成長を助けてくれるものですから。
🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました🙏🏼❤️✨ この記事が、いつか誰かの心に響いたら嬉しい限りです☺️