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ナゼ⁉️夫は専業主夫🍅【京大医学部・塾なし自力現役合格までの子育て記録】

はじめまして。私と夫と息子の3人家族。偏差値45程度高卒夫婦。息子は中学受験で私立中高一貫校→中学高校は塾なし受験で京大医学部に現役合格。夫は専業主夫。親バカ夫婦の、息子が生まれてから今日までの子育て時間を忘れないように。SNS初心者ですが、NOTEで楽しくたくさん綴りたいと思います。

前回、ウチの夫は『専業主夫』とお伝えしました。

なぜ専業主夫になったのか、

お待たせしました。
実は、私の父が『要介護』になったからです。

父は他界しましたが、当時は糖尿病に肺気腫という病気が重なり『要介護』に。
私の実家は3.6キロ位の割と近くのところにありました。
もちろん母と父の2人暮らしでした。

糖尿病はかなり前から患っていましたが、肺気腫の薬を服用するようになりました。ただ、糖尿病患者は効き目がないようでした。
強い薬を増やしていて肺気腫に効くようにしていたみたいでしたが、逆に薬が強すぎて胃粘膜がやられ、過度の胃痛と出血で倒れました。
父は3人兄姉の末っ子の私達家族に頼りがちで、、、、上の2人には何も言わなくて。
夫と父は話しやすい関係だったからだと思います。
私は、『お父さんっ子』でしたので、父の事が気になって気になって、仕事も家事も手がつかないという日が増えていました。
共働きをしていたので私達夫婦の残業などの時は、息子が幼稚園の時や小学校一年生の頃は父にお迎えを頼んだり、公文式のお迎えを頼んだり、晩ごはんを食べに連れてもらったりしていました。
父の様子が急に変わりました。肺気腫でどんどん体力や食欲が無くなり、見た目も小さくなる父が心配で私の家に泊まってもらったりしていました。
父も私の家が居心地が良いのか、『ずっとこの家で暮らしたい』と言っていました。

この事をきっかけに夫と話し合い、私が仕事、夫は専業主夫兼父の介護という事になりました。
『介護』といっても、直ぐに寝たきりになった訳ではないのですが、何かっていう時に直ぐに動けるように!と、夫に仕事を辞めてもらいました。
夫は固定給でしたが、私は自営業でしたので、頑張れば収入を増やせることが理由でした。

父は、夫が仕事を辞めてから、たった2ヶ月で亡くなりました。
2ヶ月の間に父は私の家と実家で2回、夜中に倒れました。
2回共、救急車を呼んで救急車で付き添ってくれたのは夫です。
1回目は私の家のトイレで『ガタン』と音がして、夫が直ぐ異変に気づき真っ先に飛び起きて倒れている父を発見!倒れて泡を吹いている父を見て、動けなくなった私。
小学生の息子は寝たまま、どうしたらいいのか、優先順位が分からない状態でした。夫が救急車を呼んで冷静に対応し、父と夫は救急車で病院へ。
2回目は実家で。
母は1回目の私と同じで動揺して、倒れた父の横から救急車では無く、私に電話で連絡をしてきました。
その時も夫は飛び起きて、救急に電話して兄弟に連絡するように指示、バイクで実家へ駆けつけてくれて、父と母と夫で救急車で病院へ。

父は2回目の時に肺の機能が戻らなくなり、次の日病院で亡くなりました。
ただ、亡くなる前に家族が順番に、睡眠薬で眠っているベッドの父にお別れの挨拶が出来ました。
医師と看護士さん達が
『お父さんは耳は聞こえているから、たくさんお話ししてください』
と言っていました。
一人一人お別れの挨拶をしました。
夫はとても長く話かけていた気がします。

夫はとても頼りになる『主夫』です。
父は夫が『専業主夫』になる事をすごく気にしていました。
夫の『男のプライド』を気にしていたんだと思います。
夫はいつもこう言います、
『プライドで飯は食えない、そんな珍化なプライドなら要らない』と。
夫のこの言葉を信じて、私も『覚悟』を決めました。
『私が働いて、家族を守る』
『夫がいるから大丈夫』
『夫の覚悟を無駄にしないぞ』と。
とても勇気がいりましたが、今となっては良かったです。
適材適所は家庭の中にもあるんですね❗️
役割分担。役割分担。

途中、父の事を思い出して、泣いてしまいました。
お父さんありがとう。
夫よありがとう。

あ、そういえば、最近夫が私の父にすごく似てきたんです😆
母や姉に似てる写真を見せると、
『お父さんや‼️』と母も姉認める程。
全然似てなかったはずなんですけど、、、、不思議です⭐️

最後まで読んでいただき、ありがとうございました❗️
これからも子育て記録をたくさんNOTEに載せます。
どうぞよろしくお願い致します。



 


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