やくそくの箱
「第5回徳島新聞 阿波しらさぎ文学賞」最終候補作
(徳島文学協会、徳島新聞社主催)
やくそくの箱
中川マルカ
くねくねしながら両手を差し出し、つくしはソロモナイトを受け取った。
「ほうせき?」
「そう。王様の」
「ぴかぴか! マスター、いいの? いいの?」
「おお、持って行け。床屋のせがれ」
右と左のくっついたちょうど真ん中に、薄緑の光のまとう石がのる。太陽にかざせば、はじき返すように輝いて見える。すごいねと跳ねて、石を握って走り出す。見せびらかしてはいけないよ。どんどんちいさくなる後姿を見守りながら、贈りぬしは、はにかんだように煙草をふかす。その昔、王族の末裔を名乗るひとから、両手いっぱいとりどりの石を選んで買った。ひとつずつに名のあることは、たしか本屋が教えてくれた。ルチル、ソロモナイト、アークナイト……
いよいよ来ると聞いて、つくしは毎日興奮していた。ひまりも、あいも本気だった。みんなして、絶対行く、と宣言した。朝と休み時間にも素振りをし、学校がおわるとテレビやネットをくまなく確かめた。どこから入るのが正統か、誰が最初に通るのか。クラスでも、家でも、散髪に来るお客さんたちの間でも、そのことでもちきりだ。一番のりは、ゆうぞうお兄さんだろう、とひまりが言って、米津玄師がいい、とあいとあいのお姉ちゃんが言った。ゆうぞうお兄さんが妥当、とつくしのかあさんが言って、どっちも来ない、となるおが言った。マスターは、じゃあ俺が並ぶよ、と煙草をふかし、アンパンマンに決まっとる、とつくしはおもった。
「じゃあ、どっちから入る」
汽車から降りて改札に来る方を先とするあいと、ホームに向かって進む方を入口とするひまりは、毎日どつき合っていた。つくしは、改札に来る方が入口だとおもうけれど、あおとは喧嘩したくない。なるおは、どちらも正しいと仲立ちする。入口と出口がひとつところにあるということは、教室のドアと同じであって、入ったものは入った場所からいずれまた出ていくわけで、そこは「出入口」とするのが正解。と、それを聞いて、じゃあ、尻から出たものをおまえは口に入れられるのかとむきになるあおの言葉に、つくしはひるみ、なるおはみじかい中指を立てる。つくしには、ゲートに前後の区別のあることが、わかるようでわからない。
徳島には、自動改札機がない。もちろん、線路はある。しかし、走っているのは電車ではなく、汽車だ。汽車は、電気ではなく軽油で動く。過去には何度か電化の動きもあったというが、すべて阻まれ実現していない。電磁波で剣山に封じた聖櫃の呼び覚まされることをおそれ、自動改札機の導入ごと阻止されてきたのとマスターは言った。
「しかし、せめて」
東京へ赴くたびに、怯えるようなことはなくしたい。大人たちにとっても、北海道にも九州にも存在する自動改札機が、日本で唯一ここにだけ存在しないのが不思議でならなかった。
「将来価値を我々の手で」
Uターン組が切り出し、商工会議所や保護者会も連携した。いよいよ教育委員会が動き出すと、念願の自動改札機誘致計画が進行した。タッチ安堵ゴー、などと教頭先生も張り切っている。この先、こどもたちに肩身の狭い思いをさせるようなことはあってはならない。次世代には豊かさをつなぎたい。ICOCAもSuicaもなんぼのものである。自動改札機の到着を前に、大人は誇りを取り戻し、子どもたちはおおいに沸き立った。
【四月一日! 来る! 集え!】
春休みを迎え、つくしとなるおは、来る日も来る日も駅へ向かった。あいもひまりも付いて来た。待っていれば来るから、とお客の髭をあたりながら父さんが言った。だけれど、待ちきれない。力いっぱい飛ばすと、半袖でもカッと熱くなった。羽織るよう持たされたジャージは首元ではためいている。自転車を全力でこいで、改札を覗き込んだ。誰よりも早く見てみたい。機械油のにおいがうすく漂う構内に汽車が入り、人を入れ替え走り出す。銀色の改札に向かい、切符や定期が突き出される。駅員はするどい視線を注ぎながら、鋏を打ち鳴らし、乗降客は足早に行きかっていた。
まだ来ない。まだ来てない。
そわそわと自転車を停め直し、サドルをゲートに見立て、構える。通るときはこう、となるおがカードタッチを再現する。早く来い。つくしも真似してからだをひねる。ジャージのマントが翻り、ポケットで石が鳴る。ぼくを通せと念じながら、つくしは駅をあとにする。帰り道のペダルはいつもすこし重い。それでも、つくしはあきらめなかった。ソロモンの石をこすり、願いをこめる。すべらかな表面が、じんわりとあたたまるまで、くりかえし撫でる。素振りの朝に、ひまりがチラシを差し出した。
「くる」
写真と見紛う、精緻なイラストがチラシの中央に描かれている。「ふらっぱーげーとしきじどうかいさつきとくしまいちごう」となるおが読み上げた。フラッパーゲート式自動改札機徳島一号。御神輿のような姿に、メタリックな側面。出入口となる扉は、小ぶりのクッションのような設えになっている。挟まれても痛くない工夫だ、とひまりがそのイラストをなぞった。クッションの下はトゲ、となるおが言った。刺さるね。おそろしいことであるが、そこにはぶつかってみたいし、一度挟まれてみたいような気分になる。桃色と水色と、何か区別があるのかとおもうが、それこそが出入口のしるしだ、とあいが声を大きくした。怯えるつくしは、なるおに助けを求める。
「なるちゃん、あれは、どうなるの?」
「どうなるって?」
実際に通過したことがあるのは、東京うまれのなるおしかいない。
「だから、ばんって、はさまれるでしょ。通せんぼされるでしょ。はさまれたらさ、そのあとはさ」
はさまれたら二度と出られない。大事なものと引き換えに解放される。と、なるおが含み笑いをした。
「きみたちは、何を差し出すつもり?」
ひまりは、野球のグローブか、オルゴールとはにかんだ。くまのぬいぐるみもある、と言った。あいは柴犬のクロで、それだけは絶対に渡せないと唇を噛む。つくしは、三歳のときからあつめてきたセミのぬけがらと、買ってもらったばかりの自転車をおもって、絶対なくしたりしないと百回約束してやっと手に入れたたモトクロスは、世界で一番かっこいい。どうしよう、とおもって、三番目に大事になった薄緑色の石をぎゅっとする。
設置されたのは、駅前アミコの最上階だった。
「駅じゃなくない?」
顔を見合わせる大人をよそに、子どもたちはプレイランドへ向かった。老舗百貨店の面影をのこす屋上に、四月の風が吹き抜ける。
「ほんもの……!」
瀬戸内の青を張り出したような空の下に、自動改札機があった。手前には、大きな看板が設えてある。風船で彩られた板には、Welcomeの文字が踊り、ようこそ、っていう意味、となるおが言った。憧れの箱に、つくしもあいも目を輝かせた。ひまりも追いつき、小躍りする。けたたましい電子音に、ヤットサーの声がかかる。ゲートには人々が群がり、列が出来ている。なるおは、やっぱり見てるだけでいい、と後ずさりした。頷くつくしは、駆けて列につく。先頭は、喫茶ニュートーキョーのマスター田中ひかり(62)だった。
「昔、東京では、何回も通った。一度も引っかかったことはない」などとコメントする様子は、ローカルゴジカルでも報じられ、田中さんには記念品が贈られた。記念品は、紅白のフラッパーゲート饅頭、フラッパーゲート手ぬぐいに、フラッパーゲートステッカーだった。地下にはフラッパーゲートコロッケが売られ、食堂にはフラッパーゲートうどんが登場し、商店街のパン屋にはフラッパーゲートッツオが並んだ。トッツオに至っては何をも成していなかったが、フラッパーゲートのことばは徳島全土を覆った。太鼓坂と冠された少女歌劇団が誕生し、ファーストシングル「AWAフラッパーゲッター」も鳴り響いた。白衣に輪袈裟を意識した衣装は斬新で、ヒップホップ調の楽曲は心をとらえた。八人組のアイドルグループは、県下のイベントに引っ張りだこだ。阿波踊りの要素が盛り込まれた振付は、地を割って咲いた花のように力強く咲き、まちに馴染んだ。ニュートーキョーにも、終日、太古坂の曲が流れ、壁には、ステッカーとメンバーのサインが飾られた。なるおも、とうとう振りをおぼえた。つくしと一緒に、腰を入れて踊る。
「最後尾はコチラです」
案内看板を持つ若者が、来園者を誘導する。ゲート到着から一週間、つくしにせがまれて、つくしの父も屋上へやって来た。何度も断ったが、絶対にたのしいからとゆずらない。つくしは、もう、十回も二十回も通り抜けたらしい。散髪に来る客にも、まだ行ってないのかと急かされた。屋上へ向かうエレベーターにも入口にも、祭りの日のような熱気があふれていた。朽ちかけた園内には、笑顔がひしめき合っていている。盛況の噂は、本当だった。通過には、乗車券に代わるチケット、もしくは、プリペイド式のカードが要った。チケットは一枚五十円、プリペイドカードは百円のチャージで五回通過出来る。つくしのカードに二百円チャージしてやると、つくしは大事そうに握り、素振りを強化する。お父さんもやった方が良いと輪に誘われ、列の最後尾についた。
「とうちゃんは?」
「これがある」
右手にあるのは、本物のSuicaだった。
四年前の出張で、と父はおごそかに言った。浜松町で買った。これで渋谷にも行った。新宿にも。もちろん、東京駅も通ったし、エキュートでお弁当も買った。おまえの喜んだ東京バナナもこれで。
「すっごい! とうちゃん!」
今日のつくしには、父の姿がたのもしい。
カードを掲げると、ペンギンのイラストに歓声が上がった。ひまりとあいも見守っていた。つくしのお父ちゃんすげえ、の拍手を背に、大人の余裕を見せてやろうとカードをソフトタッチする。と、進行方向の扉が閉まり、弾かれた。パーーーーーーーーッとけたたましくサイレンが鳴った。冗談だろうと、タッチしたばかりのカードを睨み、足を止める。前がだめなら、と入ってきた方から出ようとするとまた音を立て弾かれた。出入口はともにふさがれ、身動きが取れない。
「お客様」
もう一歩踏み出すと、下腹部に痛烈な一打をくらった。手持ちのSuicaには、ゲート通過力がのこっていなかった。けたたましい警報音は鳴りやまない。魔改造された扉は、執拗なまでに凄まじい速さで開閉を繰り返し、囚われの父は赤い顔でもがいている。つくしは身を固くし、ひまりが泣きだした。係員は前髪を乱し、やみくもに走り回っていた。つくしの真後ろにいたなるおが、「大事なもの!」と叫んだ。つくしは、はっとして自分のポケットを探る。宝の石を差し出そうとする勇者を制し、マスター田中が割って入った。
「つくし! これをつかえ」
マスターの叩きつけたカードで、父が放出された。しわがれた手にも、ペンギンが光ってていた。
春休みが終わっても、プレイランドは賑わっていた。煤けたパンダカーもきれいになって、背に人を乗せて園内を滑走する。
ヤットサー。ヤットサー。ゲートに吸い込まれる子どもたちは、あたらしい顔で次々と踊り出た。タッチして跳ね上がる片腕が、波と連なり、風になびくフラッパーゲート音頭をかきまぜる。終えた者から再び最後尾へ並び直し、おわりのない円を成している。ゲートを抜ければ、きっと遠くまで行ける。
つくしは、父のSuicaを貰い受け、東京に向かって素振りを繰り返す。ゲートを百回通ると張り切って、毎日、自転車をこいで来る。ほんものじゃないし、と文句を言っていたなるおも、じゃあぼくは二百回と張り合い、はさまったら助け合うと指切りした。ながらく空いていたフロアにも、活気が戻った。太鼓坂の公式ショップも開店し、石板の上でこねくりまわすタイプのアイスクリーム屋にも列が出来た。
「ねえ、マスター」
「あの箱。ほんとは、何なんですか」
ニュートーキョーには、マスターの話を聞きに大人たちが集った。喫茶店では、フラッパーゲート饅頭とブレンド珈琲のセットに次いで、王の英知と称されたメロンソーダがよく売れた。商店街組合でもフラッパーゲートは話題の的だ。ニュートーキョーでの定例会でも、八百屋はつい前のめりになる。
「あれはいい。いっそのこと、商店街の目玉にしませんかね。入口にしつらえておけば、必ず、みなさんやって来るとおもうんですよ」
お茶屋が賛同し、花屋とクリーニング屋が頷いた。床屋は黙って首を振る。パン屋は腕組みをしたまま、フラッパーゲートッツオが売れるなら、と絞り出す。着物屋が、一番端のうちのエリアまで仲間に入れてもらえますよね、と詰め寄り、これは一分間に六〇人をさばけるらしいですよ、とカタログを取り出す。
「七百五十万円……」
「税別、ですかね……」
ローンを組むことも出来ますし、投資とお考えになればわるくないのでは、と信用金庫がそろばんをはじく。それなら、剣山でも掘り起こしてみた方がよくないですかね、と本屋が切り出し、ソロモンの秘宝について語りはじめる。駅構内では、熟達した駅員が今日も人々を送り出している。
了
大賞、入賞者のみなさま、おめでとうございました!
大賞作品、また講評などもたのしみにしています。
ご拝読いただき、ありがとうございます。
<追記>審査評公開されました
佐々木 義登氏(徳島文学協会長)には<なお受賞作以外では「自己紹介が苦手」「やくそくの箱」「オフライン」「中洲港に深く」を個人的には推した。>、小山田浩子先生のコメントに<「やくそくの箱」は、剣山に眠るソロモン王のアーク(聖櫃・せいせき)伝説と自動改札がない県という徳島のモチーフの組み合わせが秀逸だった。>と言及いただき、大変高まりました。ありがたいことです……