「野外彫刻」という言葉の始まりについて
野外にある彫刻を示す「野外彫刻」という呼び名は、文脈によって様々な単語に置き換わる。例えば「屋外彫刻」や「環境彫刻」、「公共彫刻」、「パブリックアート」などである。これらの単語は「油彩画」や「水彩画」のように、素材で作品を分類する名称なのだろうか。あるいは「具象」や「抽象」のように、作品の様式が異なるのだろうか。
彫刻の歴史に詳しい人々の間では、示したい作品や用途に応じて、これらの単語が巧妙に使い分けられているが、一般には、どの呼び名もすべて野外にある彫刻を示す単語として、区別がつかないのではないだろうか。実際、どの単語を使っても意味は通じるのだが、「公共彫刻」や「パブリックアート」には、若干古めかしい響きが感じられるのではないかと思う。なぜならそれらの単語が盛んに使われた時期が、いまから20年以上前のことだからである。
歴史を辿ると、「野外彫刻」や「公共彫刻」といった単語は、時代の要請に応じて作られてきた言葉であることが分かる。よって厳密には、それぞれの呼び名に当てはめる作品も、その時代のなかで作られたものに限定するのが相応しいのかもしれない。研究者の間では、様々な単語の総称として、「屋外彫刻」という言葉が、現在のところもっともニュートラルなものとして、好んで用いられているようだ。
「野外彫刻」という呼び名は、一般には「屋外彫刻」と同義の単語として受け止められているかもしれないが、”屋外”と”野外”には時代的な概念の差がある。このことについては、『パブリックアートの展開と到達点』(水曜社、2015年)のなかで藤嶋俊會が、「すなわち野外彫刻は、戦争で焼き尽くされた都市の復興に伴って起こった(略)。彫刻が建物の中から(戦後すぐには美術館もなかった)外に出るという点では屋外と呼んだ方が適当と思われるが、(略)太陽が降り注ぐ緑豊かな野外でなければならなかった。」と述べ、”野外”と戦後復興の関係を指摘している。つまり「野外彫刻」には「屋外彫刻」よりも、より積極的な自然や人間性の回復を希求する意識が投影されいているのである。
そういうわけで、戦後、屋外に展示された彫刻を「野外彫刻」と呼ぶ理由は読み解けるが、初期の野外彫刻展を主導した土方定一が、宇部市の野外彫刻展の図録中で、「野外彫刻展」という単語は使用しているが「野外彫刻」を単独で使用することはなく、「野外に置かれた彫刻」と記述している点は気に掛かる。
”野外”という場所で彫刻を展示する試みが1950年代から始まっているため、「野外彫刻」も1950年代から存在するように考えられているが、1960年代半ば頃まで、「野外彫刻展」は「野外彫刻」の展覧会ではなく、野外の「彫刻展」だったのではないだろうか。そして「野外彫刻」を産んだのは、「野外彫刻展」だったのではないだろうか。あるいは「野外彫刻」というものは、どこまでも「野外に置かれた彫刻」を示すだけの単語なのだろうか。堂々巡りのようでもあるが、「野外彫刻」とはなにかを捉えるために、1950~1970年代の土方定一の発言を注意深く見ていく必要があるようだ。
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