はなまる

なんでもやってみたいけど、やったことをすぐ忘れてしまうはなまるの外部メモリー。 おもに地方学芸員の休日のひとりごとです。

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最近の記事

山田寺の仏頭に恋をして

白鳳の貴公子と呼ぶにはあまりにも血にまみれた権力争いの果てに、いまも首だけになって、遥か遠くを見つめてらっしゃる美しい方。 25年前の古美研で興福寺を訪ねた時は、宝物館はもっと半屋外みたいな感じで、山田寺の仏頭は入口近くだったか順路の途中だったか、ぞんざいに柵に囲まれてどんっと置いてあったイメージ、、その当時だって国宝だったんだからそんな訳はないだろうけど、、先に行く集団を気にかけつつ、なんじゃこりゃ、と思って立ち止まった記憶。かっこいいと思ったかどうかは覚えておらず、どち

    • 「野外彫刻」という言葉の始まりについて

      野外にある彫刻を示す「野外彫刻」という呼び名は、文脈によって様々な単語に置き換わる。例えば「屋外彫刻」や「環境彫刻」、「公共彫刻」、「パブリックアート」などである。これらの単語は「油彩画」や「水彩画」のように、素材で作品を分類する名称なのだろうか。あるいは「具象」や「抽象」のように、作品の様式が異なるのだろうか。 彫刻の歴史に詳しい人々の間では、示したい作品や用途に応じて、これらの単語が巧妙に使い分けられているが、一般には、どの呼び名もすべて野外にある彫刻を示す単語として、

      • 戦後日本の「野外彫刻」の歴史から彫刻の未来を考える

         野外彫刻は、駅や施設など、日常的な空間のなかにあって、景観の向上や、情操教育、コモンズの形成に役立つ存在である。しかしながら現状は、観光資源としての期待があるくらいで、野外彫刻の意義を明快に積極的に述べる自治体や美術館は少ない。また管理者や利用者(市民)の視点から、野外彫刻の活用が話題になることがあっても、研究者や作家が野外彫刻の定義や作品論を展開する機会は稀である。これは野外彫刻が全国各地に存在する現状と照らしても、不均衡な状態であると考える。  「野外彫刻」という言葉

        • 19世紀末から21世紀の日本の「彫刻」の歴史と彫刻研究

          言葉は世界を定義する。彫刻の歴史を、「彫刻」という単語の誕生以後から現在まで、ざっくり考えてみました。 150年を1500字で 彫刻の歴史を語る時、「彫刻」という単語が生まれた明治時代を起点とするのが一般的である。それ以前に遡る場合は、仏像美術の歴史を辿ることになる。現代の彫刻家たちが日本の古い仏像を表現の拠り所をしいていることからも、そこには自然なつながりがあると言えよう。例えば、長崎の平和記念像(1955年)などにも、仏像の影響を色濃く見ることができる。 殖産興業と

          宇治・十三重石塔は傑作なのでは

           ただし!見ないで書いてます。平等院には行ったけど、完全に見落としています。十三重石塔はそんな存在ですが、調べてたらけっこう面白くて、野外彫刻の歴史を考えるうえで、無視できないような気がしてきました。鎌倉時代の石工集団の伊派についても触れてないので、なんとも中途半端な記事ですが、残しておきます。 宇治・十三重石塔の存在感  宇治川の中洲にある十三重石塔は、現存する古い石塔としては最大級のもので、高さは15メートル以上あるという。鎌倉時代後期の1286年(弘安9年)に建立さ

          宇治・十三重石塔は傑作なのでは

          京都の芸術文化に見る石の利用について

          刀鍛冶や仏師に比べて、石工の仕事、石造物の需要、石の利用は明治維新以前も以後もあまり変わらなかったもののひとつかもしれないとふと思った。重さゆえの扱いにくさはあるものの、石は木と同様に私たちの生活に身近な素材であり、現代においても日本各地に採石場があり、輸入も含めて石材を加工販売する石材店があるほか、石彫と呼ばれる分野で活躍する作家も多くいる。 京都というと、木造の寺社に銅造または木造の仏像などが思い浮かぶが、蛇塚古墳や化野念仏寺、龍安寺の石庭など、石造の文化も古来から受け

          京都の芸術文化に見る石の利用について

          I don’t mind if you forget me

          A bit like you and me 2013/1/30

          I don’t mind if you forget me

          才能とは

          才能とは どの仕事を選ぶかをわかっているひと 北野武 2012/1/3

          花見

          現美の看板より、トイレの看板の方が目立ってる。花見客のためだね、きっと。 2011/11/27

          夢のはなし

          畑の中を細い道が二本続いていて、どちらでも同じように見えたから右の道を選んだのだけど、「同じとろころに続くように見ても、そこに辿りつけるのはどっちか正しい方の道だけだから、絶対に気をつけて地図の通りに歩くように」というおばあちゃんのアドヴァイスで、ものすごく急いで長い道のりを引き返す。という夢をみた。 2011/10/23

          夢のはなし

          idleness

          吉田兼好の徒然草ってessays in idlness って英訳なんだ。 2011/9/6