悲しき熱帯魚 6章

 二人が溶け合った後、甘い眠りを貪り、数時間後に吉野が先に目を覚ました。

 吉野は、龍太郎の寝顔を愛おし気な表情で眺めた。懐かしい気持ちがついつい浮かんでくる。そっとその額に触れようとしたときに、男の目はゆっくりと花が咲くように開いた。吉野は、やんわりと微笑み、龍太郎の唇を優しく撫でた。龍太郎はゆっくりと起き上がると、吉野と唇を合わせた。

「あなたと一緒にいたい、ずっと」

 唇が自由になると、吉野は溜め息をつくように呟いた。龍太郎は何も言わず、頷いた。そして必ず戻ると約束をして、その場を去った。

 しかし、約束は果たされず、淡々と無惨に時は流れた。吉野は、龍太郎と一夜を過ごした後、人が変わったようになった。見世に出ているときも心ここに有らずで、虚ろな目で、通りを眺めているだけだ。今までのようなオーラはすっかり無くなってしまった。

 頭の中は、龍太郎のことしかなかった。あの夜のことが、毎日終わりの無い映像のように、繰り返し流れ続けている。男が語った一言一言まで諳んじることもできそうだった。特に吐息が漏れるような多くの睦言は。

 客を取っても、あの夜と同じ香は炊かないようにしていた。嗅覚は、一瞬にして想い出を蘇えさせる。それでも、夜の空気に乗って流れてくるいつもの三味線の音やわざとらしい高笑いが、あの夜のことを彷彿させた。嫌でも、自分は独りぼっちで同じ鳥籠のなかに居続けていることを認識させた。

 吉野は、客を取るときは軀を会わせているのが龍太郎と想像し、毎夜をやり過ごした。

 季節は吉野の前を、いつものように通り過ぎて行った。桜は舞い散り、蒸し暑い夏が蝉の声とともに去りゆき、赤く紅葉が染まった。

 長い間、息を詰めるようにして、吉野は龍太郎が迎えに来てくれるのを待っていた。しかし、雪が散らつき始めたころ、吉野の耳に龍太郎が身を固めるといという噂が舞い込んで来た。

 吉野は自分の耳で真実を確かめるまで、信じられなかった。あの夜のことは、男のただの戯れ言とは思えなかった。まだ迎えに来てくれると吉野は信じている。まるで自分が遊女であることを忘れているかのように。





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