悲しき熱帯魚 4章
暫く杯を重ね、雑談をした後、龍太郎は「人生には色々な時期というものがあるものだ」とふと呟いた。吉野は何も言わず、相手の眼を見つめて頷いた。そして、「そろそろ二人でお話でもしましょうか」と誘いを掛けた。今度は、龍太郎が静かに頷いた。
二人は吉野の部屋に場を移した。
部屋に一歩入ると、挑発的な色をした寝床がまるで次を促すようにそこにあった。部屋の中は、白檀の甘い匂いが漂っている。寝床の横には、大きな金魚鉢が置いてあり、一匹の熱帯魚が、物憂げな様子でゆっくりと泳いでいる。
熱帯魚を目にした龍太郎は、金魚鉢に近づくと楽しげになかをのぞいた。
「懐かしいな、俺も熱帯魚を飼っていた」
まるで熱帯魚と話をしているように顔を近づけて言った。
「あら、偶然ですわね。わたしも大好きなんです」
「俺の一番大事にしていた熱帯魚は、ある日突然居なくなったんだ。たぶん近所のどら猫にやられてしまったのであろう。もう少し、注意をしとけばよかったんだが」
昔を悔恨するような表情を龍太郎は浮かべた。
「大切なお魚だったんですね」
「そうだ、代わりになるのがいないぐらい大切なやつだった」
吉野は、複雑な顔で頷いた。
「まあ、今夜はゆっくりと色んな話を聞かせてくださいな」
吉野に促され着席すると、龍太郎は今までの姿勢を崩し、表情も先ほどよりくだけた様子になった。吉野は男の様子を見て、まずは安堵した。用意させていた酒をすすめ、酌をする。そして、龍太郎の顔を見つめ、いつでも話を聞く準備ができていることを促した。
龍太郎はぽつりぽつりと何かを確かめるように話し始めた。最初は小さい頃の話、成長していく過程での話、商いの話など。
「お前も知っているとは思うが、うちの家はこの辺りでも大きな商いをしていて、繁盛している。親父が立ち上げた商売で俺は何もやっちゃいないが、将来は継ぐことになるだろう。それに対してはもちろん異存はない。親父も身体が弱ってきているので、早く俺に継いで欲しいと思っている。そして親父がこの前、風邪をこじらせて寝込んだときに、俺は寝床に呼ばれた」
一度、龍太郎は吉野を見た。忠犬がご主人を見つめるようにし、集中して聞きいっている。一言もまるで逃さないような雰囲気。自分の辛いことも楽しいこともすべて吸収してくれそうな様子。龍太郎はなぜかどこかで同じような経験をしたように感じた。吉野とは初めて話しをしているし、そんなことは無いはずなのだが。その夜、龍太郎は、別世界にいるような感覚になった。