見出し画像

Bitter Cold -6.さよならって、いえる?

何事もなかったかのように、とある休日に彼の友人のSさんと3人で会うことになった。
というのもSさんはちょっと離れた街で雑貨屋さんをしている。
店といっても彼の趣味のガラクタを並べた、お城のようなものだった。所ジョージさんのガレージ、みたいな。

店には「くま」という名前のかわいい猫も店番をしていた。むちっとしたハチワレ。

Sさんは話題の豊富な人で、ずっと色々な話を面白ろおかしく話してくれた。私はその度にお腹を抱えて笑った。
ただ、彼の方は声をたてて笑わない。しょうがないなぁ、みたいな顔して微笑んでいる。

その笑い方が視界の端に入るたび、きゅうっと胸が締め上げられた。
今更ながら、彼に対してこんなに緊張している自分に気づく。

「ね、2人が学生時代からずっと仲が良いって、何か不思議。正反対のタイプだし」
私はSさんに尋ねた。彼は人懐っこい目を細めて言った。

「正反対だから良かったんだね。似たもの同士って疲れるんじゃないかな。 返って対立しないんだよ、な?」

ふいに話をふられた彼は “そうだな” と答えた。

もう1つ、Sさんに聞きたい事があった。
彼は私の事を、あなたになんて説明しているの、って。

聞かなかったけれど、彼の温かい笑顔は私や彼がいけない事をしているのだとは思っていないのだと、信じられた。

たくさん話し込んでいたら暗くなっていて、私たちは自宅に上がってSさんの手料理までご馳走になり、部屋を出たのは22時を回っていた。

それまでの暖かい空気とはうって変わって、車に乗り込んでドアを閉めた途端、急に静かで、寒くなって震えた。

「遅くなったな。 家の人に叱られるかな」
「大丈夫。 もう私、19歳よ」

本当は "まだ19歳" なんだよね。
あなたといるには幼すぎる年。

いつも口数の少ない彼だったけど車の中では特にほとんどしゃべらないので、いつもラジオか音楽を流していた。
私が一方的に話して彼は相槌を打つだけだった。

でも、その日は珍しく口を開き、 しかも小言を言われた。
普段怒られる事がなかったので、驚いた。

私が調子に乗ってSさんと連絡先の交換をした事に腹を立てたらしい。

「彼氏でもないのにそんな事言うの、変だよ」
私はあくまでも冗談で言ったつもりだった。
けれど彼は、本気で怒ってしまった。

本気で怒らせた事がないから、実際のところ本気で怒っていたのかはわからない。
でも私の家に着くまで、それからは一言も話してくれなかった。
結んだ口元と、やけに真っ直ぐな瞳が、怖かった。

家の近くで車を停めて、ほんの少し沈黙が流れる。

「…怒ってるの?」

私が聞いても、別に、と無愛想に返事をするだけ。

「ごめん…ね?」

彼の右腕をつついて謝ると、彼は冷たく言い放った。

「いいよ、お前が言った事は本当の事だから。 悪いのは俺の方だから」
私の方を見ようともせずに。

「早く帰りなよ。 彼氏でもない男とこんなに遅くまで逢っているなんて親に知られたら本当に叱られるよ」
やはり、私の方を見ようともせずに。

玄関から2階の部屋まで駆け上がり、 部屋のドアを閉めた途端、声を上げて泣いた。

"いたずらしちゃいけませんって、あれほど言ったでしょう"

小さい頃よく叱られたっけ。
あんないたずらなんか、しなければ良かった。

彼からもう連絡が来なくなったらどうしよう?

眠れないまま、 凍りついた胸のまま、朝を迎えた。

1週間後。

心に穴が空いたように何もする気がなくて、学校から帰っても家でごろごろとしているとメッセージが入った。
飛び起きて相手を確認したけれど彼からではなく、なんとSさんだった。

ごめん。本当に連絡するのは気が引けたんだけど。ちょっと話せる?

Sさんのメッセージを読んで落ち込んだ。
事の発端はSさんに連絡先を教えたから。
私は『テキストではだめなんですか?』と訊くと『ちょっとアイツのことで』と言う。

仕方なく、私からかける。

『あいつから聞いた?』

メッセージを交換したことで怒られたことですか、と訊くと逆にSさんに驚かれた。

『そんな事で喧嘩しちゃったの?』
「その事じゃないんですか? じゃあ、何の話なんですか?」
『本当に聞いてないんだね?』

いやに念を押すので、怖くなった。
『たぶん驚くよ』
「…何かあったんですか?」

そんな風に振っておきながら、うん、と言ったまましばらく口ごもっている。

「私、 何聞いても平気ですよ。 別に私、彼女じゃないし」

また首を絞めるような事を言ってしまう自分が嫌だった。

Sさんは意を決したように息を吸い込んで 言った。
『あいつ、結婚が決まったんだ』

咄嗟に、 声が出ない。

「…結婚…? 麻美子さんと?」

私は思わず名前を口にしていた。
Sさんは『彼女のこと知ってるの?』と訊いた。
私は名前だけと答える。

「いつ…?」
「決まったのは3週間位前らしいから。俺が聞いたのも、最近なんだ」

では、もうあの日は既に決まっていた事になる。

「そんな事一言も聞いてないです。私にはそんな事聞く資格なんかないって思ってるのかもしれない」
『それは違うよ。あいつの結婚は、決してあいつが望んで決まった事じゃないんだ。色々複雑な事情が絡んで、仕方なくって言ったら変だけど、あいつの気持ちとは別の所で決まった事みたいで。周りを安心させる為というか、あいつの弱い部分を握られたというか…』

Sさんはため息をひとつ、ついた。

私は言った。

「Sさんは、彼のこと少しでも軽蔑した事、ありますか?」
『軽蔑? どうして?』
「だってちゃんとした恋人がいるのに、こんな若い女の子と浮気してて」

彼は少し考え込むように唸り、やがてポツリと言った。
『最初、君の話をあいつから聞いた時は、そりゃやっぱり驚いたよ。以前から彼女とうまくいってないっていうのは知ってたけど、でもいくらなんでもバレンタインにプレゼントもらった女子高生と会うなんてさ。それがどういう事かわかってるのか? って言ったんだよ、俺』

私は頷いた。

『最初はあいつも、一度会っておけばそれで済むと思っていたらしいんだ。君の気持ちも収まるし、あいつも気分転換になるし、そういう気持ちだったって。でもその後すぐ、また会いたいと思ったって。それは不思議な気持ちで下心とか全く無くて、純粋な気持ちだったって。30過ぎてここまで生きてきて、こんな気持ちになるとは思わなかったって、あいつ言ったんだ』

私は何と答えたら良いかわからなくて、ただ呆然とスマホを握りしめていた。

* * *

彼から連絡が来たのは それから更に1週間がたった夜だった。
表示された彼の名前を見て、緊張して手が震えた。

「あ、何か久しぶり…」

声も微かに震えてしまう。気づかれないようにするのが大変だった。

『うん…』

声を潜めて、 少しくぐもった彼の声。

「ね、今お部屋?」
『いや、会社から』

それはとても珍しい事だった。

「だからかな? 周りに人がいるせい? 何か元気ないみたい…」
『会議が長引いた。ちょっと疲れてる』
「大丈夫? 彼女にちゃんと癒してもらってる?」

この期に及んで私は何を言っているのだろう。
今まで何でもなく言えたこんな台詞も、今は胸が痛くて仕方ない。

『明日の授業は何時に終わる?』

私の質問には答えず、彼は訊いた。

「明日? 明日は4時半くらいかな」
『じゃあ、5時半にいつもの所で』
「え? あ、5時半ね?」

彼はそれだけ確認すると、すぐに切った。

結婚する話をSさんから聞いてから、どんな顔をして会えばいいのかわからない。

* * *

約束の時間に、ほとんど彼は来ていない。
遅刻魔なのは初めからわかっていたけれど、それでも私はどうしても早めに着いてしまう。

早く着いて早く逢えたら、その分約束より長く逢えると思うから。

そんな期待はいつも裏切られるけれど。
雪が降ってくれたら、違うのに。

子供なのは一体どっちなのかな。

しばらくすると、仕事用と思しき黒の長いコートを翻して、彼が店のドアを開けるのが見えた。
一番初めに彼から呼び出された日の場面と重なる。

そして色違いのマフラー。
それだけでもう、泣きたくなる。

「お仕事、忙しいんだ?」
「うん、明日は休むことにしてる。今日も一番に出てきたよ」
「そんなに大変なの? 少し痩せたみたいだけど…」
「それはないと思うけど。代休がたまったから、休ませてもらうんだよ」

彼はそう言って微笑んでみせたけど、やはり疲れきった笑顔だった。
私は何か言葉を探し、そしてある事を思いついた。

「ね、 それなら朝焼け、見に行きたいな」

え、と彼は驚いた顔をしていた。

「平気なの? 家の人とかは?」
「うん、平気よ」

だってもう、奥さんをもらったら、よその女の子とは会っちゃいけないんでしょう?

今までだって大差ない事してきたかもしれないよ。
でもつき合うだけだったら心はまだ自由だけれど、結婚はそうはいかない。
もう彼は本当に彼女だけのものになる。

例えその結婚が彼の気持ちとは別の所で決まった事だとしても。

冬の朝は冷たい。
きっと、この恋と同じくらいに。

不思議な関係で良かったと今は思える。
私も二十歳前にあなたに会えて良かったのかもしれない。
私はまだきっと、他の誰かとやり直す力はあるから。
あなたが私に言えなくて悩んでいるのなら、私からさよならをしてあげないといけない。

朝焼けを見に行こう。
冷たい恋にありがとうと告げて。

さよなら。

言えるかな。私の最初で最後の作戦。




つづく






いいなと思ったら応援しよう!