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【連載小説】あおい みどり #11

このお話はフィクションであり、病状・医師やカウンセラーの対応については物語の進行上、事実と異なる場合があります。予めご了承ください。

~ 蒼

「翠さん? 今ここにいるんですか?」

南條医師が呼びかけたが、翠は既に身を潜めてしまったらしい。

「…引っ込んだっぽいです」
「…」

南條医師は小さくため息を付いたが、気を取り成すように母親にカウンセリングを続けた。

「里中さん、もう一つ。あなたが翠さんを縛り付けている事があります。それは "男性は危険だ" という事です。そんな事はない、とあなたの口から翠さんに伝える必要があります」
「いえ、事実です」

母親は震える声で反論した。

「本当にそうですか? 全ての男性が危険だとなぜ言い切れますか?」

南條医師は揺るぎない力で母親を見据える。俺や翠の時とは全く雰囲気が異なることに驚く。

「確かに、旦那さんはあなたに手を振り上げたり、危険な事をしたかもしれません。でも全ての男性がそうでしょうか? 逆に言えば、女性だからといって安心できるわけでもない。目に見えない暴力だってあるのです」
「…」
「里中さん、翠さんは子供の頃から苦しんでいるのです。家庭を持ちたいかもしれないのに、その一歩を踏み出すことが出来ない。翠さんはお母さんのために、あなたの期待に応えようと一生懸命やって来ました。だからあなたの手で、あなたの言葉で、翠さんを解放してあげる必要があるのです」

南條医師の真剣な姿を、俺は呆然と見つめていた。

その後も根気よく南條医師の説得は続き、やがて母親は自分の生い立ちについて語り始めた。俺からすれば翠への態度に対する言い訳に過ぎない。それでも南條医師はじっくりと耳を傾けていた。

母親も雄弁になり、旦那の愚痴も滔々と語り、最終的には "翠には私がいないと、あんな父親とはやっていけないから" と言い出す。

「里中さん、それは逆です。あなたが、翠さんがいないとやっていけない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。あなた自信が恐れているのです」

南條医師の強い言葉に母親は泣き崩れた。どうして私がこんな思いをしなくちゃならないの、と。

そんな翠の母親の肩に南條が手を置いた時、


「やめて!! 触れないで!!」


その声は診察室内に響いた。


「先生はお母さんに触れないで! お母さんは先生から離れて! その人は私の主治医なの! お母さんの先生じゃない! 私に “男には気を付けて” なんて言っておきながら、自分は先生に触れさせるなんて。私は長いこと苦しんで来たのに、自分のエゴでこんな…! ずるいよ!ずるいずるいずるいっ!!」

振り絞るような声に呆気に取られる母親。しかし南條だけは、鋭い目つきで見ている。
そして次の瞬間、俺が戻る。

「今…翠のやつ…」
「翠さん…」

南條医師は悔しそうに俺を見ていた。


***


夜。とあるビジネスホテルの一室にいる。
俺も、たぶん翠もクールダウンが必要と思い、家に帰らない方がいいと判断したためだ。母親はごねたが俺が突っぱねた。

そして俺は…今日の南條の真剣な姿に衝撃を受けていた。
今までの温和なイメージはどこにもなかった。

そして翠は今、泣いている。

「翠、交代出来たじゃないか」
『…』
「衝動的な思いが走ると交代出来るのか? もしかして意図していないのか…」
『…』
「泣いてねぇで何とか言えよ、翠」
『…られたくない…』
「は? 何だって?」
『南條先生を、取られたくない』
「え…」
『あの人は私の担当だから…』
「んなこと言ったってお前、カウンセラーなんだから関係者を診るのは…」
『100万歩譲って、蒼の身体は私だからまだいい。でもお母さんは…先生がお母さん優しくするのは嫌。あんな人・・・・に優しくする必要もない』

翠、お前もしかして南條のこと本気で…。

「翠」
『…』
「おい、翠!」
『…』

何なんだよ、何で黙り込むんだよ。不気味なんだよ。

その時だった。
視界が突然、ブラックアウトした。





~ 翠

わかってる。
私はお母さんのこと、好きだから言う事聞いていたんじゃない。面倒だっただけ。ちょっとでも反抗しようとすると、ものすごい剣幕で怒ったし。

だから本当は嫌い。大っ嫌い。
今日はっきりと、それを認識した。今までなんてバカバカしい人生だったんだろう、と。

そして蒼は男のくせに、南條のことが好きだってこと。

『翠…』

"身体" を乗っ取られた蒼が声を掛けてくる。

『お前の意思で交代…出来るのかよ』
「…これ、そうなのかな」
『俺のこと、閉じ込めるつもりかよ』
「そんなつもりないけど…」

蒼がグイグイとすごい圧力を掛けてくる。力づくで身体を奪おうとしているみたいだ。

「やめてよ! 変な感じがする」
『まぁ、会社はそもそも翠が行ってくれないと困るから交代はいいとして…俺まだ南條に言いたいことあるから、閉じ込めるのはやめてくれよ』
「何、先生に告白でもするつもり?」

蒼は少し黙ったあと『そうだ』と言った。

「バカじゃないの?」
『バカとはなんだ!?』
「そんなことしてどうするの? 身体はあくまでも私なんだし、第一南條先生は私の・・担当なんだから、蒼は今までの私みたいに頭の中で楽しんでいればいいじゃない」
『そんなのずるいだろ!? 俺は俺として南條に向き合いたいんだ』
「おかしいよっ!」
『おかしくない! 俺はな、お前の苦しみから生まれたんだぞ? お前を助けるためにな。それがなんだよ、都合のいい時に身体明け渡して引っ込んで、用が済んだら頭の中で楽しめだと? ふざけんなよ!』

交代しようとする蒼を必死で抵抗した。頭が割れそうになる。

私はスマホを手にし、緊急時にかけて良いとされている番号を呼び出した。数コールの後に聞こえてきた声に、溶けそうなほど安堵する。

『…南條です。どうしましたか?』
「先生…翠です。蒼が…蒼が言う事聞いてくれない」

涙声になっている私に、南條は落ち着いた声で「安定剤、飲みましたか」と尋ねた。

「飲んでません」
『とりあえず処方されているお薬を飲みましょう。今はご自宅ですか?』
「いえ、ビジホに泊まってて。1人です」
『電話、掛け直します。お薬飲んで落ち着くまで、僕と話していましょう。一度切りますよ』
「待って」

スマホを両手で抑えながら私は言った。

「出来たらここへ来て…そばにいてくれませんか…」
『翠さん、それは…』
「お願いです…怖い…頭がどうにかなっちゃいそう」

南條は一呼吸置いた後に『わかりました』と答えた。

『どこですか。急いで行きます』

場所を告げると、電話は切れた。


『翠、仮病使ってまで南條を部屋に呼びやがったのかよ』
「仮病じゃない。本当におかしくなりそうだもん」
『都合良すぎだろお前。ちょっと前まで "そんなこと汚らわしい" とか言ってたくせになんだよ。部屋に呼び寄せだと? 随分様変わりしたな? お前も下心の塊じゃねぇか』
「違うから!」
『何が違うんだよ!』
「うるさい! いいからもう黙っててよ!」

カバンから薬を取り出し、口に放り込んだ。

昔誰か、精神安定剤ってガリガリ噛むと甘い味がするって言ってなかった? 睡眠薬だっけ。忘れた。どっちでもいいけど。
でもなんか、本当にそんな気がする。
これからこの部屋のドアをノックするであろう南條の姿を想像すると、甘く感じた。診察室で飲んだ蜂蜜味のお茶ほどじゃないけど。

どれくらいの時間が経ったのだろう。膝を抱えて入口の側でうずくまっていると、やがてドアをノックする音がした。ドアスコープを覗いて確認し薄くドアを開けると、ダウンライトに照らされた南條の姿が半分、現れる。

その姿に、私の全身が心臓になったような気がした。

「翠さん…気分はどうですか?」

南條はためらいがちだ。当然だ。女ひとりが泊まっているホテルの部屋なのだから。
入口に一歩だけ踏み入れた南條は、髪はボサボサで、ゴアテックのアウトドアジャケットを羽織っている。
ふわっと、気の早い冬の匂いがした。

「蒼がうるさくて…」
「薬は飲みましたか?」

黙って頷くと、強張っていた南條の頬も少し緩んだ。

「先生…自転車?」
「はい」
「髪がボサボサ」

そういうと南條はちょっとだけ笑って、髪を撫でつけた。

「ヘルメット被ってなくて…」
「病院から来たんですか?」
「いえ、もう家にいました」
「先生の家からここまで…どれくらい…」
「大急ぎで来たので、20分ほど」
「遠いんですか」
「まぁ…7~8km近くあると思います」

薬が効いてきたのか落ち着いてくると、途端に "なんてことをしたのだ" という思いが込み上げ、恥ずかしくて死にそうになる。

「すみません…。私、なんて迷惑なことしたんだろ…」
「いえ、いいんです。気にしないでください。落ち着いてきたようなら、ロビーで少しお話しましょうか」

私は頷き、2人でフロアのロビーに出た。僅かなスペースだが小さなテーブルとソファが2つ置かれており、そこに座った。

「寒くないですか」と南條。私は首を振る。なのに彼は着ていたゴアテックを私の肩に掛けた。温かくいい匂いがして、一気に身体がカッと熱くなる。

「翠さんと会うのは久しぶりですね」

私に向かって優しく微笑むが、その顔を正視できない。

「…」
「さっき、蒼さんが言う事聞いてくれないとおっしゃっていましたね。何かあったんですか?」
「ちょっとした…喧嘩です」
「いつもの喧嘩ですか? それにしては今まで電話を掛けてくるなんてことなかったから、よっぽどのことでもあったのでは? 今日のお母さんの事が関係していますか?」
「まぁ…少し」
「今日はお母さんも本音を吐いてくれましたからね。衝撃を受けてしまったでしょう。明日はご実家に戻れそうですか?」
「明日…明日のことは考えたくない…」

明日…仕事だってある。会社には暫くの間蒼が行っているから代わってもらいたいけれど、そんなに都合良く代わってくれるのかわからない。今は薬が効いているせいか、蒼も大人しい(暗い部屋の中で姿が見えない)し。

「疲れているようなら、無理しない方でいいですよ」
「そうですね…ずっと寝ていたい…」
「蒼さんは今はどうしているのですか?」
「薬のせいか…見えないです。休んでいるのか、どうなのか…」

南條は私をじっと見つめた。まるで私の瞳の奥に蒼を探すかのように。
たまらず私は目を逸らす。

私が引っ込んでいる時は、蒼に私のことばかり訊いていたけれど、今は蒼のことが気になるの、先生?

ずるいよ。
私だけを見てよ。

私はまともに南條の顔を見られないくせに…おかしい。
私、おかしい。





#12へつづく


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