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【連載小説】あおい みどり #15
このお話はフィクションであり、病状・医師やカウンセラーの対応については物語の進行上、事実と異なる場合があります。予めご了承ください。
~ 翠
朝晩がかなり冷え込むようになり、道端で落ち葉が踊りだす。
12月3日のイベントが終わるまでの間、私と蒼は50分間のカウンセリング中に交代し、南條と会話した。
"始めは私・途中で蒼" になることもあれば、その逆もあった。どちらで最初に診察室に入って来たかを、南條は一度も見間違えなかった。
そして私たちにとって南條の目の前で交代すること、その瞬間を南條に見つめられていることは恥ずかしさもあったが、興奮と快感もあった。蒼は性的な興奮があったようだが、私は揮発する高純度のアルコールのような気分だった。
南條は両親の問題に触れていきながら、私と蒼の両方にCBT(認知行動療法)を行った。
父は相変わらず無関心なのか無視なのか、私たちに関わることはなかったが、母は南條が紹介したカウンセラーの元に、父には告げずに通うようになった。自身の傷を癒やしたいのだ。"子離れ" につながればいいが。
「お母さんも傷付いて生きてきたんだと思うようにしてください」
南條はそう言ったが、それでも私の時間は返ってはこない。許すというよりは、もうそばにいて欲しくないという思いが強かった。
それもあって私は一人暮らしの具体的な相談をした。南條は残された母が父の暴力に合うかもしれない可能性を懸念し、相談所と連携しておくことを勧め、12月のイベントが終わったらまずはマンスリーマンションに住んでみてはどうか、と提案してくれた。家具付きであることが多く手続きも難しくない。初期費用が抑えられるし、何かあればすぐに実家に戻ることも出来る、と。
確かにイベントが終わるまでは心の波風も立つだろうからそうします、と答えた。
*
職場へは交代せず、私が行った。蒼は時折力を貸してくれたけれど、交代はしなかった。蒼に言わせれば "瞬間的に乗っ取って助けてやったこともあるんだぞ" だって。どうだか。
「仕事の方は順調そうですね」
南條は嬉しそうに言った。私は黙って頷く。
順調ということは目標達成に近づいていることであり、南條にとっては最もなことだ。
「安定剤の服用は継続して行ってもらうとして、12月以降新しいカウンセラーの所に行っても、じきに通院の頻度を下げられるかもしれません」
「通わなくてもいいのでは…」
「いきなりやめるのもよろしくないです」
「南條先生じゃないのに」
そういうと南條は少し困ったような顔をする。そういう顔も、好きだ。
「…ごめんなさい、何でもないです」
「翠さん」
南條は身体を少し前のめりにし、私を優しく見つめて言った。堪らず私は目を逸らす。
「翠さんは本当にここまでよくやって来ました。相当力がついたと思いますよ。お母さんの件も一歩進みましたし」
「父は相変わらずですけどね」
「それでも翠さんの心の影響はお母さんの力が強かったですから。根気よくワークに取り組んでくれているお陰です」
正直、南條の存在が、最も大きな変化だった。男の人、避けて来たこの私が。
初めて好きになった、男の人。
***
イベントまでの間、南條から出された宿題を真面目にこなした。蒼が手伝わなくても部屋が散らからないように、仕切りBOXや収納ポケットを買ってきて整理した。家計簿アプリも付けて、お金の流れが見えるようにした。これらは1人暮らしを始める予行練習としても取り組むといいと、南條が勧めてくれたものだ。
とにかく、南條の事を考えて毎日、一生懸命過ごした。
『最近の翠、ちゃんとやってるよな』
「成長したでしょ」
『まぁ…そうだな』
「珍しく素直ね」
『…俺、消えちゃうのかな』
いつもの蒼らしくない、か細い声だった。
「南條先生だって言ってたじゃない。交代はしなくなるかもしれない。けれどその意識は存在し続けて、それが "共存" だって」
『全て翠の五感を通すってことだよな』
「…不服? やっぱり実体が欲しいもの?」
『…わかんね。でももしそうなるんだとしたらそうなる前に、叶うかわからないけどやってみたいことがある』
「何?」
『南條にハグしたい。抱き締めてみたい。俺の五感があるうちに』
「…」
それは、私には到底出来ないことだ。
南條に触れるなんて、触れられるなんて。きっと壊れてしまう。昇華してしまう。
「そもそも拒否られてるでしょ、蒼」
『契約終了すればお互いただの人だろ。南條も暗にそう促していたじゃないか。俺の気持ちは知ってるんだし、逆に頼めば叶えてくれるかもしれない』
「キモイって突き飛ばされるかもしれないでしょ」
『やってみなきゃわかんないだろ』
「ふーん、じゃあ勝手にすれば」
考えてみる。
もしも蒼が南條を抱き締めたら、私の意識の中ではどう感じるんだろうか、と。
蒼は何とも答えなかったが、静かに決意を固めたようだ。
蒼が、羨ましい。
***
12月3日、イベント当日。ファシリテートするのはリーダーである、私だ。
開始まであと1時間。参加者は前回よりもかなり規模の小さい20数名+スタッフ8名だが、本番が嫌すぎて緊張して吐き気がする。
『おい、大丈夫かよ翠』
「…ダメかも」
『…代わりたくないけど、代わってやってもいいぞ』
本当はそうしたい。
でも、今回は "翠として" 取り組んでいこうと、南條と約束した。
「…代わらなくていい。先生と約束したから、乗り越えないと」
『そっか…まぁ…頑張れよ』
とはいえ廊下を歩くも、身体が震えている。
空いている会議室に駆け込み、ドアを締める。
先生、助けて。
薬を口に放り込み、胸の前でギュッと拳を握る。
先生、助けて…!
"翠さん、大丈夫です。呼吸に意識を向けてください。ゆっくり4つ数えて鼻から息を吸って、息を止めて4つ数えてください。あとはゆっくり8つ数えながら鼻から息を吐きましょう"
南條の柔らかな声がする。それだけで涙が滲む。
「先生…」
好き。先生、好き。
勘違いでも転移でも何だっていい。
好きなの。
壁に付けた背がずるずると滑り落ち、床に尻をついた。
「好き。先生。好きなの。大好きなの。ごめんなさい」
そのままわんわんと泣いた。
助けて、私を。助けて。先生。
"翠さん、大丈夫です。私は出来る、誰もバカになんかしていない。みんなも一生懸命取り組んでいる。仲間だから。翠さんも皆さんのために一生懸命取り組んできた。リーダーとして、やるべきことやっている。そう言い聞かせてください。翠さんはもう出来ます"
再び南條の声がする。
あなたの声で私を包んで。私のコートになって。お願い。
ずっとずっと、私を包んで。
『なぁ…翠…』
蒼の声がした。
『こんな時になんだけど、お前さ、南條に告っちまえよ』
「…恋敵に言う言葉じゃないんじゃない」
『でもよ…俺はお前でもあるわけだから…流石にもどかしいっていうかさ』
「…嫌だ。言わない」
『何でだよ。そこまで想ってるなら言うしかないだろ? 悶々と抱えたままで何になるってんだよ』
「言わない。言ったって叶う訳じゃない。同じことなのよ」
『言えば変わる事だってあるだろ!?』
「私は蒼とは違うから」
『またそれかよ!』
そう。私と蒼は違う。
でも、私たちは叶うことのない恋の同士である。
顔を上げた窓の向こう、午後の日差しが街路樹に光りを差す。
*
そうして、イベントは終わった。
頭は真っ白だった。正直あまりよく覚えていない。集まった客の表情はよくわからなかった。でも周囲が「良かったと言ってたよ」と伝えてくれた。
蒼も後で『まぁ、良かったんじゃない』と、少し意表を突かれたような様子でそう言った。
***
迎えた南條の最後のカウンセリングとなる日。
ハーブティーは冬仕様に変わっていた。ナッツやスパイスを感じる、ホットワインのようなお茶。
「蜂蜜のより美味しいかもです」
そう言うと南條はこめかみをポリポリとかきながら目尻を下げた。
イベントの成功を報告すると、今までで一番嬉しそうにしてくれた。歯を見せて笑うことは滅多になかったから。
「翠さん、よく乗り越えました。僕も本当に嬉しいです。この成功体験は必ず今後も活きてきますよ」
「先生のお陰です」
「いえ、僕は何もしていません。全て翠さんが自力でやったんです」
「先生の掛けてくれた言葉が、いつも頭の中を駆け巡っていました。だから出来たんです。あとたまに、蒼に助けてもらいましたけど」
「うまく共存が出来ているんですね」
南條は本当に嬉しそうだ。
けれど、南條から離れたこの先も、私たちは存在し得るのだろうか。
この診察室でのカウンセリングも終了するという寂しさが込み上げる。
「新しいカウンセラーにはこれまでのことは共有済みです。今日のことも話しておきます。経過次第では2週に1度、月1と、回数を減らしていけると思います」
「…」
「翠さん、大丈夫ですよ」
いつも南條がかけてくれた言葉。
「翠さん、大丈夫です。あなたにはそもそも高いポテンシャルがあるんです」
温かい大きな手となって、私の背中を押してくれた。
もう、また来週、はない。
「私も不安だけど、蒼も…俺、消えちゃうのかなって不安になっていたりするんですけど」
「僕は無理に消したり統合させたりはしないつもりで今日まで向き合って来ました。もちろん、どうなるかはご本人次第ですが。ですが実際、翠さんと同年代の女性で複数の異性の人格を持った方が上手く共存出来ているケースがありますよ。心配なら僕から蒼さんにも伝えます」
「…そうしてくれると、蒼も安心すると思います。先生、今交代して話してもらってもいいですか? 蒼も挨拶したいって言ってますから」
南條は優しいまばたきで頷いた。
~ 蒼
日の短くなった診察室は、傾いた夕日が差し込んでいた。
「蒼さん、お疲れ様でした。よく支えてくれましたね」
「後半は翠がだいぶ無茶して頑張ってた感あるけどな」
「無茶していましたか」
「まぁ…ぶっ壊れたりしてないから上手く行ったんだけど」
「強くなりましたよ、翠さんは」
「まぁね…」
やがて日が落ち、南條は窓辺にあるフランク・ロイドのフロアライトを灯した。冬の宵がその暖かみを更に大きく感じる。
「蒼さんは自分が消えるんじゃないかと不安に思っていると翠さんが話していました」
「うん…だって必要だから現れた俺が、必要じゃなくなったら…翠が十分なやる気を持ったら、俺いらないじゃん、って考えるだろ?」
「そういう時もあります。でも今の翠さんにはそんな意思は無さそうです。お互いが望めば共存は出来ます。実際蒼さんのように、女性の主人格を持ちながら複数男性人格とうまく共存しているケースが、僕の知っている範囲でもいらっしゃいますよ」
「うまく…って、どんな風に」
「カバーし合っているんです。それぞれの人格の過不足をうまく補い合いながら。僕は翠さんと蒼さんも同じように見えますけどね」
俺は俯き、南條は暖かい笑顔を向けた。
「先生、今日で診察は卒業するわけだけど」
「卒業…そうですね。転校とも言えますけど」
「前も少し話した通り、しばらくすれば一般人同士ってことでいいんだよな?」
南條は鼻で小さくため息をつくと「まぁ、そうですね」と言った。
「しばらくって、どれくらい?」
「難しい質問ですね」
「1週間? 1ヶ月?」
南條は笑った。
「翠さんの今後のカウンセリングの様子を、蒼さんの目線でも聞かせてくれたらいいですよ」
とすれば、遅くとも10日後だ。
「わかった」
その時に言おう。
「抱き締めていいですか」と。
#16へつづく