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【連載小説】あなたと、ワルシャワでみる夢は #7

ワルシャワへ、愛を込めて

翌日は日曜日だった。

稜央が目を覚ますと既に8時で、慌てて飛び起きシャワーを浴びてホテルのレストランへ向かう。

アジア系の観光客も何人かいたが、やはり欧米人が多い。窓際の席が全て埋まっていたので、仕方なく壁際の席にひっそりと着いた。

大きな窓の向こうに文化科学宮殿が朝日を浴びてそびえ立っている。
ワルシャワにいるんだな、と当たり前のことを実感する。

昨夜の事を反芻してみる。
本当に夢の中の出来事のように思えてならない。

あの男が…俺と笑い合い、父さんと呼ぶことを許し、海外の街を一緒に歩く…。
脳が溶けそうな感覚に、稜央は軽く頭を振る。

今日はほぼ一日、父…遼太郎と過ごす予定だ。
今まで腹に溜めていたことを、出来る限り吐き出すつもりでいる。

でも、出来るか?
昨夜あんなに緊張してしまったじゃないか。

そして現に今も、稜央は緊張と興奮で震える思いだった。

食事を腹に詰め込んで部屋に戻り、黒いシャツに黒いパンツを履いて…相変わらず黒尽くめの格好で、髪を整えた。
初めての海外でリュックは危ないと思い、わざわざ斜めがけのカバンを買い、ファスナーの付いた内ポケットにパスポートと財布を一緒にしまう。セキュリティBOXにしまう方が不安だった。

時計を見ると9:50。
緊張しすぎて時間に敏感になっているな、と思った。

デスクの上に置かれていたミネラルウォーターをカバンに入れ、鏡の前で全身をチェックし部屋を出ようとした時、なんだかデートの前みたいだな、と少しおかしくなった。

ロビーへ降りると、すでに来客用のソファーに座っている遼太郎の姿が目に入った。

彼も昨日とはデザイン違いのネイビーのシャツに同様の黒いパンツ姿で脚を組み、ぼんやりと一点を見つめていた。
ほとんど虚無なそんな表情を見るのは初めてだった。

近寄るとすぐに稜央に気づき、微かに目尻を下げた。

「あ、おはようござい…ます…」

稜央が挨拶すると、遼太郎は笑った。

「不自然だな。でもまぁ、仕方ないな」

そして立ち上がり「じゃあ、行くか」とソファに置かれていたジャケットを手にしてホテルの外へ出た。

* * *

8月とはいえ、午前中は本当にスッキリと、少し涼しいくらいだった。

2人はまたホテルの前にある地下への階段を下り、地下通路を通って更にショッピングモールを抜けた。

ワルシャワ中央駅の西側に出るとそこにも大きな通りがある。al.Jana Pawła Ⅱ(アレヤ・ヤナ・パヴワⅡ)通りにいくつも並ぶトラム乗り場に上がると、遼太郎は赤い券売機で時間券を2枚買い、1枚を稜央に渡した。そして乗り場の1つで立ち止まった。どうやらここからトラムに乗るらしい。

やがて17番トラムがやってきて、2人はそれに乗り込んだ。向かい合わせに座ると、稜央は目線のやり場に困り車窓の外を眺めた。遼太郎もまた同様だった。

5分ほど経ったくらいだろうか、遼太郎が窓の外を覗きながら「降りるぞ」と声をかけ、稜央は慌てて続いた。
降りた眼の前には「HALA MIROWSKA(ハラ・ミロフスカ)」と大きな看板を掲げた建物がある。

HALA MIROWSKA(屋根付き市場)(2018年撮影)

ガラス張りの建物の奥には歴史を感じさせる造りの建物が見える。日本でも東銀座の歌舞伎座が、これと逆のイメージだ。

遼太郎はその建物の中に入っていった(※実際は日曜日は休みです。物語上の設定です)。稜央も後に続くと、そこはマーケットになっていた。所狭しと野菜、果物、お菓子、肉などといった食品から、雑貨、衣料品など店が軒を連ねている。

HALA MIROWSKA内部(2018年撮影)

「ここは "ハラ・ミロフスカ" という所だが、ポーランド語で "ハラ" は市場を意味するらしい」

遼太郎の説明に納得した。

「この建物を隔てて北と南にゲットーがあった。ゲットーって知ってるか?」
「ユダヤ人の隔離施設だっけ…、あまりよくは…」
「大体合ってる。第二次世界大戦中、ドイツ軍がユダヤ人の隔離居住区域を作った。それがゲットーだ。"隔離" だから壁で隔てられていた。ここはその壁の "外" にあった。正面に見えた古い外観は戦禍を逃れて残ったものだ」
「そうなのか…」
「歴史は嫌いか?」
「あ、そんなことないけど…」

遼太郎はふいに果物屋の前で立ち止まり、リンゴを2つ購入した。

「ポーランド人って、歩きながらとか電車の中でよく、リンゴとか人参をかじってるんだよな。随分ヘルシーな間食なんだなって笑ったことあって。人参だぞ? かじるか? 歩きながら」

稜央がちょっと吹き出すと、遼太郎も笑った。

市場の建物を通り抜けると、トラムを降りた所の反対側へ出た。遼太郎は先ほど買ったリンゴの1つを稜央に渡し、自分も齧り付いた。

ワルシャワ・ゲットーの壁の跡(2014年撮影)

一度右に折れ、リンゴを齧りながら緑茂る公園の中へ入っていく。日本のリンゴと違って小ぶりで水分が少ないが、やや酸味があって凝縮された味わいな気がした。

それにしてものどかだ。本当にここは首都なのか?

木々が日差しを遮り、少しひんやりとするくらいだった。清々しい空気が鼻から肺に入る。うちの地元の方が田舎だと思うけど、こんな透き通った空気を吸うことはないな、と稜央は思った。

園内を歩く人も、なんだかのんびりしている。
遼太郎は齧り終えたリンゴの芯を園内のゴミ箱にポイっと投げた。稜央もマネをした。

すぐ近くに市場や大通りがあると言うのに、喧騒がどこかに吸い込まれてしまったようだ。
誰もせかせかなんかしちゃいない。

これがポーランドのお国柄なんだろうか?


サスキ庭園(2014年撮影)



#8へつづく

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