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【短編】BACK 〜裏垢男子の徒然

【ご注意】女の筆者が描く男性目線のややオトナ小説。そこまで過激な表現はありませんがR18タグ付けています。そんなに過激ではないのでタイトルには付けていません(塩梅がわからないので中途半端で恐縮です)。
苦手な方はご遠慮ください。
苦手な方はご遠慮ください。


男は裸の背中に4本指でそっと触れると、女は身じろぎした。

そのまま、触れるか触れないかのタッチでうなじから背筋に指を滑らせると、女は仰け反らせ声を漏らした。
腰のくびれの辺りまで下りた時、今度は手を逆手にして撫で上げていく。

「あぁん、レイくん」

女は声を挙げたが男の表情は変わらない。楽しんでいる様子はなく、ただ冷静に反応を見ているだけ、という風な目。

女は背中が性感帯だと言う。だから背中を舐めて欲しいのだ、と。白くツルツルしていて、背面にも脱毛で金をかけるのだろうか、と男はぼんやり考える。

指を何往復かさせたところで、男はうなじの下に唇をつける。女は肩を竦めて小さな悲鳴をあげた。先ほど指を行き来させていた箇所に、今度は舌先を這わせる。

「あぁぁ…レイくん、それ気持ちいぃ…」

くすぐったいのか何なのか、女は身体を震わせる。それでも男は先ほどから表情を変えず、甘い言葉を囁くでもなく、女のオーダー通りに背中を舐める。

“これってご奉仕してるってことなのかな”

舌を這わせながら男は考える。自分は舐めイヌではない。
そうして初めて男は口角を僅かに上げて笑った。背を向けている女からは見えるはずもないが。

女とは1時間ほど前に、初めて会った。女は『えり』と名乗ったが本当の名前かどうかは知らない。無論男も『レイ』と呼ばれているが本名ではない。適当に付けた。なんだっていいのだ。男はベッドの上で女の名前を呼んだりしないし、二度と会うこともたぶん、ないのだから。
ここでは名前なんてただの識別子にすぎない。

しばらく背中を舐めてやった後、男は女の張った腰を摑んだ。女は期待で微かに首をこちらに向ける。

きれいな背中だな。
白くて、背骨の稜線は滑らかで、くびれも大きい。舐めた後はすぐに乾いてしまうが、この後は彼女の汗がこの肌をさらに美しく艶やかにすることだろう。

きれいだ。
男はもう一度思う。
どうしたって手に入れられないものにほんの僅かなひととき俺は屈するんだな、と。

「やばかった」

仰向けになって “えり” は天井を見たまま言った。窓のない、小綺麗だが無機質な部屋。独特の空調の匂いと音。50インチはあろうTVのモニターは、部屋に着いてすぐ消した。
気怠い頭で男もぼんやりと天井を見上げている。

「もう彼氏とできなくなっちゃうかも」

今度は男の胸に頬を載せて言う。

「そりゃ大変だ」
「レイくん、めちゃくちゃかっこいいしHも上手だし。また会いたくなっちゃいそう。いい?」

えりは指で男の胸から腹をなぞった。そして存分に媚を湛えて男を見上げた。

男はもう面倒臭いなと思っている。けれど彼女の髪に手をすき入れながら「都合が合えばね」と言う。

「ホント?」
「メッセージくれれば。でも程々にしないと、彼氏に悪いよ」
「いいのいいの。彼氏のHってマンネリで、自分だけ気持ち良くなっちゃえばそれでいいんだもん。私がこんなに何回もイッちゃうなんて、本当に初めてだし、アイツはそれを知らないんだよ。滑稽だよね」

えりは確か27歳と言っていなかったか。それで彼氏もいてそんな具合とは、気の毒なのか何なのか。そもそも「やばかった」なんてその歳で使う言葉か。どちらが滑稽なのかわからない。彼女の身体に思いっきり噛み跡か痣でも付けてやれば面白いことになったのかな、なんて意地の悪いことを考えた。

とはいえ、身体の相性が全てではない。むしろそっちの相性がいいかどうかなんて、正直寝てみなければわからない。寝るためには普通、手順がある。多くの場合において後工程の "寝る" という行為が当たりならラッキー、外れても余程のことでなければ目をつむる。もしくは外れであることに気づかず過ごしていく。
それで幸せなカップルだって、世の中にはいくらでもいる。

まぁそんなこと、俺はどうでもいいことだけど。
そういう俺だってもうすぐ26なんだし、人のこと笑えないな。
と男は虚ろな頭で考える。

3時間の休憩時間を経て2人は表に出た。11月の日曜、太陽は西に傾いているものの、まだ陰を落とす時間だ。
汗を流した後の肌に乾いた冷たい風が突き刺さる。 えりは「寒ーい!」と悲鳴を挙げ男の腕に抱きついてきた。鬱陶しいと思いながら男も寒さに首を竦めた。足早に駅に向かうと、えりはやや不服そうにし言った。

「ね、私、お腹空いちゃった。どこかで食べていかない?」
「俺、この後予定あるから」
「ふ~ん。他の女の子?」

黙っているとえりは続けた。

「ね、レイくんって何人くらいの人としてきたの?」

明るい陽射しの元でそんな野暮な質問に答えるつもりはない。

「数えてないよ」
「それくらい多いってことね」
「…」
「確かに、レイくんって全然自己満感を感じないし、女の人の反応すごくよく見てて、相当場数踏んでるんだろうなぁってわかる」

そんなこと、思うのは勝手だけど口にするなよ、こんなとこで。と思う。男は適当に作り笑いを浮かべた。

「じゃあ俺、反対方向だから」

ホームに上った男はそう言いながら、見送りたいから君の乗る電車が来るまで待つと告げる。えりは優しい言葉をかけられて束の間満たされる。
本当は同じ方向だが、一緒に乗りたくないだけだ。

「じゃあまた、連絡するね」

えりはそう言って電車に乗り込む、ドアが閉まる前から男に向かって手を振り始めた。男は照れたフリをして何度かそっぽを向いたが、ドアが閉まる瞬間だけ、目を合わせて小さく手を挙げた。

念の為2本遅らせて電車に乗り込む。空席がいくつかあったが座らず、ドアの横にもたれかかり、車窓に映る自分を覗き込む。どこか疲れた顔。それはそうかもしれないが、欲求を満たして満足している顔ではない。明日は月曜、ハードな1週間の始まり。男は小さくため息をついた。

ホテルではいつもシャワーだけ浴び、部屋に帰って改めて身体を洗う。別に誰が待っているわけでもなく、匂いを嗅がれる心配などないのだが、ホテルのボディソープの類の匂いが嫌いなのだ。安っぽいとか、逆にちょっといいもの置いているだとか、それこれ構わず、とにかく嫌なのだ。

腹減ったな。男は思う。
12時に待ち合わせをして3時間しけこんだので昼も食べていなかった。
部屋に帰り改めて身体を洗い、オフホワイトのタートルニットにジーンズへと着替え、近所の "冷蔵庫代わり" にしている店に向かう。

「お、今日は早いじゃん」

カウンターの向こうから店長が声を掛ける。すっかり馴染みの店である。奥のテーブルに女性2人組、カウンター席の隅にカップルが1組いるだけだ。ここは日曜日はランチから終日営業しており、その代わり22時で店は閉まる。

男がスタンディングテーブルに着くと勝手にタップがパイントで出てくる。その後から小皿に載ったオリーブとドライトマトのオイル漬けが出される。最初の一口でビールを3分の1ほど飲んだ。

「なんか既にさっぱりしちゃってるね。まだ17時だよ」
「一汗かいてきたからシャワー浴びてきたんだ」
「なに、ジムとか通ってたっけ?」

男は一瞬目を細め「まぁそんなとこ」と答えた。確かにアレは一種のスポーツみたいなものだよな。
カウンターの中に戻った店長が中から声を掛ける。

「今日はイワシもらってきたんだ。ベッカフィーコって料理にしてるんだけど」
「何、そのベッカナントカって」

店長は、ベッカフィーコとはシチリアに住む鳥の名前で、イワシの腹に具材を詰め込んで膨らんだ様子がその鳥に似ていることから付けられたらしい、と教えてくれた。

「この店ってスペイン風バルじゃなかったっけ」
「"風" だからね。あくまでも "風"。別に俺スペインで修行したわけでもないし、旨ければなんだっていいだろ」

店長も大雑把な男だ。けれど確かに料理は旨い。じゃあそれで、と男も深く考えずに注文した。

やがて運ばれてきたそれは、捌いたウルメイワシにニンニクやオリーブを細かくしたものを載せて丸めてパン粉で揚げ、ピンでさしてある。
どうやら常連さん特別サービスで、多めに皿に盛られているようだ。

「うん、まぁまぁ旨いんじゃない。これはワインがいいな」
「まぁまぁって相変わらず辛口評価だな。飯出してやんないよ?」
「じゃ、俺は金払わないだけだ」
「無賃飲食は犯罪だぞ。いいからそのパイント空けな。お前みたいな辛口の白、出してやるよ」
「なにぃ」

言いながら男はぐいっとパイントを飲み干すと店長がひゅう、と口笛を吹いた。すぐにラ・マンチャ産のアイレンとマカベオという品種がブレンドされた白ワインが運ばれる。引き換えに空になったパイントを下げていった。

キリッと冷え、ほどよい酸味とほのかな甘い果実の香りがする。これは1杯目でも良かったな、と思う。男はワインには詳しくないが、好みの味は持っている。ただ白はいくら飲んでもよくわからない。このワインはアリかもしれないが、この味を覚えられるかというと自信はない。

ポケットからスマホを取り出しアプリを開くと、DMがいくつか届いている。それを開いて確認していた時、

「飯はまだ先でいいんでしょ」

店長が声を掛ける。うん、と男はスマホに視線を落としたまま答える。

先程会っていた “えり” からもお礼のメッセージが入っている。ぜひまた会いたい、とピエン🥺の絵文字付きだ。『こちらこそ、ありがとう。またね』とだけ返信を打ち、新規・・の相手からのメッセージを開いていく。通知をオフにしているため、ある程度まとめて確認し、相性が合いそうな人がいれば話を進める。イワシを口に入れワインを飲みながら、しばらく吟味を続ける。こうして今月の残り半分、4人の女性にアポの打診を入れた。

いつの間にか陽が沈むのが随分早くなったな、と男は宵闇に包まれた通りを眺めて思う。そしてふと、先ほど “えり” に言われた言葉を思い出し、考え出した。

"何人と寝たか"

何人だろう。20以上…いっても30くらいだろうか。半分以上は顔を憶えていないが、どこで、どんなセックスをしたかは憶えている。数人とは2回以上会ったが、4回以上はない。それ以外は皆、1度きりだ。もちろん、きちんとつき合った恋人は除いて。
多くは歳上の女性で、だからといって女王様タイプの人はいない。もちろん男が相手を選んでいるからだ。歳下の男性に乱暴にされたい、なんて願望を持った女性が一定数いる。彼氏持ち、時には既婚者も。


18時を回った頃、1組の男女が店に入ってきた。店長が陽気な声をあげ、彼らもそれに応える。スタンディングテーブルに着いている男にも気づき「早いね」と声を掛ける。彼らは近所に住む夫婦で、男と同様に常連だ。

夫婦共に、男とは二回り近く歳が離れている。旦那の方は恰幅がよく少々腹も出ている。撫でつけたグレイヘアで、細縁のメガネ、ロゴの入ったシャツの上にコーデュロイのジャケット姿だ。歳の割には肌艶は良い。いい仕事をして、いいものを食べているのだろう。
奥方は確か旦那より2歳年上だったと思う。肌はやや浅黒いが、艶やかな栗色の髪は年齢を感じさせない。キャメル色のニットワンピース姿で、ヘッドの大きなペンダントをしている。

「日曜日なのにこんな早い時間から1人で飲んでるの~?」

旦那の方からそう茶化され、男は首を竦める。こっちで一緒に飲もうよ、と声が掛かり、男は残っていたイワシを口に放り込み、ほぼ空になりそうな白ワインのグラスを持って移動した。

「何飲んでるの」
「や、よくわかんないけど、料理に合わせて店長が勝手に」

勝手にとは何だ、とカウンターの奥から声が飛んだ。
夫婦は最初は泡にするといい、せっかくだからとボトルにし3人で飲むことになった。ピンチョスなど軽いつまみをいくつか頼み、他愛もない話でボトルが空くと、旦那はテンプラニーリョとガルナッチャがブレンドされた赤をボトルで頼んだ。必然的に料理もメインに移行していった。

「それにしても鬼軍曹はまだパートナー、いないの?」

奥方が目の周りをほんのり赤くさせて男に訊いた。鬼軍曹とは男のあだ名である。いつか酔って仕事の話をした時にそう名付けられてしまった。

「うん」
「こーんなにイケメンなのに、どうして」
「確かに鬼軍曹なだけに仕事はハードそうだけど、でもこうやって休日はどこか余裕ぶっかました顔してるもんな、でもだから、もったいない」

以前夫婦から『彼女は?』と訊かれ『いない』と答えると『じゃあ彼氏?』と訊かれ、思わず吹き出してしまった。男はその可能性もなくはない顔つきをしている。

『僕はパートナーはいないです』

そう答えてから、以降は夫婦も『まだ彼女出来ないの?』ではなく『まだパートナー出来ないの?』と訊いてくるようになった。

「さっきみたいに1人で飲んでいたら、声掛かるでしょう、男女問わず」
「まぁ。そういうのが煩わしいからいつもここに来るんです」
「相手にもしないの? 別に女の子が嫌いじゃないって言ってたわよね」

男はすぐに答えなかった。奥方がニヤリと笑う。

「若いんだから、ちょっとくらい遊んだ方がいいわよ、ねぇ?」
「そうだよ。結婚したらそうはいかない。あの時遊んでおけばなぁって思ったって遅いんだぞ。まぁ、遊んでるやつもいるけどな」

奥方が旦那の腿をつねり、笑い合う夫婦を前にして男は赤ワインに逃げ込むふりをする。
十分遊んでますよ。今日も彼氏持ちのおねえさんと遊んできました。今月はそんなのが3人います。今新たに4人と交渉中です。
しかし口には出さない。

そして考える。
俺は果たして結婚なんかするのだろうか。誰か特定の女と、こんな風に休日のバルに2人で来て笑い合う日が来るのだろうか。一つ屋根の下、老いぼれるまで暮らす日が来るのだろうか、と。


赤ワインとメインの肉料理をすっかり馳走になり、男は礼を言って店を出た。店長は「また明日ー」と言って手を振る。さすがに毎日は来ないよ、と男は笑いながら手を振る。


外は一際寒気が降り、男は思わず「マジか。めちゃくちゃ寒い」と小さく叫んだ。ニットだけじゃだめだったな。

見上げても都会の空は明るく、星なんて見えない。そもそも薄い雲がかかっているのか、ぼんやりと霞んでいる。男は小走りで家に帰った。

坂道の途中に建つマンションの5階。おおよそ生活感のない白い空間に置かれたベッドの上にドサっと寝転ぶ。
スマホを見ると、DMの返信が2人から返ってきていた。今度の木曜の夜と、土曜の日中で決まった。土曜日の相手からは、こんなメッセージが添えられていた。

縛られるの好きなんです。自由を奪ってくれませんか?

いいですよ、とだけ返信する。
ご奉仕だな。昼間と同じことを思って、また少し笑った。

昼間の女の顔は既にうろ覚えだった。それでも『背中を舐められるのが好きな女』のことは憶えているだろう。

いつまでこんなことしてるんだろ、俺。再び考える。

そのうち飽きるのかな。飽きそうだな。虚しくなるんだろうな。
その時、誰か一人に、決まっていくのかな。

今はまだ、全然想像がつかないけど。





END

※『裏垢男子の徒然』は気まぐれに読み切り連載していきます


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