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【連載小説】あおい みどり #14
このお話はフィクションであり、病状・医師やカウンセラーの対応については物語の進行上、事実と異なる場合があります。予めご了承ください。
~ 翠
そもそも蒼が談判してくれるはずだった私の家出案件は、仕方無しに頭の中で蒼にアドバイスを貰いながら、私から母に対して "もう今までのようにはいられない。家を出て自立する" と伝えた。
当然猛反対され、蒼のようには強く出られないので、南條とこの件を相談するつもりだ。
父は相変わらず、今の私たちの現状を信じてくれない。本当にもう、どうしようもない。
家族はバラバラになるかもしれない。
でもそれで私の心がまとまるなら、その方がいい。
*
翌週。南條のカウンセリング室。
南條は「母をまた連れて来て欲しい」と言っていたが、私はそんな気はなく、一人で行った。
家族と仕事、ここ最近の蒼のことも南條に報告した。
「…ご家族のことはわかりました。お母さんにも出来ればCBT(認知行動療法)を受けてもらいたいので、僕が紹介状を書くので渡してもらえませんか。それと、翠さんが一人暮らしをする件は、対策を一緒に考えていきましょう」
「私さえ離れられれば、あとはどうでもいいです」
南條は小さくため息をついた。
「それから…蒼さんの作成した企画書が通ったから、蒼さんにはまた登場してもらわないと困る、と…」
「はい」
「その企画は、翠さん自身で取り組んでみようとは思えませんか」
「…その方がいいんでしょうけど、不安です。前みたいにまた…」
「翠さん、もう以前の翠さんと今の翠さんは違います。少なくとも自虐的な言動はだいぶセーブ出来る力が備わってきています。自分の誤りや至らない点を素直に認める時に、訓練した通りに自虐言動を抑え、協力を求める。それだけでも周りの雰囲気は変わると思いますよ」
「…」
「翠さん、いつも言ってる通り "私は出来る" と自分に言ってあげてください」
「…出来るかな…、でも…やってみます」
南條はホッと息をつき、笑顔を浮かべた。
「時には蒼さんの力を借りてもいいと思いますが、メインは翠さん自身でやってみましょう。またノートに日々気持ちを書き出して客観視することもいいと思います。以前やっていたみたいに」
「はい」
メモを取り終えた南條は、ほんの僅かに眉を下げ切り出した。
「それで…その蒼さんの方はダメージが大きいようですね」
「そりゃ…もう先生に合わせる顔がないとか言って。でも私はちゃんと謝ってって言ってるんです」
「僕の方も謝らなくてはいけない。今、蒼さんを呼べますか?」
「え。今…ですか」
これまでは衝動的なきっかけで交代することが多かった。けれどここのところ、私がコントロール出来る時もある。
「…やってみます」
私は両手で顔を覆って少し俯き、蒼と交渉を始めたー。
~ 蒼
俯いた顔を上げられない。南條医師の顔を正視できない。
「蒼さん」
彼から声をかけられる。
「顔を上げてください」
「すいませんでした。ほんと、すいませんでした!」
俺は更に頭を下げた。その頭の上に南條医師の声が降ってくる。
「僕も謝らなくてはいけない。蒼さん、好きになる気持ちを妄想だと断言してしまい、申し訳ありませんでした。僕も配慮に欠ける言動をしました。クライエントである蒼さんを傷つけてしまったことは、カウンセラーとして重大な過ちです」
恐る恐る顔を上げると、目を合わせた南條も頭を下げた。
「それに、蒼さんに気持ちを抱かせてしまった僕にも原因がある。そういった隙を作らないように色々と気をつけていたつもりなのですが…。完璧にするのはなかなか難しいところでもあります」
南條の身なりがダサかったのは、わざとということか。
「蒼さんが僕に抱いた感情、それ自体が根本的な問題に繋がる事でもある。心から他人を愛することがなかった、愛されていると感じてこなかった、その問題です」
「…」
「ただ、僕は治療者で蒼さん、そして翠さんはクライエントだ。僕はお2人の問題解決のサポーターだ。僕は翠さん自身にも転移はあると思っている。僕のために頑張ろうとしているのであれば、それは転移と言える。僕から離れても翠さん自身が転移を乗り越え、認知を変える行動を起こし続けることが最も大事な点です」
やはり、南條医師は翠の気持ちも見抜いていた。
ー 聞こえてるか、翠。やっぱバレてるぞ。
ー …。
聞こえないふりか、本当に隠れているのか。どっちだ。
「先生…そしたら俺たち…、俺も翠も、両方とも転移してるってことは先生のカウンセリングはこれ以上受けない方がいいってことだよね」
「…その話は翠さんとした方がいいでしょう。契約上はクライエントは翠さんだから」
そう言って椅子を少し前に出していたずらっぽく微笑み、僕の頭のやや上辺りを見やった。まるで翠に向かって微笑みかけているような。
「仮に南條先生が外れて別のカウンセラーになったら…先生とはもう一般人同士ってことになるんだよな?」
「そんなにすぐあっさりと移行するわけではありませんが…」
椅子を戻し、南條医師は静かに言った。
「…ある程度時が経てば、そうなるでしょう」
それは、希望の光、なのだろうか。
南條医師が自ら利害関係をなくすと言っている。俺たちの転移は転移じゃなくなるってことじゃないのか。
俺も翠も、南條の事が好きでも、誰も咎めないってことになるんだよな?
「ただし」
南條は続ける。
「僕の存在が以降の蒼さんと翠さんに及ぼす影響を考えると、接点は持たない方がいいこともある」
じん、と冷たい緊張が身体を走った。
「…そうじゃないことも…?」
俺は一縷の望みをかけて言う。
彼は口の端をほんの少し上げ、言った。
「…全てのことは100%の断言は出来ません」
脱力。
希望は、ある。
「蒼さん、もうしばらくの間、翠さんの事をサポートしてあげてください」
「…」
そしていつもの菩薩の微笑みを浮かべて言った。
「何度もすみませんが、翠さんを呼んでもらえませんか?」
~ 翠
「翠さん」
呼びかけられる。
「蒼さんとの会話は聞こえていましたか?」
「…」
聞こえていた。
南條への想いはバレていた。そりゃそうか。プロだもんね。
ついに契約終了、か…。
「蒼さんの新企画、ゴールはいつですか?」
「仕事のことですか?」
南條はゆっくりとした瞬きで頷く。
「…12月3日です」
「1ヶ月半ほどしかないですね」
「規模は前回より小さいので…」
「では、その対応が終わるまで」
「…えっ?」
「その対応が終わるまでは、僕が診ていきます」
「終わったら…」
「様子を見て終了するか、担当を変更した方が良いでしょう」
ぐらり、と頭が…身体が揺らぐ。いざとなると怖い。南條が側からいなくなると思うと、怖い。
けれどそんな南條はいつも見せる、穏やかな微笑みを私に向けた。
「翠さん、僕は翠さんが苦しい思いを自ら対処して、日常生活が送れるようになることを望んでいます」
「だったら…先生がいないと…」
「僕が近くにいすぎることで、翠さん、そして蒼さんが余計なことで苦しむことになります」
『…どり、翠!』
蒼が頭の中で呼びかけてくる。
『南條は言ってるんだよ。"俺から離れろ、離れたら近づける可能性がある" って! 察しろ、バーカ!』
うるさい! バカはどっちなの!
蒼を奥へ通しやる。
「先生…」
「僕でなくても、翠さんは出来ます、きっと」
「先生、離れても時々、私の話を聞いてくれる? 相談に乗ってくれる?」
「医師としては出来ませんが…」
暮れなずむ窓の外を見て目を細めた南條は、再び私を見て言った。
「偶然、街のどこかで出会うことがあったら、そんなこともあるかもしれません」
***
夜。自室。
蒼に話しかけた。
「蒼、一つ私から提案がある」
『…何』
「この先の南條先生のカウンセリング、今日みたいに交代して公平に受けない?」
『…何だよ、急に』
「カウンセリング受けられるのは早くて12月頭まで、長くても年内。もう限られてる。機会を公平にして行こうって言ってるの」
『何でそんな急に優しいこと言う。キモいんだけど』
「…」
『どうせ職場で俺がいないと困るからだろ? マジで調子いいよなぁ翠は』
「そんなこと言うなら身体開け渡さないよ? ずっと閉じ籠もってて。二度と出てくるな」
『それ、本気で出来るのかよ』
出来る…だろうけど、心身にものすごく負担が掛かるのは実証済みだ。
『第一、先生だって大変だろ。1人分の金しか払ってないのに、毎回俺たちを診るなんてさ』
「でもプロだから」
蒼はちょっと黙ってから言った。
『俺の気持ちを知った南條に、今更何言うってんだよ』
「言いたいこと言えばいいじゃない。どうせ終わるんだから」
『終わりは始まりのうち、ってな』
そう言って蒼はアハハと笑った。
南條が即カウンセリングの終了を告げなかったのは、蒼に対する "失言" があったからかもしれない。
それでも、南條の言葉は嬉しかった。
嬉しかったけれど、だからどうなるというのか。
私たちが、幸せになれるわけじゃない。
例え蒼が消えたとしても、私が南條と結ばれるわけないのだから。
そうか。成就するわけじゃないから、南條は手を差し伸べたのかもしれない。
#15へつづく
【参考文献】