あなたがそばにいれば #2
Natsuki
今私のお腹の中には、2人目の新しい命が宿っている。
1人目の梨沙を妊娠した時…彼から『忘年会の帰りに会社の同僚から告白された』と告げられた頃だった。
その事については私は妬くようなことはなく、逆にそれで動揺してしまっている彼がちょっとかわいらしい、とさえ思っていた。
年の瀬で、穏やかに晴れる日が続いていた。
私たちは普段別々の部屋で寝ているけれど、あの頃彼は毎晩のように私のベッドに潜り込んで来た。
* * *
ちょうどあの日。
彼の提案で、近所のよく行くカフェで2人でランチに行った。
夫婦は秘密を持つことはいけないことなのか、全てを曝け出さなければいけないのか、などという会話をした。
彼は、言わないでいることは罪悪感を覚える、と言った。
私は、全てを曝け出す必要はないと思っている。でも嘘は付きたくない、と話した。
その日の夜。
いつもの寝る前のティータイムをテーブルに着いて2人で過ごし、そろそろ寝る時間かなと思った時に、唐突に彼が短く言った。
「抱きたい。いい?」
思い詰めたような瞳に、すぐに言葉が出なかった。
彼は返事を待たずに私を抱きかかえ、寝室のベッドではなくリビングのソファにおろした。
「ここで?」
彼はそれには答えず、即物的に私の中に入ってきた。
愛撫も、愛の言葉ひとつもなく。
私の身体はまだ彼を受け入れる準備が出来ておらず、痛みで悲鳴に近い声を上げた。
それでも彼は緩めることはしなかった。
彼はごくたまにこんなSEXをする。
ただ本能的でサディスティックな行為。
普段はとても愛情深いのに。
彼の眉間に寄った皺は官能というより苦悩に近かった。
私はただ彼の律動のままに抑えきれない声をあげるだけ。
彼が果てると、私の上で肩で息をしたまま小さくつぶやいた。
「ごめん」
「…どうして謝るの?」
「夏希…」
そう私の名を呼んで強く抱き締めた。
私も彼を抱きしめ返す。
「何か…あった? 同僚に告白されたってことなら、本当に大丈夫よ。…もう、隠し事したくないって言ってたばかりじゃない。そんな辛そうな顔してたら心配になる」
「そうじゃない…うまく言えないけど、夏希を奪いたくて仕方なくなって」
「奪うって…私はもうとっくに遼太郎さんのものだよ? 他の誰のものでもない。奪う必要なんてないのに」
「だから…うまく言えないんだ…」
その日からしばらくの間、毎晩彼は私を求めに部屋に来た。
ベッドの上では激しい時もあれば、普段通りの優しく甘い時もあり、丸くなって子供のように抱きついてくる時もあった。
私は何も訊かずに、どんな彼でも受け入れた。
抱き合った後で、私の胸の上で寝息を立てる彼が、とても愛おしかった。
* * * * * * * * * *
しばらくして妊娠が分かった時、私はとても嬉しかった。
彼と私を繋ぐ確固たるものの存在が自分の中に宿ったことは、この上なく満ち足りた気持ちだった。
彼に報告した時も、もちろんとても喜んでくれた。
でも数日経ったある日の夕食後、彼は神妙な面持ちをして遠くを見るような目をしていた。
「どうしたの?」
問いかけると物憂げな目をこちらに向けた。
「不安なんだ」
素直に弱々しい言葉を吐いた。
「父親になることが?」
「それもあるけど」
でも、それ以上は言わない。
私も今思いつく慰めの言葉は彼の心に届かないことを分かっていた。
だから黙って隣に座り彼の手を取ると、彼は儚く微笑んだ。
その表情が私の胸を突き刺し、たまらなくなって彼を抱き締めると、彼の身体は小さく震えていた。
私の背中に回した彼の腕が、徐々に力を込めてくる。
「私たちの子供が生まれてくる。遼太郎さんは嬉しさより不安の方が強いの?」
彼はすぐには返事をしなかったが、やがて「嬉しい。けど」と呻くように言った。
「何をそんなに怖がっているの?」
「俺の…」
「えっ?」
「俺の血が流れるってことは…」
彼は自分の血の繋がりを恐れていた。
自分の中のおぞましい血が受け継がれると、震える声で言った。
彼には発達障がい(現在は神経発達症という)の隆次さんという弟がいる。その障がいは遺伝によるものが強いと以前聞いた。
隆次さんがそうだとわかったのが彼が就職した後のことで、彼なりに色々調べた時にきょうだいも障がいを持つケースが多いと知り、自分もその可能性があることに愕然としたという。
その話は結婚する際に彼から聞いてはいたけれど、彼自身は社会生活に影響を及ぼすほどの症状はほとんど見られない。
しかし彼は、時折自分の内側に現れる片鱗に怯えているという。
過去からの追憶の中にいくつも思い当たる節があると言うのだ。
「そんなこと…!」
私は彼の胸に拳を作った。
「おぞましいだなんて…」
ショックでそれ以上の言葉が出なかった。
「障がいを持って生まれてきたら、どうする?」
目を伏せて彼が言う。
「隆次みたいなやつが生まれたら、まともな会話が成り立たなくて、友達も出来なくて、孤立する...。そんな思いしてほしくない」
「遼太郎さん!」
私は彼の両頬を抑えて焦点の合わない彼の目を見つめた。
「どんな子だって私たちの子だし、今から不幸を決めるけるようなこと言わないで。遼太郎さんらしくない!」
「…ごめん」
その晩は、私の方から彼のベッドに向かった。
彼を抱き締めると、私の腕の中でまるで子供のように小さく身体を丸めた。
「さっきは怒鳴ってごめんね。でも本当にどんな子でも不幸じゃない。隆次さんだって辛いことたくさんあったかもしれないけど、不幸なわけじゃない。それはあなたがいたからなのよ。相手を本当に愛して支えることができる、それがあなたであり、私たち家族なのよ」
「うん…」
「それにあなただけじゃなくて、私の血も分けることになるのよ」
「そうだよな…」
それでも彼の身体は小さく丸まったままだったから、その背中をずっと撫でてあげた。
「女の子だといいな…」
聞き取れるか否かの声で、彼は言った。
「女の子?」
彼は私の首筋に顔を寄せ、熱い吐息を漏らした。
私はこの時、彼の口から出た「女の子がいい」という言葉を前向きな意味で捉えた。
生まれてくることを、彼が想像してくれたから。
でもその後に続く言葉は、私の捉え方が誤っていたことに気づく。
「男だったら…自分と似ていたら…嫌なんだ…」
#3へつづく
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