【連載小説】あなたに出逢いたかった #32
稜央さん。
私が本当にあなたに話したかった事を伝えます。『助けて欲しい』と言った理由についてです。ようやく気持ちが固まって来ました。上手く言えるかわかりません。不可解に思うかもしれません。でも読んでもらえたら嬉しいです。
まず最初に、私は発達障害を持っています。以前私には共感覚や感覚過敏があるとお話しましたが、その根源はここにあるかもしれません。
日本ではハッキリ診断されませんでしたが、ドイツにいる時にASDとADHDだと言われました。これは私の父の家系の影響で、遺伝の可能性が高いそうです。叔父がASDですが、父はずっとグレーゾーンだと言われてきたそうです。私もずっとグレーゾーンだと言われてきたので、症状はそこまで強いものではないそうです。ただストレスがかかると、パニックになって衝動的な行動に出たりしていました。
だから、私の話や態度で色々困らせる事があるかもしれません。最初にそれを断っておきます。
私の世界はずっと、ある人を中心に回っていました。その人さえいれば他は何もいりませんでした。どんな人かは…。ごめんなさい、それは今になっても詳しくは言えません。とにかく "ある人" がいるんだと認識してください。
その人が虫籠を持っていたとしましょう。そして私が虫だとしましょう。蝶でも、蝶が綺麗すぎるならミミズだってなんだっていいです。
私は自らその虫籠に飛び込みました。その人がただ黙って籠を抱え、籠の中の私を優しく眺めていてくれれば良かったのです。籠に守られていれば狭い世界でも、なんの窮屈さも感じませんでした。
けれど段々私の中で女性としての自我が芽生えてきたのでしょうか。それとも私の持つ頭の性質のせいなのでしょうか。ただ眺めてもらうだけでは足りなくなってきました。もっと触れて欲しい、いたずらさえして欲しい、と思うようになりました。子供が虫をいじって遊ぶように、残酷なまでに。
そう願うことはいけないことだとわかりました。いえ、とうの昔からいけないことだというのは知っていました。ただ知っていることと理解することは違います。私は最近になって理解せざるを得なくなったのです。準備が出来ていなくても籠から出なければならないのです。
別に地面が消えたわけでも、空が消えたわけでもありません。私は蝶だろうがミミズだろうがそれっぽくそこに存在することは出来ます。けれど今度は透明な壁で遮られた、何もかも見えるのに触れられない残酷な世界に一変するのです。目で光を感じるのに温もりがない、大好きな匂いも感じない、声も聞こえない…。そこに生きる歓びはなく、ただ生きるだけです。
私は自力で籠から出られそうにないと思っていました。当然です。自分の意思は籠から外に出たくないのですから。
でも、稜央さんに出逢って、その世界が変わるかもしれない、と思いました。変わろうとしていると言った方がいいかもしれません。
初めてベルリンで逢った瞬間から、何か弾けるような思いがしました。こんなことがあるのだろうか、と信じられない気持ちにもなりました。
この1ヶ月と少し、稜央さんとメッセージのやり取りが出来たことは、今までにない穏やかな気持ちになれるひとときでした。それだけでも救われた思いです。
私を籠の外に出してくれるのはこの人しかいない、と思いました。
稜央さんと出逢えて、本当に本当に良かったです。
長くなってごめんなさい。一方的でごめんなさい。
こんな私のこと、頭がおかしいんじゃないかとか、気持ち悪いって思うかもしれません。
そうしたら…ごめんなさい。
***
読み終えた稜央は背筋がぶるぶるっと震えた。
発達障害については稜央も遼太郎から『遺伝だとすればお前も可能性があるぞ』と聞かされていた。ただ稜央の場合は遼太郎同様にグレーゾーンのようだった。日常生活・社会生活で酷く困るようなレベルではないと思っている。
娘の梨沙に症状が出ることはすぐに納得がいった。
そして…ここに書かれている "ある人" とは恐らく遼太郎の事だ。ただの "お父さん子" ではないことが梨沙自身の口から語られたのだ。こんな話題はおそらく誰にでも語れることではないだろう。だから稜央にでさえも伝えるまでにある程度時間がかかったのだろう。
"いたずらさえして欲しい、と思うようになりました。残酷なまでに。"
実の父親へこれだけ激しい恋慕を抱いている事は尋常ではない。しかし稜央は梨沙のことを気持ち悪いだなんて思わなかった。むしろ理解さえ示した。
それはこんなことを思い出したからだ。
稜央が20歳の夏だった。遼太郎と対峙した時に彼が見せた、狂気。
その狂気は6年後、遼太郎に招待されて訪れたワルシャワで再び感じた。
稜央はその時、改めてあることを実感する。
俺にはこの人の血が流れている。
その事実に酷く興奮した。
興奮。悦び。
何となく梨沙の中にも似たような感覚があるのだろうと思えた。
稜央の場合は男だからというのもあるが、恋愛感情というよりは同性親に対する強い憧れや尊敬とも言える。けれど梨沙の場合は…途端に『禁断の愛』となってしまうわけだ。
だから彼女の苦しみが僅かながら理解出来た。
そんな梨沙がどうしても自分にコンタクトを取りたがった理由も明らかだ。このメッセージではそれについて一切触れてはいないが、それも最初からわかっていたはずだった。
"お前が俺に似ているから、梨沙は近づいたんだ"
と、遼太郎も言った。それは、幼い頃の陽菜が見破る程に。
まぁそうだろう。世間の親子でもここまで似るのは珍しいくらいだ。梨沙が関心を示すのは無理もないのだ。
たったそれだけのことだ。叶わぬ相手の代わりに自分は最適だった。
ただ残念なことに、梨沙が見つけた一筋の光に思えたものは、鏡に写った同じ光だ。摑むことは出来ない。
かわいそうに。
梨沙のことをただ、そう思った。それなのに俺はそんな梨沙を助けることは出来ない。
でも。
願望と現実の間で稜央は揺れた。
まずは一言、そう返信する。
梨沙。君は本当にガラスみたいな子なんだな。
透明で煌めいていて、それでいて内側から強く破裂させるような力なのか、脆さなのか。
そばにいれば、飛び散る破片で怪我をする。
いや、違う。わかっていてそばに寄ってしまう。
俺の場合はそうだ。
今、指先から、頬から、小さな破片で流れる血を既に感じている。
そのガラスを守りたいと思った。
ただ、何が出来るっていうんだ。
彼女を守る以前に、全てが壊れ崩れ去る可能性があるっていうのに。
関係のない、自分の今の家族でさえも、崩れるかもしれないというのに。
これってやっぱり、俺があなたの息子だから?
あなたはワルシャワでこう言っていたもんね。
破滅させたいと思う人の気持ちがわかるって。
#33へつづく