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あなたがそばにいれば #Prologue

Natsuki


数年前の冬、ベルリンにてー。

「わ、雪。こっちって雪が降った方が、なんだかあったかく感じるから不思議」

当時まだ恋人だった遼太郎さんに会いに訪れた二度目のベルリン。
前の年と同じように、年末年始を利用した。

最初の年は弟の春彦と一緒に。
その年は私一人で。
もう一人で飛行機に乗ることも平気になった。
彼が私のPTSDを乗り越えさせてくれた。

イーストサイドギャラリーを2人で訪れていた時、雪がちらついてきた。

「こっちはとにかく乾燥して、凍てつく寒さだからな。今日は風がないせいもありそうだけど」

そして彼は私を見下ろすと、プッと吹き出した。

「なに?」
「夏希の鼻、赤くなってる」

え? と思う間もなく、彼は私の鼻の頭にキスをした。

「ちょっと…! こんな人通りで…」
「ここはベルリンだよ。日本じゃない。こんなの日常だから」

彼はそう言って笑って、口づけをした。

観光客で賑わう通り。特に気に留める人もいない。
こんなに大勢の人がいるのに、私たちは "2人きり" になれた。

* * *

ふと思い出す、彼と付き合い始めて三度目の、そんなクリスマス。

けれど2人で会うのは、当時は未だ数えるほど。
付き合い始めてすぐに、彼はベルリンに赴任してしまったから。

* * *

いきなりの国際遠距離恋愛だった。

彼は思ったより頻繁に日本に戻って来ることが出来ず、私も転職したばかりで有給がたくさんあったわけではなかったから、会うことは本当に限られていた。

だから会えた時は、恥ずかしくなるほど甘い時間を過ごした。

歩く時もぴったりくっついていたし、彼の部屋での滞在中も、ずっと抱き合って過ごした。
離れていた時間も距離も一気に縮めるかのごとく。

* * *

「遼太郎さん…跡、付けて?」

私の帰国が近づいたある日、ベッドの上でお願いした。

「離れていてもあなたを感じられるように、私の身体に跡を残して欲しい」
「きれいな肌してるのに、傷付けるのは抵抗あるな…」
「いいから。お願い」

彼は少し困ったような顔をしたけれど、鎖骨の下に唇をつけると強く吸った。
まるで赤い花びらのように残り、すごくきれいだった。

「もっと。もっとたくさん」

更にお願いすると、彼は身体のあちこちに薔薇の花びらを落としてくれた。

その姿に彼は興奮したようだった。

「外側だけじゃなくて、内側にも刻みつけてあげるよ」

そう言って彼は私の左膝の裏に腕を差し入れ、叫び声を上げるほど、奥深く突き刺す。

「これで身体もちゃんと憶えていられるだろ?」

耳元で彼がそう囁く。
背筋から頭のてっぺんまで痺れるような感覚に陶酔しながらも、頭の片隅では足りない、忘れてしまうと感じていた。

この時間が永遠に続くわけではない。
いずれまた離ればなれになる。

自然に流れた涙に彼は頬を寄せた。

それだけ濃密で甘い時間になるほど、別れの時はつらい。

帰りの空港で、私は子供のように泣きじゃくった。
それこそ人混みの中なのに、恥ずかしげもなく。

離れたくない、帰りたくないと彼の身体にしがみつく。

「ずっとそばにいて…」

彼は困った笑顔を浮かべる。

「ごめんな。もう少し辛抱して」

本当に子供をあやすように彼は言い、私の頭を撫でた。
時間ギリギリまで彼から離れることが出来なかった。

「早くしないと手荷物チェックも出国審査も混むよ。シーズンなんだから」
「…」

ゲートをくぐった後も、私が見えなくなるまで彼はその場に居て見送ってくれた。

* * *

薔薇の花びらが色褪せていく毎日が、つらかった。
帰国後の虚無感は激しかった。

会いたいのに会えなくて、つらすぎてどうしたらいいか分からず感情的になって、彼にあたった時期もあった。

当時一緒に住んでいた弟に本気で怒られた。
"つらいのは遼さんも同じなのに、自分だけ悲劇の主人公ぶらないでよ" と。

そうしているうちにある日突然、彼は日本にいる私の前に現れた。
指輪を持って。

真夏の陽炎が揺れる、私の30歳の誕生日のことだった。

* * * * * * * * * *

私が大学を卒業して就職した会社の配属先に彼、野島遼太郎はいた。

6年先輩の彼は部署の主任で、直属の上司にあたった。
以降、彼の下で5年間働くことになる。

彼は仕事においては非常にスマートな人だった。決断が早く、ダラダラしたり結論を出さない会議をとても嫌っていた。
考え方は合理的だったが、決して薄情ではなかった。自分も若くして役職に就いたせいか、後輩の指導育成にも熱心だった。
多くの仕事が彼の元に集まっていたような気がする。

一方で人のことをよく見ていて、見た目に敏感な女性並に変化をすぐに察知する。
指導は厳しかったがフォローもよくしてもらっていた。
上司からも部下からも、男性からも女性からも頼りにされているような人だった。

彼はあれよあれよと出世して、私が5年目で退職した時は課長になっていた。

私の退職後に偶然街中で再会し、2人で飲みに行くようになった。
勤めていた時には全く想像しなかったことだ。

やがて会社で抱いていた彼への憧れが恋心に生まれ変わってしまったことに気づいた。
その時彼は既にドイツへの赴任が決まっていた。

離ればなれになることがわかっていて、お付き合いしましょうなんてないと思っていた。

彼は社交辞令なのか『遊びにおいでよ』と言ってくれたけれど。

私は『好きです』と言った。

あの時の彼は目をまん丸くして驚いて、その後ものすごく慌てていた。
あんな姿、会社にいる間は見たことなかった。

そして私を抱き締めて『俺も好きだ』と言ってくれた時は、それまでブルーに染まっていたクリスマスのライトアップが、一気にシャンパンゴールドに変わったような感覚だった。

こうしてクリスマスにスタートして、1周年と2周年のクリスマスはベルリンで過ごし、3周年目で彼が半ば強引に一時帰国し、入籍した。
4周年目は彼が本帰国したから、結婚式を挙げた。

全部12月25日の、私たちのイベント。

そんな彼と結婚して、彼の弱さを知るようになった。

それは、過去に起こしてきた衝動的な行動が "恐れ" となって自身を苦しめること、結婚を機に何としてでも強くあって私を守るという意思が拮抗しているのではないかと思う。

2人だけの時は全く気にならなかったが、子供が生まれる前後で彼は心のバランスを崩しがちになった。

私はそんな彼の弱ささえ、たまらなく愛しく思った。
一人で抱えずに、全部私の胸の中で吐き出してくれればいいのに、と思った。

けれど彼は全てを曝け出してはくれない。

秘密なのか、嘘なのか。それとも愛なのか。

* * *

遼太郎さん。

あなたがそばにいれば、私は何にでもなれ、全てが愛しく煌めいていく。
あなたの全てを受け入れ、愛すると誓う。

あなたにとって私も、同じような存在ですか。


#2へつづく

※ヘッダー画像はにゃんたさんにいただきました。ありがとうございます

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