【連載小説】あおい みどり #18
~ 翠
ハンカチが出来上がった旨の連絡を受け、店に取りに行った。
「こちら、同じお色でイニシャル "A" が入ったものを2枚、でよろしかったですね?」
はい、と言い、1枚はプレゼント用、1枚は自宅用として包んでもらう。
『翠、なんで同じの2枚にしたんだよ』
蒼が話しかけてくる。でも、無視した。
『おい』
「言いたくない」
『なんだよ、別に大したことないだろ?』
まぁ、大したことはない。
ただ、南條が持つものと同じものを持ちたかったこと。
自分が持つのに、蒼のイニシャルが入っていれば違和感がないこと。
『本当に会って直接渡さないのかよ』
「私は蒼とは違うって再三言ってるでしょ」
『もし翠からのプレゼントだって気が付かなかったらどうするんだよ。誰のかわかんね、キモ!っつって捨てられるかもしれないだろ』
「それはそれで、別にいい」
『良かねぇだろ。いい値段してるんだし!』
蒼がギャーギャーうるさいので、結局小さなメッセージカードに「色々ありがとうございました」とだけ書いて忍ばせることにした。
『名前か、せめてイニシャルくらい書けよ』
「いいの、ほんとに」
『ったくよ!』
そうして、南條のいるクリニックに向かった。
*
19時過ぎ。
蒼がつべこべ言ったせいで、思ったより到着が遅れてしまった。診察時間はとうに終わっているため、早くしないと南條が出てきてしまうか、既に帰宅しているかもしれない。
駐輪場に入り、彼の自転車を見つけ出した。良かった、まだ帰っていない。
ピーコックブルーの自転車。それと同じ色のハンカチ。
青でもあり緑でもある。そして青でも緑でもない。
南條の自転車が愛しく思える。
いつか蒼はこのサドルをそっと撫でて、あの時の私はそんな蒼に "変態" と言ったけれど、気持ちはわかる。
私には出来ないだけ。
『翠、お前も人のことストーカー呼ばわりできねぇぞ』
「私は待ち伏せはしないから」
ドロップハンドルにハンカチの入った小さな手提げを下げ、すぐにその場を去った。
*
家の最寄駅から歩いている間にスマホが鳴った。南條の番号だ。心臓が止まりそうになる。
出ようかどうしようか迷っている間に切れてしまう。ため息。
けれど再び、鳴る。
「はい…」
『翠さん、こんばんは。突然電話してすみません。今…外ですか?』
「はい。家に帰る途中です」
『プレゼント、翠さんですよね』
あまりにもすぐにバレたことが恥ずかしくて、しらばっくれた。"ストーカー" という言葉が頭をよぎる。
「えっ…? な、なんのことですか…」
『こんな奥ゆかしいことするのは蒼さんではないだろうと思って』
「や…私でもない…です。先生人気者だから、きっと誰か、直接渡せない人がこっそり仕込んだんですよ」
『僕、こんなに素敵なもの、今までもらったことないですよ』
「え…ハンカチなのにですか?」
しまった、と思った。電話の向こうでは笑っている。
『ありがとう。好きな色なんです』
「…先生の自転車の色と同じだなって思って…」
『えぇ』
通話口の向こうから南條の息遣いを感じる。耳から全身へ熱が駆け巡る。真冬なのに、熱い。
「中途半端な色ですよね」
『でも、あおみどり、です』
南條の口から零れたその言葉に、突然ボロボロと涙が溢れた。
『翠さん…泣いてるんですか。僕何か、おかしなこと言いましたか』
「いえ…」
『でも…』
「先生の声を聞いていたら、なんか安心してしまったみたいで」
半分、嘘をついた。
『翠さん、まだ外ですよね? 家に着くまで話していましょう。泣きながら歩いて、怪しい人に声掛けられないように。防犯対策としては有効だと思います』
「えっ、でも…先生は、家ですか」
『僕は家です。そうだ、翠さんはご実家を出たんですよね。どうですか、1人暮らしは』
「いい感じです…先生がアドバイスくれたこと、ちゃんとやっています」
『良かった。食事はどうしているんですか。僕は今日は弁当を買って来たのですけど、クリスマスが近いせいか、唐揚げが多いんですよね。フライドチキンではなくて、唐揚げなんですけどね』
そう言って笑う。なんだかんだ、そんな風に会話は繋がっていった。遠回りをして帰りたくなる。
このままずっと声を聞いていたい。
「先生は一人で食べているんですか」
『そうですよ』
「寂しくないですか」
『…もう慣れました。翠さんは?』
「YouTubeとか見て、同じADHDの人が工夫している料理方法とかを真似して、出来るだけ作っています。出来合いのお惣菜とか揚げ物を食べたら、舌がピリピリしたり、肌が荒れたりしたので…」
『頑張ってるんですね。僕も見習わないとな』
南條はどこまでも優しかった。これまで蒼がかけてきた幾つもの失礼なことなど、決して触れない。
「…家に着きました」
『部屋に入りましたか?』
「先生、もし良かったら、一緒に…」
『? 一緒に、何ですか?』
「一緒に食べませんか、ご飯。話しながら…」
言っておきながら何を言っているんだろうと思う。
電話の向こうでは笑ってる。
「あ、でもお弁当でしたよね。もう食べちゃいましたよね」
『まだですけど』
「冷めちゃいますよね」
『温め直せばいいので』
「え…」
南條は『翠さんの食事の準備が整ったら、また掛けてください。急がなくていいですよ』と言って電話を切った。
*
靴を脱ぐのももどかしくバタバタと部屋になだれ込み、カバンを放り投げて大急ぎで食事の支度をする。
漬け置きしてある鶏肉を冷蔵庫から取り出し、レンチンしてから焼く。ご飯は解凍するだけ。味噌汁はフリーズドライのものを椀に入れ、湯を注ぐ。
それでも10分以上掛かっただろうか。急がなくていいとは言われたものの、仕事を終えてお腹を空かせてお弁当を買ったはずだ。待たせるなんて何てことをしてしまったんだろうと後悔する。
小さなテーブルに食事を並べて電話をかけようとし、野菜を入れ忘れたと思うがもう遅い。
「先生、ごめんなさい。遅くなって」
『大丈夫です』
南條はカメラをONにした。
「え、先生…」
『だって一緒に食べるのなら、顔が見えた方が一緒に食べてる感があるでしょう。翠さんも良かったら。無理は言いませんけど』
そう言われたら、自分もONにするしかない。まだメイクを落としていないから良かった。放り投げたカバンを部屋の隅に追いやった。
『…改めてこんばんは、翠さん』
「こんばんは…」
南條はアイボリーのVネックセーターを着ていた。部屋は思ったよりも全然気取っていなかった。家具はウッディカラーが多く、暖かみを感じた。…診察室も確か、似たような雰囲気だったな。
そんな自室にいる彼はとてもくつろいでいるように見え、表情がより柔らかい気がする。私はむしろ緊張してしまい、食事なんてどうでもよくなる。
『翠さんが作ったもの前にしたら、僕のなんてみすぼらしいな』
「そんなことないです! あ…私も鶏肉なんです、そこだけお揃いですね」
そういうと南條は笑った。
『クリスマス仕様ですか』
「そういうわけではないんですけど…鶏肉は比較的安いし」
『確かにね』
そして私たちは "晩餐" を始めた。南條のテーブルにはワイングラスも乗っていた。
「先生、お酒飲むんですか」
『飲みますよ。明日は休診日なんです。翠さんはあまり飲まないって言ってましたよね』
「すぐ頭が痛くなってしまうので…」
南條がワイングラスを傾ける度、喉仏が上下する。私も一緒に飲んでみたい。今度ぶどうのジュースでも買ってこよう。
…今度って、また今度があると思ってるの、私。へんなの。
蒼も向こう側で、南條の喉仏を見て興奮している。けれどちょっかいは出してこない。
南條もまた、蒼はどうしてる?とは訊かなかった。もしかしたら、南條は蒼のこと、本当に呆れてしまっているのではないだろうか。いつもだったら蒼の事を訊かれると面白くない気持ちになっていたが、今日は返って気になってしまう。
『でもこのハンカチ、色はもちろん綺麗だけどワンポイントがいいですね。オレンジの縁がすごく映えるし、刺繍も凝ってる。まさにカリブの海と太陽といった感じですね』
南條が贈ったハンカチと説明書きを見ながら言った。
「気に入ってもらえて良かったです」
『センスがいいですね、翠さんは』
「先生、蒼のこと…もしかして嫌いになりました? 呆れてますよね?」
ちょうど唐揚げにかぶりついたところの南條はキョトンとした顔をしている。
『そんなことないですよ』
「でも、先生に相当酷いことばかりしてる。自分勝手だし、ストーカー行為するし」
『蒼さんは自分の気持ちにとても正直なんですよ』
「この前ファミレスで、一緒にご飯食べて、その時に先生から昔の話を聞いたって…」
『あぁ…』
南條は苦笑いした。『なんか、話してしまいましたね。つまらない話を』
「つまらなくないです」
『翠さんも聞いていましたか?』
「…」
『裏切られた気持ちになりませんでしたか。こんな男に治療なんかできるかと』
「そんなことないです」
南條は寂しそうに笑い、グラスのワインを飲み干した。
「私を見て、その人のこと思い出したって」
『あぁ…』
「先生、まだその人のこと、好きなんですか」
南條は困ったように前髪をかき上げながら、僅かにトロンとした瞳をこちらに向けた。
『さすがにもう。10年経っていますから』
「その人のせいで、もう好きな人を作れないんですか」
『その人のせいではないです。僕のせいだ』
「先生は悪くない」
『悪いんですよ』
表情は変わらない。でも。
ー おい翠! お前、死んだ人間の事ほじくり返すの、最低だぞ!
大人しくしていた蒼が口を挟んできた。が、無視。
「先生がそれでもう人を愛さないなんて、何だか嫌なんです」
『…翠さんが気にすることではないですよ』
「気にします。だって…」
ー だって、何だよ!?
蒼が急かす。だめ。その先は言えない。
「…ごめんなさい、変なこと言いました」
『いえ。…それより箸進んでいますか? 僕はもう食べ終わっちゃいますよ』
私の方はまだ半分以上残っている。でもこれ以上食べる気も起きない。
「なんかもう、お腹いっぱいになっちゃいました」
『そんなに食べていないでしょう。翠さん、食べるの好きだって言ってたじゃないですか。僕はもう1杯飲みますから、まだつきあいますよ』
また涙が零れ落ちる。お酒飲んでもいないのに。
『翠さん、さっきも泣いていましたよね。今は部屋の中だから、泣きたい時は泣いてください。吐き出したい気持ちがあったら、聞きます』
南條の優しい声に、なかなか涙を止める事はできなかった。
ただ、吐き出したくてもあなたには言えない。
あなたが罪の意識を重ねてしまいそうだから。
#19へつづく
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