のこりもの【3/4】
「…こんばんは」
背後から声をかけられてハッとする。
水曜の18時45分。駅の改札で彼女と待ち合わせをした。
彼女のシフトが休みの日に合わせて、僕がなるべく早めに会社を上がった。
「あ、じゃ、じゃあ、行きましょう…」
僕はオドオドしまくりだ。こんなことではいけない。
彼女もぎこちない表情で付いてくる。
僕たちは駅の近くの和風居酒屋へ入った。
本当は小粋なイタリアンなどに入りたかったが、僕はこんな状態のうちに、かしこまったレストランのテーブルに着いて向かい合わせて座るというシチュエーションが耐えられず、並びで座れるカウンターのある店にした。
「あ、なんか、こんな店で、すみません…」
「いえ…」
僕も彼女も酒は飲めなくはないが得意ではない点で共通していた。僕たちはレモンサワーで乾杯をした。
「今日はお仕事が休みなのにわざわざ来ていただいて、ありがとうございます…」
僕がカウンターに額が付くほど頭を下げると、彼女は「いえ、そんな」と言った。
言葉が饒舌に出てこない代わりに、グラスだけがどんどん進んでいく。僕は1杯目からハイペースだった。
むしろ口火を切ったのは、彼女の方だった。
「飯嶌…さん。いつも買い物に来てくださってますよね」
「え、僕のこと、知っていましたか?」
彼女は黙って頷いた。
「遅い時間にたくさんお惣菜買い込んで、お仕事が忙しい方なんだろうなって思っていました。でも食べ物には気を使っているんだなって。ジャンクなもの、あまり買わないし、お酒も殆ど買わないし」
僕はビックリして、言葉が出なかった。
彼女は僕が "値引きシールのはられた惣菜ばかり買う貧相な男" だという事を知っているのだ。
しかも買っているものをこんなに詳細に把握しているなんて…。
「あ、いや…あ、そ、そうなんだ…。そこまで…」
「割と有名な会社ですし、お忙しいのでは?」
「そんな大きな会社でもないんですよ、社員数から言ったら大企業とは言えないし、たぶん…。僕は営業といっても法人相手にする、比較的安定した営業活動なので、キツいノルマとか鬼のような残業とかも、そんなには…ないです」
チラリと彼女を見ると、彼女はこちらを見ていた。僕は慌てて目を逸らす。
「成瀬…さんは、あのスーパーではアルバイトか何か、ですか?」
「私、正社員なんです」
少し恥ずかしそうに言う彼女を見て、僕は自分の言い方がまずかったかなと思った。
「あ、そうだったんですか…若く見えて…学生さんかと思って」
何とか上手いことフォローしようとした。実際彼女は学生と言ったっておかしくない。
「今年入社したばかりなんです。大学で環境科学を専攻していて、フードロスについて取り組みをしたくて、この業界に入ってみました。だから本当はサスティナビリティの部署に行きたいんですけど、はじめは現場研修ということで、今はレジにまで。パートやアルバイトの方たちからは何かと "社員だから" という目で見られますけど、逆に社員だったらもっとこう…。そういうジレンマがあります。販売部門の人数を多く抱えるようなスーパーだと、長く続けられるのかどうか、今はわかってなくて」
僕は再び彼女を見た。
彼女は「すみません。つまらない話してしまって」と俯いた。
「いえ! そんなこと全っ然ないですよ。僕だって営業とはいえ、うだつ上がらないし、この前同期からは "お前は残念なイケメン" とか言われて、口を開くとダメだとか言うんですよ。酷くないですか? あ…自分でイケメンとか言って、おかしいですよね…すみません」
彼女はそこでクスリと笑った。笑顔を見るのは初めてだった。
僕はちょっと安心した。
「飯嶌さんは、素敵な方だと思いますよ」
「え…?」
僕は驚いて彼女をマジマジと見る。目が合うと彼女は照れたように俯いた。
「あ…、でも僕、この前同期にこんなことも言われたんです。その…割引シール貼られた惣菜しか買わない男って貧相だって…やっぱり変ですか」
彼女はキョトンとした。
「そんなことないですよ。…そんなこと気にしてらしたんですか?」
彼女は笑った。さっきよりも明らかに。
僕はズドーン、と落ちた。
かわいいじゃないか、めちゃくちゃ。
「少なくとも私は変だなんて思いません。飯嶌さんは毎日、お仕事で疲れた様子でしたけど、丁寧な方だなって思ってたんです。横柄な態度のお客様もたまにいらっしゃるので、印象に残っていたんです」
どんなところが丁寧なのかはわからなかったが、僕は天にも昇りたい気分だった。
「あ、そっか…良かった…」
「私、飯嶌さんに話しかけられて、すごく驚いたんです」
ふいに彼女は言った。
「ま、まぁ、そうですよね。あんな時に突然話しかけられたら、迷惑ですよね」
「いえ」
彼女は僕の方へほんの少し身体を向けた。
「嬉しくて、驚いたんです」
僕は急に酔いが回ったようで、目の前がクラクラしてきた。
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つづく