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食事と音楽と男と女 #12

直人は10月からちょうど本業も忙しくなるタイミングもあって、どのみち店には出られなくなっていたな、と話していた。

彼は新規プロジェクトにPMO(Project Management Office)として参画することになり、アサイン先の会社へ出向くことが多くなった。

「ちょっと、話がある」

週末、いつものように直人の部屋に行くと、出迎えた彼は少し真面目な顔して言った。

「なに?」

「俺が前に付き合ってた人、以前常駐していた会社のプロパー社員なんだ。今のプロジェクトも同じ会社からのアサインで」

嫌な予感がした。

「今回のプロジェクトのメンバーに、その彼女がいる」

身体が瞬時に緊張する。

「えっ…じゃあ、顔合わせるってこと?」
「うん…。でも仕事以外では話したり、当然会うこともないから」

とは言っても、直人のせいではないとしても、決していい気分ではない。

「仕事で会うだけだから紗織に話そうかどうか迷ったんだけど、紗織が知らないままでいるのも良くない気がして、話した」

そうだ。何も起きないのであれば、知らない方が良かった気がする。
知ってしまった今は、何も起きなくても、妙に気になってしまう。

難しい。言わなければ秘密にされていたと思うだろうし。
複雑な思いでいっぱいになる。

「紗織…? 本当に大丈夫だから、心配しないで」
「うん…」

そう言われたら、とりあえずそう返すしかない。

「とりあえずわかった。でも、私からあまり連絡しなくなるかも」
「…どういうこと?」
「例えば妬きもちから、毎晩電話して、本当に元カノと何もないか探るような、そういう行動ってすごく嫌なの。やりたくないの。だから連絡そのものを取らなくなると思う」
「極端だな」

直人は困ったような顔をした。
「連絡したかったら直人からして」
「…それは別にいいけど…」
「週末は今まで通り、ここに来るから」

直人は黙って私を抱き締めた。
「なんかごめん」
「私の方こそ。直人のせいじゃないのに」
「そうだけど…、紗織はそうやっていきなり突き放すことがあるから、おっかないんだよな」

身体を離して直人を見上げた。
「前に言い合いっぽくなった時、紗織、ずっと携帯の電源切ってただろ? そういう突き放し方するじゃんか」
「ひねくれてるよね。私のこと、嫌いになる?」
「ならないよ。ただ、だったらもう週末だけじゃなくて、ずっとここに居てくれればいいって思う。突き放されなくて済むように」
「…考えておく」

直人は困った顔のまま、やれやれと言う風な笑みを浮かべた。

なぜ私は突き放すのか、と考えた。
それは、気を引きたいから。あなたから近づいてよ、と思うから。
なんて嫌な性格だろう、と思う。

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PMOって大変なんだろう。
PM(Project Manager)とPL(Project Leader)の間の取りまとめ、様々な管理、推進、改善…。
プロパーではなく個人事業主のエンジニアが入っている辺りが、プロジェクト遂行の難しさを物語っている気がする。外の人間でないとまとめられない。

直人は毎日遅くまで、ヘトヘトになるまで仕事をしていた。
今までは家でやっていた作業も、プロジェクトともなれば朝会や夕会、会議や相談など、直接顔を合わせて行わなければならないことも多いらしく、ほぼ毎日プロパーの事務所へ出勤している。

私は結局直人の部屋には転がり込まず、週末だけ泊まりに行く生活を続けていた。
連絡も、自分からはしなかった。直人も仕事が遅い時はメッセージだけ寄越す時もあった。

私は金曜の夜になると「Le petit rubis」を訪れていた。
直人の部屋まで近いから、というのもあるが、モヤモヤする気持ちを中村くんに会うことでうやむやにしている。

ずるいし、酷いなと自分でも思う。
元カノと同じ仕事をしている直人にヤキモキしているのに、私は中村くんに会いに行っている。
心のどこかで、直人にも私と同じ気持ちになって欲しいと思っているんだろう。

店では、中村くんには割と素直に話をしている。
今、直人の関わっているプロジェクトには元カノもメンバーにいるんだよ、とか。
中村くんは「大変っすね」とあまり裏表のない様子で言う。

今日のグラスの赤はProvenceのグルナッシュ/シラー。
シラーは、直人が好きな品種。彼の影響で好きになった。
キャンドルの淡い光が、ルビー色のワインを照らす。

「ナオトさんが職場で元カノと接しているから、紗織さんもここに来るんですか」
鋭いことを言われて、苦笑いする。
「そうなのかも」
「複雑ですね。僕はどんな理由であれ、紗織さんと話ができるのは嬉しいからいいですけど」

だからといって、中村くんと進展しているわけでもない。恋心が傾いている気も、今のところしない。

カウンターの上に置いておいたスマホに着信が入る。直人からだった。
『今から帰る。23時くらいになりそう』
「そう、晩ごはんは?」
『さっき軽く済ませた。紗織は?』
「私も済ませた」
『そっか。じゃあ後で』

「ナオトさんからですか」
カウンターの向こうから中村くんが声をかける。
「うん」
「今からナオトさんの家ですか」
「うん」
中村くんは笑顔を浮かべながらも小さくため息をついて「良い週末を」と言った。

「閉店までここにいるから、プロヴァンスの赤のグラスをもう1杯お願い」

* * * * * * * * * *

23時過ぎ。

かんたんに合鍵を作ることが出来ない鍵なので、一緒に暮らすわけでもない今はまだ、合鍵をもらってはいなかった。

オートロックのインターホンを鳴らしても反応がないので、マンションのすぐ側でしばらく待っていると、直人が帰ってきた。
「ごめん、少し遅くなった」
「ううん」

「寒いのに外で待たせちゃったな」
とエレベーターの中で直人が私を抱き締める。
「飲んできたから大丈夫」
「もしかして店に行ったの?」と直人は少し驚いた顔をした。

「うん。中村くん、元気そうだったよ」

直人は静かに「そうか」と言い、部屋の鍵を開けた。
その鍵をデスクに放り、ベッドに倒れ込んだ。
いつものように音楽を流してくれる。

聴こえてきたのはindigo la Endの「夜の恋は」だった。

「仕事、大変?」
「そうだな。でも佳境はこれからだな」
「泊まり込みとかあるの?」
「そこまではしたくないな。なるべく出社の日数を減らして、オンラインで出来ること増やしていきたいと画策中」
「出社したくない理由があるの?」

遠回しな言い方したな、と自分でも思った。
「通勤時間がもったいないからな。往復の時間だけでソースコードレビューに相当の本数を割り当てられる。通勤電車の中ではさすがにそれは出来ないから」
「なるほどね」

「サトル、何か言ってた?」

ふいに直人が訊いた。「何かって?」
「俺が気にしそうな何かを言ってなかったか、って」
「特に…そういうことは言ってないよ」

直人は素直だと思う。中村くんと何を話したか気になるからって、訊いてくる。
私は直人が元カノと何か会話したのか気になっても、訊けない。

私は直人に妬きもち妬かせて、困らせて、悦に入りたいのかな、と思った。
私が訊けずに悶々とする思いを、そんな形で彼にぶつける。

「直人の家が近いから、ご飯食べたり飲んだり、時間潰すのにちょうどいいから行っただけ」
「うん、わかってるけど」

私はベッドに近寄り、直人の隣に潜り込んだ。

直人は私の身体を強く抱き締めた。

「あんまり妬かせないで。色々手につかなくなるから困る。紗織だって同じじゃない?」
「うん…そうだよね。ごめん」

私は直人に相応しくないのかもしれない。こんな優しさに溢れた人に、どうしてこんなひねくれた私なんか。

好きだけど。大好きだけど。

何か歪んできているなって思う。
2人だけの世界でいられればいいのに、中村くんもいるし、元カノまで再登場した。

私たち2人を、世界の彼方に放り出して欲しいと思う。
抱き合っている間は、ひとつになれている間は他のことを何も感じずに済む私たちを、いっそどこか遠くへ。

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翌週末も、私は「Le petit rubis」にいた。

中村くんはいつもと変わらない接客態度だ。
「今夜もここでナオトさん待機ですか」

その言い方に嫌味は感じない。
「うん」

私は苦笑いで答える。

カウンターには小さな、店の窓際には大きなクリスマスツリーが飾られていた。
今夜のグラスはSaint-Émilion(サン・テミリオン)のメルロー。

「もうすぐクリスマスか」
「紗織さんたちにとって初めてのクリスマスじゃないですか。プレゼントとか、何するんですか?」
「うん、色々悩んだんだけど、何がいいかなって」
「ナオトさんは何くれるんでしょうね?」
「中村くんだったら、何を贈る?」
「え? 僕がナオトさんに、ですか?」

そうだなぁ、と言いながら真面目に考えてくれる。やはり中村くんはいい子だなと思う。
「僕からだったら世界地図とかかな。壁に貼れるような。あとは旅グッズとか。僕は旅の印象が強い人だから」
「旅グッズかぁ」

私の中では彼は食と音楽だ。
じゃあ、そのどちらかからセレクトするのがいいのかな…。

「紗織さん」

不意に改まって中村くんが言った。

「ここに紗織さんがひとりで来ること、ナオトさんは結構つらいんじゃないかって、ちょっと思ったんですよ、ね…」

あまりにも図星なことを言われて、驚いた。

「僕は…紗織さん会えて嬉しいです。でも…僕も男だから…僕がナオトさんだったら、会いたいわけじゃない元カノと顔合わせなきゃいけない、でも今の彼女は、彼女のことが好きだって言ってる男と会ってる…。僕だったらつらいです。ナオトさんは僕より全然大人だから、許容してくれてるんだと思いますけど」

私は何も言えなくなった。

「変なこと言ってすみません。僕は紗織さんのこと好きだし、お付き合いできたらいいなって思ってました。でも…僕はナオトさんのことも大好きで。その2人が付き合っているなら、2人が一緒にいることが最高に幸せなら、僕は応援というか、お2人に美味しいごはんやワインをサーヴすることをすべきじゃないかって、この前ナオトさんと会った後に、思ったんです」

「中村くん…」

「僕、最近同じ大学の子と付き合い始めました。クリスマス、ぼっちじゃ寂しいからって理由からなんですけど、でも、僕もとどまってばかりだと行けないよなって、思いました」

「私、直人に言われたの。あまり妬きもち妬かせないでって」

中村くんは頷いた。

「今度はお2人で店に来てください。あと、ナオトさんには何でも素直に、気持ちぶつけてください。あの人、全部受け止めてくれると思います」

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#最終話 へ つづく


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