【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Childhood #4
梨沙が幼稚園の年中になった頃、遼太郎は子供たちにドイツ語を教えた。耳が柔らかいのか言語センスが高いのか、2人とも上達は早かった。恐らくこの頃、遼太郎は自分が再びベルリンに赴任することを察していたのだろう。
そして梨沙が5歳の時、遼太郎の予想通り仕事の都合で家族でベルリンへ引っ越すこととなる。
環境が変化することへのストレスを懸念にしていたが、逆に梨沙の感受性の強さは、ベルリンで見るもの、聴くもの、触れるもの、何もかもに強く心を揺さぶられた。つまりは良い方向に流れた。
日本のあちこちで感じられていた "感情を逆撫でる刺々しさ" が、ベルリンに来てからは不思議とほとんど感じられなかったのだ。
日本が肌に触れるとチクチクするセーターなら、ドイツはシルクや綿の肌触り、梨沙はそんな風に感じていた。
街の片隅で流れる教会の鐘の音は、無宗教であっても高揚した。
家に近所に鐘を鳴らす教会はなかったが、家族で散歩していた途中で出くわした教会から鐘の音が響いた時は、雷に打たれたかのように身体が動かなくなり、釘付けとなった。それは蓮も同様のようだった。
曇天の下で鐘の音が鳴り響く街の様は、時を告げる鐘でありながら全てがそこで静止しているかのように感じ、心地良かった。
そんな光景が、幼い梨沙の脳裏に焼き付いた。
***
梨沙は蓮と共にベルリンの幼稚園Kidergarten(キンダーガーテン)に入園した。
日本のように年少・年長が分かれているわけではなく、3~5歳までの園児たちが一緒のクラスとなる。だから梨沙と蓮は同じになったが、あまり一緒には遊ばなかった。梨沙が蓮を好きではないこともあったが、子供たちなりに現地に溶け込もうともしたのかもしれない。
しかし梨沙はすぐに小学校Grundschule(グルンドシューレ)へ上がる準備が必要になった。学期が秋から始まるためである。
州にもよるが、ドイツでは8月~10月に6歳になる子供はその年の小学校に入ることができる。ただし専門医による身体測定や小学校の先生による語学力チェックなどの入学適正検査があり、これをパスしなければならない。
10月生まれの梨沙は瀬戸際だった。心配であれば1年遅らせることも出来る。
日本人学校、インターナショナルスクール、そして現地校とベルリンには豊富な選択肢があったが、遼太郎は梨沙にどこに通いたいか訊いてみると
「ドイツの学校がいい」
と答えたので、現地校の適性検査を受けることにした。
そのためVorschulkinder(フォーシュルキンダー)というドイツ語の補講学校にも子供たちを通わせた。
入学適性検査があることもそうだが、小学校とはいえ成績が悪ければ進級出来ないからである。受けるだけ受けて、そこで指摘されたら1年遅らせるでも良いとして、準備した。
感覚過敏の子供たち…梨沙も蓮も耳は良くそれなりに頭も良いようで、ドイツ語の発音も正確に、すぐにマスターしていったのだった。
一方で夏希はどうせいつか日本に戻るのだから日本人学校で良いのに、と思っていた。いくら本人が希望したとは言え、梨沙はまだ5歳なのだから、そんな重要な判断を子供に任せて良かったのかと思う。
また梨紗にそんな過酷な思いをさせてまで、半ば自分のトラウマのために家族全員でドイツにやって来たことをほんの少し後悔した。
夏希は学生時代に、海外赴任で離れて暮らしていた両親を事故で亡くしている。しかも事故現場はドイツ。
だから今回も遼太郎を単身赴任には決してさせなかった。家族がバラバラに過ごすのは絶対にダメなのだ。
特にそれがドイツの場合は…と思い深いため息をつく。
そんな心配を他所に梨沙の語学の関心は高く、Supermarkt(スーパー)などの商品を片っ端から音読していくなど、語学力はグングン上がり、親の心配をよそに難なく、身体測定や入学試験をパスした。
特に試験を行った先生からは「彼女の感性、表現力は周囲に強い影響を及ぼすでしょう。語学力も日々努力すれば問題なくついていけると思います」と言われ、むしろ両親は面食らってしまうほどだった。
無事に秋からグルンドシューレに通うことになった。
ドイツの小学校は大抵は4年間で10歳までだが、ベルリンでは日本と同様6年間だった。
しかし残念なことに梨沙は5年生になる時に日本に帰国してしまったため、卒業はできなかった。
そんな風にドイツ語でドイツ人と一緒に教育を受けていたが、いずれ帰国することもわかっていたため、夏希の強い希望で週に1~2回、日本語補習学校にも通うようになった。
夏希にとってもここでは日本人のコミュニティがあるため、ドイツ語はおろか英語もあまり得意でない彼女の拠り所でもあった。
入学前はドイツ語補講学校に通い、入学後は日本語補習学校に通う。何とも皮肉な話だ。
そしてこの日本語補習学校で、梨沙は周囲との "違和感" を強く感じていた。
なぜ日本人である梨沙が自分を異質の存在に感じるのがグルンドシューレではなく日本語補習学校なのか。グルンドシューレは周囲はほぼ "外国人" だというのに。
日本語補習学校は全員日本人だから顔も、髪の色も、背の高さも、身体の大きさも、みんな近しいのに。
しかし梨沙は落ち着かなかった。
キンダーガーテンでは自分の好きなペースで好きな事をすることが出来た。グルンドシューレでも誰も干渉することはない。思い思いにさせるのがドイツの風習でもある。
けれど日本人の学校ではやたらと「皆で揃って」が多かった。これは日本の習慣・風習を身につかせるために当たり前のことではあるのだが、梨沙にはこれが合わなかった。窮屈だった。
日本の幼稚園に通っていた時も、個々が能力を発揮させる時間は活き活きとしたが、みんなで一緒に歌ったり踊ったりする時はあまり楽しいと感じなかった。賑やかしい音楽が嫌な時も。
ひねくれ者だと、言われることもあった。
生まれてからドイツで過ごしている子供たちは、梨沙と同じ思いをしていた子も少なくない。いわゆる『協調性に欠ける』ということであるが、これが発達障がいに起因するのか、育った風土による気質なのか、微妙である。
「ママ、日本語の学校ってどうしても行かないといけないの?」
「そうよ。いずれ日本に帰るのだから、帰ってから日本のこと全然わからないと梨沙が困るのよ」
「困らない。私、パパと一緒にずっとこっちで暮らせばいいもん」
「梨沙、そういうわけにはいかないの」
「もういい! パパにお願いするから」
夏希はため息をつく。どうも娘は自分には反抗的で、お父さん子が過ぎる、と。
普通、母と娘は仲が良いものだと思っていたけれど。
これが夫の言う "普通ではない" ということなのだろうか。
***
「ねぇパパ。私とずっとこっちで一緒にいてくれる?」
遼太郎の帰宅後、出し抜けに梨沙がそう言うので夏希を見やった。
「日本語学校が嫌みたいなのよ」
「え、そうなの? 梨沙、何が嫌なの?」
梨沙は言葉に出来ず、遼太郎の脚に抱きついた。
「日本に帰りたくない」
「どうして?」
「こっちの方がいい」
遼太郎は腰を落として目線を梨紗に合わせると言った。
「どうしてこっちの方がいいの? 日本のどういうところが嫌なの? 言ってごらん」
「なんか窮屈」
「窮屈?」
ムスッと口を曲げていやいやをする梨沙の目を真っ直ぐに見て遼太郎は言った。
「日本は窮屈で、こっちは楽か」
「うん。だからずっとこっちにいたい」
「梨沙、いつかパパは仕事でどうしても日本に戻らなくちゃいけなくなる。そうしたら梨沙も一度日本に戻ることになるんだ」
「…」
「お前は純粋な日本人だ。いずれ日本に戻る時、お前は貴重な経験を積んで日本で日本人として過ごすことになる。そうしてもう少し大きくなったら、もう一度自分で判断するといい。ドイツで生きていくか、日本で生きていくか」
「ドイツがいいって言ったら、パパも一緒に来てくれるよね?」
「パパはずっと一緒にいられるわけじゃない」
「嫌だぁ!」
そう言って泣き出してしまったので、遼太郎は仕方なく梨沙を抱き上げると、すぐに泣き止んだ。
「お前は本当にげんきんなやつだな…」
呆れてそう言うと梨沙は「それ、悪口?」と訊いた。「悪口だよ」と梨沙の鼻をつまむと、梨沙は楽しそうにキャッキャとはしゃいだ。
ため息をついたのは夏希だった。
「どうして日本に戻ることがわかっていて現地校に入れたの?」
「梨沙が自分でそう言ったんだし、俺も折角の機会だと思ったからだよ」
「でも…帰国子女として日本の学校に戻る事を考えると…もっと日本に近い環境にした方が良かったんじゃないかって…」
「どっちにしたって中途半端にはなるよ。ここは日本じゃないんだから。だったら誰かが敷いたレールではなく、自分で選んで自分で責任を持った方がいい」
夏希は少し自分が責められているような気持ちになった。
私が "絶対に家族が離れ離れになってはいけない" と押したから。子供たちをここへ連れてきたのは、私なのだ、と。
夏希の眉間に皺が寄ったのを見て遼太郎も「ごめん」と謝る。
遼太郎はどうしても、子供の望んだ通りにしてやりたいという思いが強かった。才能を持ちながらもきちんとした教育を受けられず、それこそ中途半端になった "息子" がいるから。
何が正しいのか、最初からわかっていれば苦労はない。
#5へつづく
※ドイツでの小学校の様子、暮らし、感じたことなどはりーさんへの取材を元に書きました。もちろんありのままではなく物語として加工しておりますし、梨沙のモデルということとはまた違いますのでご了承ください。
りーさん、ご協力ありがとうございました。