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あなたがそばにいれば #3

Natsuki


一人目の梨沙を妊娠した頃は、彼の弟の隆次さんが実家から出てきて都内で一人暮らしを始めた時期でもあり、両親とうまく行っておらずいつも孤独だった隆次さんにとっては兄である遼太郎さんしか頼る相手がおらず、彼も何かと隆次さんを気遣ってよく会いに行っていた。

隆次さんとの会話にはかなりパワーを使う、と彼が話していたことがある。
自閉症スペクトラム(ASD)を持つ彼は、時折会話のキャッチボールが難しい時がある。
特に当時は隆次さんの精神状態もあまり良くない時期だった。

一方で彼は、会社では次長を務め "常に席にいない部長の代わりに実質的な部の統括をしている" と彼の部下で仲良しの飯嶌くんが話していたことがある。

それだけでも彼にも様々なストレスがある中で、それぞれの責任を期待以上に果たしていたのは超人的なことだと思う。

そこへ生まれてくる子供への心配が重なる。

そういう時は、会社から帰るとそのまま自分の部屋に籠もってしまう。
いつもはすぐにリビング挨拶に来てから部屋に行くのに。
だからそれが、彼があまり良くない状態のサイン。

籠もる彼の部屋のドアに耳をそばだてたこともあった。
いつも殆ど無音であったものの、時折うなされるような声が小さく漏れ聞こえることがあった。

そんな声が聞こえた時に一度だけ、ドアの外から声を掛けたことがあった。

けれど彼は冷たい声で一言

『放っておいて』

と言った。

ショックだった。

本当は部屋に飛び込んで抱きしめたくてたまらない。
何も出来なくて、悔しくて涙が溢れた。

しばらくすると部屋のドアが開き、そのままバスルームへ行きシャワーの音が聞こえてくる。

その後は私のところにやって来て、黙ったままとても強く私を抱き締める。

怖かったよ、とでも言いたげに。

私を見つめる表情は哀しみと憂いと恐れが混ざったような、まるで "阿修羅" のような、そんな表情だ。

私はそんな表情でさえも、美しいと思った。

* * *

何度も生まれてくる子供ついて会話を重ねるうちにようやく彼も落ち着いてきて、安定期に入ってからは彼から "自分がしっかりと守らなければ" という強さを感じるられるようになった。

私も一安心したけれど、私の精神面への影響を考えて気丈に振る舞おうとしてくれたのかもしれない。

そうして10月に長女の梨沙を出産した。

彼の "待望の" 女の子、だった。

* * * * * * * * * *

娘の梨沙が生まれるとすぐ、彼は会社から一目散に帰宅するようになった。

梨沙に言葉をかけながらあやしたり、風呂入れも進んでしてくれたり、やっぱり生まれて来て嬉しかったんだろうな、と思っていた。

けれどしばらく経って、娘が言葉にきちんと反応するかどうか、必死だったことがわかる。
梨沙はおとなしい子だった。夜泣きもそこまで酷くない。
返って彼はそれがとても気になったようだった。

自分の娘に障がいが遺伝しているのではないかと、酷く怯えていた。

ASDの自分の弟を見ているから。

友達ができない。
それ以前に、良好なコミュニケーションができない。
両親でさえ、そんな弟には愛情を注がなかった。

そういったものを彼は見てきたから。

娘にそんな境遇になって欲しくないと、彼は必死だった。

まだ診断を下すには早すぎる。
わかっていても、彼は気がかりで仕方がない。

けれど梨沙は大人しいながらも順調に育ち、ハイハイやつかまり立ちやあんよなどの成長イベントに、彼は心から喜んで、そしてはしゃいでいた。

そして梨沙が1歳になる頃に「パパ」と発した時、涙目になって頬ずりをして、その喜びようと言ったらなかった。見ていて少し気の毒になるくらいだった。

「梨沙はきっと大丈夫よ。言葉にも反応するし、ハイハイし始めたのも標準的だよって先生も言ってたでしょ?」
「そうだな…」
「それに障がいの進行の要因には幼い頃の家庭環境にも起因することがあるって、私もネットで読んだことがあるよ。隆次さんの時はご両親が…あまり優しくしてあげなかったって遼太郎さん言ってたよね。でも私たちは最大限の愛情を梨沙に注いであげられてると思うし、大丈夫よ」

彼はいつも自分に言い聞かせるように厳しい表情で頷く。

あの頃は娘よりも、彼のことの方が心配だった。



#4へつづく

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