あなたがそばにいれば #22
Yugo
20時近いオフィス。
野島次長が帰り支度をしている所を突撃した。
「次長」
僕の声に顔を上げた次長はとっても疲れた顔をしていた。
ちょっと誘うのが憚られるほど。
「なんだ?」
それでも次長は僕の話を聞こうとしてくれる。
「あ、あの、最近飲みに行ってないな~と思いまして…どうですか? ちょっとお疲れのよう…ですかね」
僕も少しビビりが入ってしまい、オドオドしてしまう。
「飲みか…悪いけどちょっと今、酒は飲めないんだ」
「え…そうなんですか。もしかしてダイエットですか? 最近次長めっちゃ痩せましたもんね…ってか次長は元々痩せる必要ぜっんぜんないのに」
次長は笑った。でもいつもより力はない。
「ダイエットなんかしないよ」
「え…じゃあ、どっか悪いんですか」
うん、そうだ。と言われたらどうしよう、と思いながら、訊いてしまった。
でも次長は呆れたようにため息をついて言った。
「軽く飯でも行くか」
* * *
次長はお酒も飲める店に連れて行ってくれた。
「優吾は飲んでもいいぞ」
「いや、元々僕お酒強くないし、次長が飲まないのに自分だけなんてそんな恐れ多いです」
って僕が言ってるのに、次長は勝手に僕が好きなレモンサワーを頼んでいた。
「僕の話、全然聞いてないですよね?」
「心の声は聞いたつもりだ」
「さ、さすが。次長には絶対敵わないわ」
やがてレモンサワーとジンジャエールが運ばれてきた。
「意外なもの頼まれるんですね。次長はジンジャエールが好きなんですか」
「好きっていうか…弟がよく飲んでるんだよな。俺の弟も酒がだめで。一緒に飯食う時はいつもジンジャエール飲んでる気がして。あと俺、ウーロン茶が好きじゃないんだ」
「へぇ、そうだったんですか」
前に次長の奥さんが、次長は自分の弟さんのこと、すっごく大事にしてるって話てたな。確か…弟さんは発達障がいがあるって言ってた。
「次長って弟さんと仲良しなんですね」
「仲良しっていうか…まぁ、アイツ独りだから」
次長はどこか遠い目をして言った。
「育ち盛りの優吾は食いたいもん何でも頼めよ」
「僕そろそろ育ち盛っちゃマズイんですけどね。次長は何食べます?」
「俺は何でもいい。っていうかあまり食べられないけどな」
「…気になってたんですけど、次長ほんとに痩せましたよね。普段も食べてないってことなんですか? 本気で具合悪いとか?」
次長はフッと笑ったけど、それには答えず話題を変えた。
「そういえば優吾の彼女が毎週木曜に来てくれてる件、夏希もすごく助かるって言ってるよ。梨沙の面倒もよくみてくれるし買い物とかまで。話し相手にもなってくれてって、喜んでるよ」
「良かったです。美羽もめっちゃ楽しんでますよ」
ちょっと穏やかな表情になってきた次長は、お通しで来た小鉢を突きながらポツリと言った。
「優吾は彼女と結婚は考えてるのか?」
僕はちょうど飲みかけていたレモンサワーを吹き出…さず、鼻へと逆流させた。
むせ返る僕を見て次長はおかしそうに笑った。
あぁ…笑ってくれたならいっか…。
いやいや良くないから! 僕そこまで身体張らないから!
「えぇ…? 次長アレですか、仲人やらせろとかそういうこと言い出しますか。僕は仲人立てませんよ」
「今どき仲人立てる結婚式やる人いるの? 優吾こそいつの時代の若者だよ」
むせ返りが落ち着いてきた所で、次長は少し真面目な顔をした。
「冗談はさておき、お前ももう30になるだろう? 彼女がいるならそういうこと考えないのかなと思ってさ」
「僕はそうですけど…彼女はまだ25歳だし」
「年齢は置いといたとしても、考えたりしないのか。あまり願望はないのか」
「う~ん…考えてもいいのかな…どうなんだろう」
う~ん…って、今日無理やり次長を誘ったのは僕が誘導尋問されるためじゃない!
前田さんの頼まれごと!だから!
「それはそうと、梨沙ちゃんももうすぐ2歳ですよね。2歳って魔のイヤイヤ期って言いますよね。それに下の子も生まれたばっかりで…やっぱり大変ですか? よく家に怪獣がいるようなもん、って聞きますけど…」
次長は勝手に2人分の飲み物のお代わりを注文していた。
「彼女話してないのか? 梨沙は結構大人しい子で、怪獣にはなってないぞ」
子供の話をする次長は、幸せそうな顔をしていた。
「そうでしたか…最近、次長がすごくお疲れのようだったので、小さい子が2人いると大変なんだろうなって前田さんとも話してたんですよ」
すると次長は急に真面目な顔をした。
「前田も気にしてるって?」
「あ、はい…」
そこへ2杯目の飲み物が運ばれてくる。
次長は僕がレモンサワーを飲むところをじっと見、たぶん吹き出さないタイミングを狙って言った。
「優吾には話しておこうかな」
ドキリとする。
サンドバッグの出番だ。
しかもなんか今の言い方からしてめちゃくちゃパンチ重そうだ。
「僕、何でも聞きます」
「頼もしいな」
次長は笑顔を作ったけど、なんか弱々しい感じだった。
「今…薬を飲んでる。睡眠薬だ。だから酒が飲めない。最近少し日中に影響が出てきて…まいったなと思ってるんだ」
「え…、そ、そうだったんですか…」
「仕事に影響し出したら真っ先に迷惑被るのは優吾や前田だからな。だから伝えておく」
「子供の夜泣きで眠れない、とかですか」
次長は頷かなかった。酒を飲んでるわけでもないのに、その目が少し虚ろになる。
違うのかよ。頷いてくれよ。
単純な理由であって欲しかった。
「優吾さ」
次長はちょっと身体を僕の方に向けた。
もう一発来るな、と思った。大きめのストレートか、フックか。
「俺が誰にも言ってない秘密をお前に話すって言ったら、どうする?」
僕はゾクっとした。
次長の表情が妖艶だったからだ。
男の僕がそんな感じ方するのはおかしいと思う。
でも。
この人は怖い人だ。
どれくらいの人にこういう "毒" を盛ってきたんだろうって思うほど、ゾクゾクする表情だった。
「さすがに奥さんは知ってる話ですよね?」
「いや」
マジか。
僕のサンドバックはもう前後左右に揺さぶられそうである。
あまりにもタジタジの顔をしていたのか、次長は僕を見て笑った。
「冗談だよ」
「…へ?」
「何でもない…忘れてくれ」
次長は頬杖をついて顔を逸らしてしまった。
「あっ、あいや、聞きます! 聞かせてください僕で良ければ!」
奥さんの言葉を再び思い出していた。
"飯嶌くんのこと、そばに置きたい存在なのよ。私の弟でも、自分の弟でもなく。彼にとって素直な話ができる人、話を聞いてくれる人って、飯嶌くんなのよ"
人は抱え込んでしまうと、いつかキャパオーバーになる。
次長は真面目な人だから、僕みたいにいつでもゆるく何かが出ていってしまったり、すぐに吐き出してしまうようなことはしない。
だから溜め込んでいるのかもしれない。
その吐き出し先として唯一僕を選んでくれたのかもしれない。
大袈裟かな?
僕が真面目に次長を見つめると、次長はまた弱く笑った。
「笑えない話だけどいいか」
「むしろ次長からあまり笑える話を聞いたことがない気がしますので、大丈夫です。覚悟は出来ました」
次長は僕の頭を小突いた。でもすぐに鋭い目つきになって
「誰にも言うなよ。優吾の彼女にも。夏希に話が他所から流れるようなことは絶対に避けたいから」
と言うので、僕は唾を飲み込んで変な汗をかき始めていた。
* * *
その夜次長から聞いた告白に、僕は完全にノックアウトした。
サンドバッグのチェーンは切れ、バッタリと倒れ込んだ。
酒のせいじゃない。
僕は何度も耳を疑って聞き返したりしてしまったけれど、酔いが一気に醒めるほど強烈な話だった。
「…軽蔑するだろ、俺のこと。前も言ったけど俺は尊敬されるような人間ではないからな」
話し終えた後の自嘲するような表情には胸が詰まった。
「…いえ…そんなことは…」
「お前、そんなにおめでたいやつか? 普通は軽蔑するもんだと思うけどな」
普通はそうかもしれない。
でも普通じゃない。
次長が普通の人じゃないから。
そしてどうしてそんな告白を僕にしたのかということに、少し興奮していた。
「僕はどうすることも出来ないですが…次長を軽蔑したりしません」
「どうしてだ?」
「あなたは僕のことを…選んでくれたからです」
次長は悲しみを湛えた笑顔を浮かべた。
その笑顔さえ恐ろしいほど、ゾクゾクした。
僕も立派に毒を盛られた一人なのだ。
#22へつづく