森と人のお話 2016.2.22
水浸しの床になってしまった教室を後にして💦
都内まで森のお話を聞きに行ってきました
先日のセミナーでも森と人のお話を聞いたこともあり
ふと、思い出したことがあります
戦後に、私の祖父母は青森で製材所を営んでいたことがありました。
なので、後継の父も高校が林科。
母と結婚したとき、その記念に植樹した木が山にあるそうで、そこは、男兄弟のために祖父母残した4つの山の一つに植えたそうです。
山を一時仕事にした父ですが海のことも詳しい。
軍人だった祖父の関係で、小学校の頃、小笠原の父島に住んだことがあったそうです。海も山も堪能した子ども時代の話をよくしてくれました。
幼い私を散歩に連れ出すと、すかんぽの赤い幹を折って、山で飲み物がなくなったら、これをしゃぶると渇きをいやせるとか、大きいグミの実が赤く完熟になったのをとってきてはこれは森の高級なおやつという。
小さな頃は、横浜もまだ山奥で山で生きる知恵をたくさん教えてくれたのを
森の葉っぱの香り嗅ぐと思い出します。
自然と離れすぎて
今日聞いた山のお話は子ども時代が豊かだった数十年前のキラキラな頃の若い父と母の昔話と、私が真っ黒になって山との対話が出来た子ども時代を思い出します。その頃、少し都会から横浜の田舎へ引っ越してきたばかりの小学2年生。なので、少し先にある森に入るのには大きなお兄ちゃんやお姉ちゃんがいないといけない場所だった。
昔話といえば、津軽の田舎に住んでいた母の嫁入りのお話も面白かった。
まるで昔話のようなのですが(笑)田舎の嫁入りってそんなだったんだって思います。
嫁入りにはやらないといけない儀式があったそう。
まず、お嫁さんになる母の家に父の兄妹たちが迎えにいく。
すると母の兄妹たちが
「歌っ子歌わねと、嫁さやらねぇ」という。
そういうと父の兄弟が
「では歌っ子歌うべ」と言って民謡を歌う。
1曲目はまだまだ
2曲目でもまだまだ
3曲目でようやく嫁入りがOKになる。
どんな歌を歌ったんだろうって聞いてみたけど、その歌のことを知らなかったこともあって忘れてしまった。
でもそのお話は、ウソのように昔のどこかの山の民族のようなやりとりだ。
道は砂利道。その上を花嫁姿の母が歩く。
近所の子どもたちはそれをチラチラ見ながら
「きれいな嫁さん」って騒ぐ
そんな中でも歌は歌われていく。
山の民はドラムの音で情報をキャッチしたっていうけど、歌もきっと情緒を表現する手段なんだなぁって思う。
「高砂や〜」って今の結婚式ではあんまり聞かないけど昔の式ではそれが当たり前だった。あ、私の時はどうだったっけ。。(笑)
さて、父の弟で教師だった叔父の趣味は山菜取り。
青森の山奥で輝くような葉っぱを1度だけ尋ねた姪っ子夫婦に食べさせてくれた。天ぷらにいい山菜はこれ、おひたしに合うのはこれ、日本酒をわざわざ酒蔵に作られるような趣味人で、山奥の貴重な葉っぱをいろんな調理法で迎えてくれた。
「こんな珍しい山菜のある位置をどうして知ってるの?」
「珍しい山菜の場所は誰にも秘密。でもなぜそれがあるかがわかるのかは、山菜取りをしていると、ここだよって秘密の場所が光って教えてくれるんだ」
森と人が「いいよ」って言ってるみたいなお話し。
父や叔父が元気なうちは森と人がこんなふうに会話して共存できる時代だったと感じます。
あの山も、父島の話も、
父の生きてる時に行くことはなかった
「もう一度行ってみたかったなぁ」
すでに飛行機に乗れなくなってた頃の父がそんなことを言ってたな。
想像の中の夢の場所になってる父と母の二人の結婚記念の木。
誰もその木のいわれについて知らないから、ただの木として、そのうち伐採されてしまってるかもしれない。
私が唯一知ってる情報は、それは「桧」ということだけ。
いつか縁あればその森の木に会いたいな。
2016.2.22
2024.10.4 rewrite
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