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同人誌とか・・作ってみようかな・・。

小さい頃から絵を描く事が好きだった。友達と遊ぶ時は大体絵を描いていた。お互いが描いた絵を褒めあう平和な世界。

そこが自分のお絵かき人生の原点。今でも絵を描いて良い反応をもらうと、物凄く嬉しい気持ちになる。誰かに褒められたくて、素敵と言われたくて絵を描いていた幼少時。子供の可愛い望みだった。

だが身内の反応は違った。母親は私の絵をチラリと見るなり「落書きだ」と鼻で笑った。そこでヒビが入った。純粋に頑張っていた気持ちに冷水を浴びせられた。心の傷として今も根底に残っている。お前には才能が無い、安定した職業に就いて家にお金を入れろ。こんな事ばかり言われてきた。声を無駄に張り上げて。

追い打ち。小学校に入り、学年が上がるにつれて友達は遊んでくれなくなった。「飽きた、後輩の子の方が面白い」と言って。担任は私を狙い撃ちして体罰を行った。クラスのほぼ全員が敵に回った。家での毎日の虐待で憔悴し、無抵抗が板についた自分は恰好の的だった。

私はどうも「ええかっこしい」に嫌われる傾向のようだ。後述するが心労が祟って辞めた会社の上司もそういう人間だった。表面は良い人ぶり、周りに人がいなけりゃ汚い顔でニヤニヤ笑い嫌味を言う。周りに人がいれば一緒に馬鹿にしようと仕向ける。

担任もそういう人間だった。そういう人間でも結婚出来てしまう。卒業文集で何事も無かったかのように「良い先生」を演じたコメント。怒りを感じた。でも、何も出来ない。悔しくて仕方が無かった。

弱いものは淘汰される。人間の本能。やがて外では言葉を話す事が出来なくなった。家に帰っても地獄の時間が待っている。夜になる度耳を塞ぐ。父親の罵声が聞こえないように。

こんな自分の居場所は、無理やり習わされたピアノ教室。そしてゲームとお絵かきだけだった。ピアノの先生は無口で一切話さない私を優しく迎え入れてくれ、生徒のために置いてある少女漫画雑誌を眺めながら楽しく過ごせた。ピアノも楽しかった。元々幼稚園のオルガンを弾いて遊んでいたから。無理やり習わされるのが嫌だっただけで。そこだけは親に感謝する。周りが子供に習い事させてるからじゃあうちも・・という軽い理由だろうが。そういう親だ。

少女漫画には萩尾望都先生のちょっと恐い漫画が載っていたのを覚えている。妙に引き込まれた。繰り返し読んだ記憶がある(内容は覚えていない)綺麗な絵だなぁと思った。さくらももこ先生は面白いし、チャチャも大好きだった。アニメと違ってびっくりした。少女コミックはちょっと早かった。ドキドキした。

ありのままの自分を受け入れてもらった経験もまた、心強さになっている。自分がもう一個の仕事として占いの道を志したのも、自分のような生きづらい人を救いたい気持ちが根本だったから。今は絵にばかり注力してしまっているけど。ちゃんとするから今はちょっと待って欲しい。


五年生になると友人と言える友人が出来た。転校生で自分の事情など何も知らない子。いきなり話しかけてきたが無口だったので相槌で応対した。これで彼女も私を避けるようになるだろう、そう思っていた。

なんと彼女、懲りずに話しかけてきたのだ。何度も、ちょくちょく、何かある度に。変わり者だ。今も付き合いがある親友だが、やっぱりちょっと変わってると思う。だからこそ付き合ってくれたのか。私の友人は少ないけど、揃いも揃って変わり者ばかり。頼もしい、尊敬出来る変わり者たち。

友人はいてもやっぱり風当たりは強かった。担任は仕事にかこつけてやたらと体を触りたがり、クラスの連中は標的探しに夢中だった。弱みを見せたらいじめられる。ゲロを吐いた女子が新しく標的にされた。教師の車のフロントガラスを破壊してやったと笑いながら自慢する男子。やり過ぎだし犯罪。当時もドン引きした。いくらセクハラ教師でも・・うーん。

外は恐い。人と極力関わりたくない。長年の悪い人間関係が今の自分を形作った。現在は、外に出るのは良い。だけど物凄く人見知りだから信頼出来る人としか関わりたくない。他人を警戒してしまう。

私には絵の才能も、ピアノの才能も無い。浮き草稼業はやめろと親に全否定される。うちには金が無いから。本来子供に使うべきお金は全部親の趣味に注ぎ込まれるから。親に都合の良い子供、それが親の理想だ。外では見栄えよく、親を引き立てるように動け。命令に従え。気に入らないと反省会と称して車の中で叩かれる。こんなんでよく今まで生きてきたもんだ。


恐ろしい事に、親の操り人形だった自分は、中学を卒業する辺りまで「自殺」という方法すら考えなかった。そんなものが存在するとは思ってもいなかった。救いようの無い馬鹿だったから。もし知っていたら実行したか。分からない。苦しい事が当たり前だったから慣れてしまっていた。これが日常だった。みんなのサンドバッグとして生きていた。

高校時代だけは天国だった。家に帰りたくなかったほどに。誰も自分をいじめないどころか、一緒にオタク活動してくれた。絵を喜んでくれた。漫画を貸してくれた。だるまさん転んだで何故かツボに入って笑い死にかけた。あまり勉強を頑張らなくていい学校だったからか。制服が可愛いのが取り柄。

天国はすぐ遠ざかり、会社でパワハラを受けていた頃も、苦しいのは当たり前、自分は無能だから言われて当然、そう考えながら耐えていた。理不尽なおばさんにろくに仕事を教えてもらえず、言ったとおりにして怪我をしそうになったら「言う事を聞かないから」と笑われた。

そういう人間を「仕事が出来るから」「この現場に必要」「お前が異動しろ」「あの人は気まぐれだから」。おばさん(いえ、クソババア)と一緒になって私を苦しめた上司。今は会社の上層部にいる。私を休職に追い込んでおいてお咎めは無しという。むしろ私が悪人として扱われた。

そういう事がまかり通ってしまうこの会社を心底嫌悪した。こんな会社で頑張りたくない。人生を捧げたくない。やっと思う事が出来た。自分の意思というものが首をもたげてきた。

使えない人間を弾き、使える人間を大事にするのは組織として必要だし当然の事、と世の意識高い系ビジネスパーソン様方はそう仰るだろう。ふざけんじゃないよ。そういう考え、大っ嫌い。効果的な事は何もしてない癖に。理解しようとしない癖に。言い訳など聞きたくもない。

もう組織で働きたくない。自分の力で生きていきたい。やれる事やって玉砕したらば人生に後悔も無かろう。どうせこんな人生だ。泣く者もあまりいまい。希望半分、半ばやけくそと心労で仕事を辞めた。給料も驚くほど安かったし。辞める時はいともあっさりだった。あっそ、って感じで。いなくなって良かったのかもしれない。人を駒としか思ってない会社。どんどん人がいなくなって潰れればいいのだわ。


貯金無し、人脈ほぼ無し、人間性アレでも夢で食って行けますか。挑戦は始まったばかり。捨て鉢になれる事が強み。無敵の人に近い。

最初から普通の人生なんて存在しない。望めば心を蝕まれる。逆境に生まれ逆境に死ぬ。それが私の人生。逆境の中に活路を見出し、戦いながら強くなる。バトル漫画の主人公のようだ。打ち切りになるかどうかは自分次第。やろうと思えばいつでも打ち切れる。

いつでも出来る事なんてするもんじゃないよ、なんて坂口安吾は言った気がする。でもパワハラ時代は「死」を支えに生き延びてきたから、これも一つの考えとして許して欲しい。いつでも死ねる、は最強のセーフティネット。

決して真似してはいけない。私だから出来る事。私でないと駄目だ。手首も切れないヘタレだから大丈夫。多分。


それと今回のタイトルがどう結びつくんだよ、という話。好きな事で食べて行く手始めにラインスタンプを作り始めたがやっぱり心許無い。

一応絵を描けるのだから、趣味で描いた漫画の電子書籍化(同人誌として)を考えてみた、そういう話。好きな事で食べて行くの一環。二次創作だし強気に出るつもりは無いけど、少しは足しになったら良いな・・と。自分の絵を好きになってもらうため&練習のために毎日xに一枚絵をアップする事も始めた。

引きこもりながらでも「好き」で生活して行けるように。頑張りたい。そのために一人もがく。今は孤独でも仲間がいつか出来るかもしれない。そう希望を持って。ささやかでも発信しなきゃ仲間も出来まいて。

長々と語っておいて申し訳ない。
でも今書いた内容もコミックエッセイとかにして売れる・・?そこもちょっと考えてみよう。この散々な人生を金に換えてやりたい。ある意味強みで個性だ。誰とも被らない、自分だけの人生だから。転んでもただで起きてやるものか。


お付き合いありがとうございました。

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「でっかいでっかい三毛猫の幸せって何?」

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