勝手に生きる。
「やってあげている」
私の生活は日々、本当にこいつとの闘いだ。
遠い昔、1つの部屋に2人で暮らしていたとき、自分の中に住みついたこの存在に気が付くことができていれば、もしかしたら今は変わっていたのかな。なんてことを考えたりもするけれど、私以外誰もいない部屋でこうしてパソコンに向かっている私には、ただの思い出話にすぎない。
それでも毎日、毎日、こいつと戦っている。
その証拠にほんの少し前にも、こんな記事を書いている。
塾講師という仕事は、ある種の人気商売だと思っていて、
授業はもちろん、性格、実績、見た目、ときには性別なんてものまでが仕事に影響を与える。
だからこそ、選ばれないということも日常茶飯事なわけで、それゆえに対抗心や独占欲もよく顔を出す。
「負けたくない」「自分を選んでほしい」そんな想いが生まれるのは当然だと思っていて、別に悪いことでもないと思う。
けれど、そこにあいつが絡んできてしまうと一気に状況は悪化する。
『こんなにやってあげているのに』
少しでもそう思ってしまえば、気持ちは一瞬にして濁ってしまう。
つい先日も、そんな風に濁った想いを持て余していた。
けれど、ふと気づいた。
『仕事だからやっているんじゃない。
やりたいから、好きだから、仕事にしたんだ』
人に教えるのが好きで、わからないことをわかりやすくするのが好きで、
人が自分の人生を生きていくためのサポートがしたいと思って、
この道を選んだ。
つまりは、全て私の都合。
それをやる機会を毎日与えてくれている会社。
それを受けとってくれるだけでなく、色んな気付きを与えてくれる生徒。
感謝はしても、何かを求めるのは違う気がした。
責めるなんて、もってのほか。
だって、全て私が勝手にやっているんだから。
そう思うと随分と長い間、持て余していた「やってあげている」という感情が急にバカバカしく思えた。
やりたいこと、好きなことを、私が勝手にやってるだけなんだ。
だからただ、勝手にやり続ければいい。
そうやって勝手ができることに感謝しながら、
自己満、おせっかい、上等で。
今はまだぴんと来ないけれど、それができるようになったとき、この部屋に誰かがいるなんて日がやってくるのかもしれない。