「どんな私でありたい?」
そう問いかけられる度、私の思考は止まっていた。
数年前、自己啓発が流行り始める少し前のことだ。私は自分探しに必死だった。そんなとき、信じるべき”何か”を見つけ、それを信じて疑わない眼をした人たちから、何度もそんな問いを投げかけられていた。「理想のあなたは?」「なんでも手に入るとしたら何が欲しい?」そんななんてことない問いがいつも私を追い詰めていた。
物欲がないわけではない。したいことがないわけでもなかった。けど、そうやって絞り出された答えはいつも、なんだか私ではない誰かの出した答えのような気がして、気持ち悪かった。
あの頃、あんなに苦痛で仕方なかったあの問いを今、私は自分で自分に問いかけている。
「どんな私でありたい?」
今なら、あの人たちにちゃんと答えられるだろうか。
「私は『私』でありたい」と。
そんなことを言えば、きっと彼らは大きく開いた瞳孔をさらに大きく開いて、まるで異星人でもみるかのように私を見ただろうか。もしくは、哀れみに満ちた目と、猫撫で声で何かを語りかけてきただろうか。
そのプレッシャーに押されてしまうだろうけれど、きっと今なら笑ってその場を立ち去ることができる。そんな気がする。
ずっと探してきた自分は、ずっと目の前にいた。
そしてそれは、この先もずっと変わらない。
欲しいものはたくさんある。やりたいことだって、実現したい理想だってたくさんある。けど、それは日々形を変える。昨日の私と今日の私が同じではないように、欲しいものも、やりたいことも日々変わっていく。そんな毎日の中で、唯一変わらないことは、「私が『私』でありたい」ということなんだと気付いた。
「私が『好き』だと思える『私』でありたい」
『好き』な服を着て、
『好き』なメイクをして、
『好き』を仕事にして、
その『好き』のために準備して、
『好き』な音楽を聴いて、
『好き』な言葉を使って、
『好き』な人たちに囲まれて、
そんな1日が、
そして、私が『好き』だって
そう思いながら眠りにつく。
そんな日々を生きる『私』でありたい。
それこそがやっと見つけた『私の答え』だ。
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