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話題の「蔦重」について
もう多くの皆さんがこの note でも話題にしている蔦重こと「蔦屋重三郎」について書いてみようと思います。
今年のNHKの大河ドラマの主人公で、演じるのが横浜流星さんということもあり人気が出そうですね。
正直あまり知りませんでした…
わりと日本史好きで、高校の進路選択の際にも史学科への進学と「日本史」の先生への道も考えていたほどですが、蔦屋重三郎についてはほとんど知りませんでした。
彼が刊行した戯作者 山東京伝の洒落本が「風紀を乱す」として摘発され、山東京伝は両手首に鎖をはめられ自宅で謹慎させられた、ということだけが非常にインパクトがあり記憶として残っていた程度です。
BS11で特集
昨夜、仕事をしながらTVをザッピングしていたら、BS11で蔦屋重三郎の生涯について紹介していました。
「偉人・敗北からの教訓」という番組で、「蔦屋重三郎・寛政の改革に抗ったメディア王」という題でした。
この番組は好きで、YouTubeでよく見ていますが、はじめてBS11で見ました。
歌麿や写楽といった世界でも有名な浮世絵師を育てたメディア王の蔦屋重三郎の敗北から教訓を探るという番組でした。
この番組で、彼が吉原で生まれ、わずか23歳で小さな貸本屋を開業し、その後、大ヒットを連発してし、創業後わずか10年で出版界のリーダーとなり、48で最期を迎えたことを知りました。
墓碑に感銘
この番組で最も心に残ったのは、彼の墓碑に刻まれた、蔦重の人柄について蔦重と同じ時代を生きた国学者が書いた言葉でした。
「為人志気英邁 不修細節 接人以信」
現代語訳すると、「その人となりは、志・人格は高く、才知に優れ、小さな事を気にもかけず、人には信頼をもって接した」です。
彼は単なる出版人ではなく、美人画の喜多川歌麿や、役者絵の東洲斎写楽、また滝沢馬琴などといった新しい才能を見抜き、次から次へと世に送り出し、文化を大衆化することに成功した先駆者でした。
彼がいなければ、歌麿や写楽は「幻の絵師」として歴史に埋もれていたかもしれないし、江戸の文化が花咲くこともなかったかもしれません。
慧眼と勇気
彼のすごさは、単に慧眼があり、優れた人材を発掘する能力があっただけではなく、絵師や戯作者たちの若い才能を信じ、育て、世の中に広めるアイデアも力も持ち合わせていたことです。
つまり、彼自身も絵師や戯作者と同じ文化の創造者であったのです。
また、当時、幕府は風紀の乱れを防ぐために、出版物などに対して非常に厳しい規制を敷いていて、幕府の検閲対象となり、発禁処分を受けることすらありましたが、彼はそれに屈することなく、人々が求めるものを作り続けました。
彼の勇気ある「型破りな挑戦」があったからこそ、新たな才能の開花を可能にして、江戸文化の発展に寄与できたのです。
安定を求めず、未来を創る覚悟
現代の日本では、安定を求めるあまり「リスクを取る」心意気があまりに失われつつあるように感じます。
とくに、マレーシアのような多文化が共生していて、若い人たちが多い社会に住んでいると、対比からより強くそう感じられるのかもしれません。
蔦屋重三郎のような人が今の時代の日本にいたならば、きっと、しがらみや過去の成功などに囚われず、新しい才能を信じ、支援し、大胆に世の中を動かす存在になっていただろうと想像します。
蔦屋重三郎の生き方は、私たちに「リスクを避けることは、可能性を捨てることと同じだ」、そう教えてくれているように思えます。