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ナチュラルボーン『狂人失格』、失楽園のその先へ

 中村うさぎさん著『狂人失格』を読んだ。

 この本を手に取ったきっかけは後輩の勧めで、中村うさぎさんの本を読むのは今回が初めてだ。
 久しぶりに会う後輩に「痩せましたか?」と聞かれ、待ってましたと言わんばかりに私がこれまでの人生で一番嫌悪している奴の話をした。私が質量を失ったのは、言語や論理道理・人の心が通じぬソレと根気強く関わってしまったことが原因にあると確信していた。だが「悪気がないのであれば、根気強く話せばわかる」と思い込んでいた前の私も「内容や話し方関係なく、理解できない人間がいる」と失望した少し前の私も、私自身の無知と愚かさと、紛うことなき傲慢が生み出したものであると強く感じていた。奴は無知で白痴だが、それは悪や罪ではない。私も他者にとっては無知で白痴で話の通じない人間かも知れないし、ペラペラの「正義」「被害者」の名の下に奴を裁く権利などない。ただ、奴は私を理解できないし、私も奴を理解できない。間にあるのは、分かり合えない孤独と深い哀しみである。考えた末に残されたのは、関わった私が悪かったのだろうという後悔と自責であった。

 後輩は、時折リアクションをとっては、私の話を聞いてくれた。「そんな大変なことがあっていたのですね。」「よく生きる選択をしてくれましたね。」「住職より住職のそれです。禅の考え方ですね。」彼女の言葉は私が欲していたもので(おそらくは無意識に。しんどいな。)私の心を楽にしてくれた。

 私が死なないでのうのうと生きてこられたのは、それこそある程度鈍かったからであろう。死を選ぶほど賢くはなかったのだ。"頭が良い人ほど死に向かっていくのではないか" "無知で深く考えられない人間の方が罪悪感や自責・怒り・悲しみが持続せず、ハッピーな時間が長い"などという話をひとしきりした後、その"無知な方が幸せ"という話を聖書の失楽園の話に例えて語り(知恵を得て恥を覚える、楽園を失う)「幸せな時間が増えるとしても、私は知恵を失いたいと思わない」という話をすると、すかさず言われた。

「かにさん『狂人失格』っていう本、知っていますか?」

まさにそのようなことを書いた書籍があったみたいで「ナチュラルボーン『狂人失格』」と言ってもらえた。(いや、もちろん知恵を失うだのなんだの言うほど頭が良いわけではない。)

 中村うさぎさんもとんでもない“楽園側の人間“と関わった結果、失楽園の話に準えたのだと聞いて、なんだか自分の言葉を肯定されたような褒められたような気がして『狂人失格』を手に取った。

*****

 読みはじめは、あまり読んだことのない文体だなと思った。が、飾らないありのままの言葉で読みやすい。出だしから面白い。エッセイでわくわくという感覚はあまり感じたことがないが、これはわくわく。どんどん読みたくなる。「ここまでで止めよう」と思っても、そこまで読むと続きが気になる。
 「狂気」の象徴として登場する優花ひらり氏。中村うさぎさんの視点で語られる彼女は、次はいったい何をするんだ!?と思わせてくれる。理解できない者への好奇心から、ページを捲る手が止まらない。"好奇心は猫をも殺す"というが、ひらり氏の中に「自分」を見出し、「自分」を知りたい掘り下げたいと好奇心に突き動かされ、結果、殺された中村うさぎさん。本の中では他者の姿に自分自身の醜さを見出し、自己によって殺されたように描かれているが、私は事件のきっかけは、この好奇心にあると読み取り、自己の過度な好奇心と探究心に殺されたように解釈している。"好奇心はうさぎをも殺す"のだと。中村うさぎさんだけではなく、私も殺された者である。人を知り「人間」を知りたい自分の好奇心に殺され、悲しき「自分殺し」をしていた。

 また、勢いが凄まじい。書き綴るうさぎさんの文章にパワーと生を感じる。もしかしたら、これ以前の著書はもっとパワーがあったのだろうか。「私は人間だ!!お前も人間だ!!みんな醜い人間なんだ!!」と全身全霊で「人間」を表現している。ワーーーと他者批判をしてるかと思いきや、それは自分の嫌なところを投影してるだけです全部私でしたワーーーーといった具合に自己批判、もしくは万人が持つ大罪を暴く。紙の上で他害と自傷を繰り返し、挙げ句の果て祭壇すら薙ぎ倒す勢い。

 だが、暴れ回る姿は、エデンの園で能天気に過ごす者ではなく、明らかに楽園を追われた者のそれだった。それだけで充分だ。関わった人間も状況も同じではない。(変に共感を示すのも失礼になる気がする。) しかし、私が過去たしかに感じたものがこの本の中にはっきりと言語化されていた。

そうだ、優花ひらりは言葉の届かない人間だったのだ ( 中村うさぎ著『狂人失格』p.100 第三章 醜い双生児 より)
私はだんだん、疲れてきた。聞き分けのない幼児を相手にしているような、苛立ちと徒労感。何を言っても、無駄なのだ。優花ひらりは、私の言葉なんか聞いてない。自分の言いたいことだけを、ひたすら、がなりたてるだけだ。( 中村うさぎ著『狂人失格』p.102 第三章 醜い双生児 より)

わかる。楽園側の者に落胆し、軽蔑し、絶望する。抗いようもない殺意すら感じる。わかる…と言ってはいけないのかも知れないが、わかる。それすらも楽園側の人間は意に介さない。わかる。

彼女のことを考えただけでも、どす黒い怒りと憎しみが罵詈雑言となって、頭の中にワンワン響き渡るのだ。やはり、彼女には会いたくない。もう、自分探しはやめた。私は彼女から永遠に退き、二度とあのテの人間に近寄らないように細心の注意を払いながら、この先の人生を平穏に生きよう。( 中村うさぎ著『狂人失格』第四章 胡蝶の夢 p.118より)

ここからは自分の話だ。

離れることをこちらが決めても平気な顔をして顔を出してくる点も、奴を想起せずにはいられなかった。なんかもう、自分が凡庸で、逸脱していない常識人あることを思い知らされる。

「どのツラ提げて」

生きててこんな台詞吐くとは思わないだろ。よくもまぁ好き勝手人のテリトリーを土足で踏み荒らしておいて、平気な顔して生きていられるな。でも、そんな批判をぶつけられても、何かと自分の都合の良いように解釈する点も、似ている。きっと奴がこの感想文を読んでも自分のことだと思わずに、別の誰かのことだと思うんだろうな。知恵の実を食べてしまった人間は、エデンの園で生きる者を遠巻きに眺めることはできても関わってはいけないのだ。そしてまた、それこそが楽園側の人間を見下す考え方で、大罪、傲慢である。傲慢に傲慢を重ねなければ、やりきれなかった。この気持ちが、エデンで暮らす奴にわかってたまるかよ。

ここまで自分の話だった。

中村うさぎさんは少しその先に行っている。

失楽園に気づいた、その先に。

楽園を追われたイヴにメデューサを見出し(目からうろこ。このお話、すごく面白かった。)、他者の目を見出し、そこに自分を見出している。自分の醜さを直視することを厭わない。石になってもなお、自分自身を鏡によって見つめる、無敵のメデューサ。正直、側からみるとはちゃめちゃに強いと思う。

衝撃だ。面白かったから人に勧めたい本なのだけれど、誰に勧めたいかといえば他者は浮かばず……

…自分自身だ。

ありがとうございます。失楽園のその先をゆく著者中村うさぎさんと勧めてくれた後輩へ。

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