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「いじめられる側にも原因がある」ことは正当化しない。でも克服すれば生きやすくなる

「いじめられる側にも原因がある」

これを主張すると袋叩きに遭います。

まぁそりゃそうですよね
原因があるからといっていじめることを正当化していいという訳ではないですから。

この主張はいじめられる側の神経を逆なでするものなんですよね。それくらいいじめっていうのはキツイものだということです。

例えば犯罪の被害者になったとして、被害者に対して「お前も悪い」ということって本当に無神経だと思うんですよ。

それと同じだといえば表で主張出来ることではないということがよく分かります。

これは多分、想像力なんですよね。
自分の目線でそう思っていても、相手はそう思わないかもしれない。

そういう単純なことを話す前に考えられるかが大事になってきます。政治家とか有名人の失言っていうのも然りで、なんでこの人はこんなことを言っちゃうんだろうって聞いている側は思うんです。でもその視点が無い。

凄くシンプルなんですけど、じゃあ自分がいつでもそれが出来ているかと言うとそうでもない。だから難しいんですよ。SNSなんて本当はしたくないと思っているのはどこで自分がやっちゃうか分からないからなんです。

まぁ発信する立場になったからやっているっていうだけなんですけどね。

話を戻すと、いじめられる側に原因があるっていうのは確かに逆の立場で見た時に心象を害することではあると思うんです。

ただ。
凄く重要なことがありまして。

これは中学校の頃の自分に言いたいんですよね。

仮にいじめられなくなったとしてもその「原因」がある限り、人は普通に接してくれるかもしれないけど、その「原因」をポジティブに受け入れてくれるわけではないということです。

「原因」っていうのは色々とあると思うんですけど、それを含めて全員がポジティブに接するかといえばそうじゃない。

単にいじめられないだけであって、引っかかるのは同じなんです。

例えば私は声が小さくて、モソモソ喋るタイプだったこと、緊張しやすかったこと、あとは指摘されるとムキになるという点が当時の「原因」だったんですね。

気づかないだけで他にもいろいろとあったと思います。
(無いといいんですけどね)

だから、客観的に見た時にそれは直すべきだという点はいじめの有無は関係なく、それはそれで向き合わないといけない。

だってそうしないと人間関係が作れないんですよ。

いじめは絶対ダメ。
そしてその「原因」にあたる部分が本人の努力ではどうにもならないものだとしたら、それは最悪なことです。

だけど、自分がこれから周りとプラスの関係を築いていくためには周りが引っかかるようなポイントは克服するために努力はしないといけない。

そういうことだと思うんですね。

当時の自分は「ありのままの自分を受け入れてほしい」と思っていましたけど、軽くからかわれてすぐムキになるような奴はやっぱり周りは嫌ですよ。

そういうことに気づいて、向き合って、自分を変えて、割と今はフラットに接してもらえている。

結局、いじめの有無じゃないと思っています。特徴として消化できない部分があればそこは改善した方が生きやすいという単純な話なんです。

勿論、特徴として消化できない点が譲れない部分なのであればそれでもいいと思います。ただ、誤解は生じるし、マイナスに捉える人が居るということは覚悟した方がいいよ、っていうのは過去の自分に言いたいです。

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西尾克洋/相撲ライターの相撲関係ないnote
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