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実家を出るとショボいと思ってた地元の町中華の良さに気づくという話

アクセスは良いが何もない登戸の食事情


私は生まれが鹿児島だが、2歳の頃から長きに亘って川崎の登戸という町で育った。

新宿に電車で16分。
閑静な住宅街だがいかんせん何もないところで、生活に必要な最低限以外は何も買えないし、友人に誇れるような場所は学生の頃まで何も無かった。

そんな話を先日書いたばかりだが、そんな評価を受けて自虐的なことを言い続けると割と愛着が湧いてくるというところまでは話したと思う。

しかしここに至るまで不便さとダサさについてはなかなか思うところはあったし、用地買収が進まぬ再開発については自治体もさることながら自分のことしか考えない地主に対しても苛立ちを覚えていたことは事実だ。

この絶好の立地にあってランドマークなのは川沿いのラブホテル「イエスタデー」なのである。夜になると蒼く周囲を照らし、小田急線ユーザーの誰もが何だあれはと覚えることになる。

そして地域の中学生が比較的長いこの単語のスペルを誰も間違えないのは当然このラブホテルの影響である。

さて、今日話したいのはイエスタデーの話ではなく登戸の食事情である。

地元でよく使う町中華「らーめんはうす」

恐らくお察しの通りかと思うが、私が育った時代にはこの町には大した飲食店は無かった。

小田急線の乗降客数ランキングで確か4位はずなのだがチェーン店がとにかく軒並みスルーしていく。

最近ようやく出来たのがドトールと日高屋だからその悲惨さはある程度理解いただけると思うが、それらさえもなかった頃は基本的に家で食わざるを得ないほど選択肢が無かった。

強いて挙げるならピザ屋である「ヒッコリファーム」と町中華の「らーめんはうす」くらいで、男兄弟という性格上西尾家は「らーめんはうす」をたまに使うことになっていた。

登戸 らーめんはうす

ただ、恐らく競合が異常に少ないせいか、とにかく「らーめんはうす」は馬鹿みたいに混むのである。

注文してから出てくるまでに30分くらい掛かることもあった。違う街の中華屋にふらりと入って素早く提供してくれることに感激したものだ。(らーはうが変なのだが)

混んでいる割にそんなに大したものを出さないという認識だったので、我が家での「らーめんはうす」の評価は低かった。

あんなもののために30分も待つなら家で食べたほうがいい。中学生くらいの頃からはそんなふうに考えるようになり、私は「らーめんはうす」から次第に遠ざかっていった。

今にして思うのは、中学生くらいの頃に地元を舐める時期に差し掛かってもいたのだと思う。元木大介野球教室で地元がいかに田舎であるかを思い知らされたことも作用していたのかもしれない。

そして私は気が付いたら登戸から大学のある藤沢に通うようになっていた。

「らーめんはうす」で美味そうに食う仲間たち

大学生になった自分は自宅から近いコンビニでアルバイトをしていたのだが、この店がアルバイトとオーナーの仲が非常に良く、バイトが終わるとオーナーのライトバンに乗って食事に行くことがしばしばあった。

少し遠出が出来、更に車を走らせると街道沿いにはかなり美味しい店が点在していたこともあり、私はこのイベントが非常に好きだったのだが、アルバイトの面々がよく希望するのは何故かあの「らーめんはうす」だったのである。

他にも選択肢が色々ある中で、何故この人たちはわざわざ「らーめんはうす」を選ぶのだろう。私は大学を卒業するまでよく分からなかった。

ただ、彼らは一様に「らーめんはうす」の町中華メニューをうまいうまいと言いながら実に幸せそうに食べていたのである。

レバニラや生姜焼き定食といった定番メニューをニコニコしながら、一心不乱に食べる。

彼らをこんなに焚き付けるものは何なのだろう。
だって「らーめんはうす」だぜ!?
いやいや、言うほどでもなくないか?

‥まぁこんなに美味しそうに食べるならそれを見てるだけでこっちも楽しいからいいんですけどね。勿論水を差すようなことは言わなかったが、かなり自分の感覚とギャップがあることに戸惑っていたことは事実だ。

実家を出て気づく、親しみのある味の有り難さ

月日は流れ、私は実家を出て両国に住んでいた。

登戸の町並みが学生の頃からかなり変わったとはいえ、食事情はさほど変わってはいなかった。

たまに地元の病院で花粉症の薬や腰痛の診察をしに戻ることがあったのだが、ふと思い立ってその帰りに私は「らーめんはうす」に立ち寄った。

私は当時いつも注文していた五目焼きそばを頼んだ。

らーめんはうすといえは五目焼きそば(950円)

これが実にうまいのだ。

ハードな油を使い、ギラギラと光る餡。
口に入れると胃にズッシリと収まる。
その重厚感から何故か「ふー」と溜め息が出る。

そしてもう一口、更に一口と箸が進む。

あの頃と同じ味だ。

普通の中華屋の2人前は軽くあるデカ盛りだが、一心不乱に食べきってしまう。

大満足だ。

そもそも私は何故あんなに「らーめんはうす」を低く見ていたのだろうか?恐らく地元のカッコ悪さや中学生の頃の微妙な感覚がそうさせていたのかもしれない。

そして、学生の頃に「らーめんはうす」に行きたがっていたのは総じて地方から来ていた学生だった。恐らく彼らにとって親しい味だったのである。

地元を離れると有り難く、戻ってきたくなる味が恐らく存在するのだ。誰にとっても心の中に「らーめんはうす」に置き換わる地元の味覚があるのではないかと思う。

もし皆さんの中で今里帰りしている方が居れば、是非子供の頃によく訪れた町中華に足を運んでほしい。それは恐らく大人になった今一番美化している味覚だと思うのだ。

ちなみに今私は本八幡に住んでいるが、この町における「らーめんはうす」を引っ越した初日に発見してしまった。

しかも、徒歩2分の場所に。

こんな幸運はなかなか巡り会えないと思う。
ワンタンメンを頼み、一心不乱で食べるたびに私はいつだってそう感じるのだ。

本八幡 来々軒のワンタンメン

◆追記 らーめんはうすが有名YouTuberに紹介されていた


らーめんはうすに有名YouTuberの方が訪れていて、既に30万再生されていました。

これ、誰が食っても美味いってことなのかもしれませんね


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西尾克洋/相撲ライターの相撲関係ないnote
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