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仕事、それは肩の上に乗ってもらうこと
はじめまして。
まくしばと申します。
この度初めてnoteに登録させていただきました。
私の人生目標は社会の科学技術の発展に貢献することです。
私は昔から科学者になることが夢であり、今は幸いなことにその夢を叶えることができました。
そして実際に科学に携わるようになり、
「世の中の科学技術の発展に少しでも爪痕を残したい」
と思うようになりました。
科学の世界では次のような言葉があります。
巨人の肩の上に立つ
これは先人達が積み重ねてきた発見を基に、さらなる技術発展を積み重ねていくという意味です。
古典力学の基礎を築いた有名な科学者アイザック・ニュートンも以下のように語っています。
If I have seen further, it is by standing on shoulders of giants.
私が彼方を見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからだ。
どんなに新しい発見であっても、過去の技術を参照しない技術はないというのがこの世界の掟となっています。
新しい発見をした場合、特許を取ったり、論文として発表したりします。
場合によってはノウハウとして秘匿することもあります。
前提として、論文はお金になりません。
どれだけ優れた成果を論文にまとめても、それだけではお金を稼ぐことはできません。
企業であればお金になる技術はまず特許を取得し、権利を保護しなければなりません。
論文を書くことは二の次であり、むしろわざわざ技術情報を外部に向けて発信する必要はないという意見もあります。
生きていくためにお金を稼ぐことの重要性は十分に承知したうえで言います。
私は論文を書くことが好きです。
というよりも特許化するより論文化する方が好きです。
論文を投稿して採択されると、論文著者として名前が公表されます。
私は論文に名前が掲載されること自体にも喜びを感じます。
しかし本当に嬉しいのは、他の科学者が投稿した論文に自分の論文が参考文献として引用されることです。
自分の論文が引用されると社会の科学技術発展の礎となっているように感じます。
もちろん私が投稿した論文でも先人方の文献を引用しています。
そして私の論文を参考文献として引用した論文を、さらに引用した論文も出てくるでしょう。
このように社会が築き上げてきた科学技術、即ち巨人の肩は少しずつ高くなっていくのです。
今は見ることができない人類発展の彼方を、未来の偉人達が私達の肩に乗ることで見渡すことができるのであれば、この上なく喜ばしいことです。