ロラン・バルトの生前最後の著作『明るい部屋』におけるストゥディウムとプンクトゥムの区別
去年視聴した明治大学教養デザイン研究科の特別講義「イメージと哲学 20世紀フランス思想の映像論」講師:澤田直さん(立教大学文学部教授、サルトル研究者)は各回30分前後、全4回のイメージ論の系譜を辿る特別講義で、読みたい本がたくさん増えた講義だった。
第1回では概説およびベルクソン、第2回ではサルトル『イマジネール』(1940)で展開されたイメージ論とメルロ=ポンティの知覚の構造に関する研究やセザンヌ論、第3回ではバタイユ『ラスコー、または芸術の誕生』『マネ論』(いずれも1955)や、マネつながりでフーコーのマネ論やマグリットについての論考の紹介、第4回ではロラン・バルトの写真論(初期の『映像の修辞学』と最晩年の『明るい部屋』)が取り扱われた。
個人的には一番最後のバルト『明るい部屋』におけるストゥディウムとプンクトゥムの区別が面白かったので、そのことを中心に覚書を残しておきたい。
最晩年の著作『明るい部屋』について:
・カメラという言葉の語源は、ラテン語の「カメラ・オブスクラ(暗い部屋)」だが、この本でバルトはその反対の「カメラ・ルシダ(明るい部屋)」をタイトルにしている。
・バルトの生前最後の著作。写真についての著作ではあるけれども、写真とは一体何かというようなことについて理論的に考察を行った本ではなくて、むしろ物語のように語られる(バルトは最愛のお母さんを亡くした後の悲しみのなかで、母親の写真を探すなかで写真との関係を語っていく)。二部構成でそれぞれ24節、全48節からなる。
・写真の本質とは何か、いかなる本質的な特徴によって写真は他のイメージ(映像や画像)から区別され得るのかという自らの問いかけに対して、きわめて主観的な仕方で答えている。そこでは最近の母の死が大きく影を落としている。
・その内容の主張の核心は、写真は過去の存在を、その存在の意味を媒介することなしに直接われわれに経験させる、現前させる、というものである。つまり写真は「存在」を与えるのであり、「意味」を与えるのではない。写真が与える存在とは、意味の集合ではない。
・写真というメディアが確立するものとは(写真の本質とは)、写真に写っているものが「そこにかつて在った」という過去の存在そのものを喚び起こす意識であるとバルトは主張する。
・写実主義(リアリズム)の芸術が文学や絵画の領域で「本当らしさ」すなわちアナロジーを本分とするのに対して、写真は「絶対的なリアリズム」すなわちホモロジーを本分とする。バルトによれば、写真は指向対象に「似ている」のではなく、ある意味では完全に同じものなのだ。というのも、写真は被写体の完全なうつしでありながら、それの不在のまぎれもない証明となるからだ。
・バルトはここで、ストゥディウム(studium)とプンクトゥム(punctum)という区別をする。ストゥディウムは写真に対する一般的、文化的な関心、あるいは科学的な関心を意味し、文化的にコード化された写真の受容を意味する。プンクトゥムは一般的な概念の体系を揺さぶり、それを破壊しにやってくるもので、コード化不可能な細部を発見してしまうような経験である。
・ストゥディウムはコード化されており、好き嫌いの次元に属するけれども、プンクトゥムはコード化されず、愛の次元に属する。プンクトゥムはいわば「刺し傷、小さな穴、斑点、裂け目」のようなものであり、見る者を「冒険」あるいは「不意の到来」へと誘う。写真にはこのストゥディウムとプンクトゥムという2つの要素があって、それが見る者との関係で重要だというのがバルトの写真論で言われていること。
写真のある部分がプンクトゥムとして私に語り掛けてくるということは、私の内面を打ち明けることなんだ。
・プンクトゥムの例:1)バルトいわく、この地面のザラザラしたこの感覚こそが自分にとってのプンクトゥム。2)小さい方の人物の妙に大きい襟の部分がバルトにとってのプンクトゥム。⇨つまり通常の意味ではなくてわれわれがイメージのどこに惹かれるのかっていうことについてバルトは思索を巡らせている。
参考資料①:辺見庸『私とマリオ・ジャコメッリ』
参考資料②:ローラン・ビネ『言語の七番目の機能』。1980年にロラン・バルトがパリのカルチェ・ラタンで軽トラックに撥ねられ、その後、病院で死亡した事件は、ひょっとしたら殺人事件の可能性があったらしい。軽トラの運転手がブルガリア系だったことから、クリステヴァ周辺に嫌疑がもたれたりしたが、フーコーは警察の訊問を断固として拒否した。