映画『ニーナ・シモン 魂の歌』(2015)視聴メモ 〜飯山由貴監督≪In-Mates≫(2021)のラストのニーナ・シモンの歌から〜
ことし2024年は、Nina Simone「I Wish I Knew How It Would Feel to Be Free」という歌で始まった。そして年始に観たNetflix製作によるドキュメンタリー映画『ニーナ・シモン 魂の歌』What Happened, Miss Simone?(2015)の印象も大変深かったのである。
この映画『ニーナ・シモン 魂の歌』は、ニーナ・シモンという天才的な音楽家の壮絶な人生を追ったドキュメント。4歳からピアノを習い、アメリカで初めての黒人女性ピアニストとしてカーネギーホールでクラシック音楽を演奏するのが夢だったが、人種差別的な理由で音楽院への入学を却下された。家族の生計を支えるために両親に隠れてバーで弾き語りを始める。アンドリューと出会い結婚、夫は敏腕プロデューサーとして活躍。一軒家を手に入れ傍目には幸せな生活を手に入れるが、ニーナ・シモンは夫に「一生働き続けろ」と酷使され、子供と過ごす時間さえまともに取れず、激しいDVも受けていた。公民権運動に没頭し、1963年バーミングハムで黒人の少女4人が殺された黒人教会爆破事件をきっかけにMississippi Goddamという曲を歌う。悲しみが怒りに変わった。キング牧師に自分は非暴力には反対だと言ったことも。キング牧師が凶弾に倒れた3日後に行われた追悼コンサートで "Why?(The King of Love Is Dead)" (1968)を歌う。これはニーナ・シモンのバンドのベーシスト、ジーン・テイラーの作品、この曲の未編集フルバージョンは以下で聴くことができる。
公民権運動活動家として、劇作家のロレイン・ハンズベリ(アフリカ系アメリカ人劇作家で初めてニューヨーク演劇批評家サークル賞を受賞。ブロードウェイ上演戯曲『ひなたの干しぶどう』)や詩人のラングストン・ヒューズなど名だたる芸術家と交流する一方で、私生活は破綻していく。仕事のプレッシャーから双極性障害を患う。夫と離婚し、アメリカを離れ、アフリカのリベリアに移住し、(いっときの)自由を満喫。娘を呼び寄せるが、人が変わったように娘を殴った。娘はやむなくホームステイ先の家から通学し、その後、ニューヨークで父親と一緒に暮らす。ニーナ・シモンはリベリアで生計を立てる手段がなかったので、スイスに移住してツアーを再開。パリに移住するも、ホームレス同然の暮らし。友人の助けで精神科医の診断により薬を処方され、闘病しながら歌い続ける。娘は母親との関係に苦しんだ時間も多かったと思われるが、一人の音楽家として母の才能を尊敬している。60年代、マルコムX夫妻が近所に住んでいて、娘はよくマルコムの家に行って7番目の娘のように可愛がられたとのこと。
この映画を観ようと思ったきっかけは、2023年の東京都人権部の検閲によって上映中止にされた飯山由貴さんの映像作品≪In-Mates≫(2021年/26分50秒)のラストの重要な歌として、ラッパーのFUNIさんがニーナ・シモンの I Wish I Knew How It Would Feel to Be Free「自由であるってどんな感じだろう、それを知ることができたら」を歌っていたことに感銘を受けたからだ。
1920年代に労働者として渡日して精神病院に10年入れられて亡くなった2人の朝鮮人の患者AさんとBさんの病院側の記録を元に、歴史学者や研究者に取材しながら肉付けをしてFUNIさんが声の再現をラップにして歌ったあと、それに対する一つの応答、アンサーとしてのCパートの歌にニーナ・シモンの歌をFUNIさんは選んだ。その選曲の経緯や思いについては、同志社大学で開催されたシンポジウム(以下のチラシ)に登壇した時にFUNIさん自身が飯山さんとのトークの中で語っておられた。
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「精神疾患に投影された民族差別とわが国の精神医療のゆがみ」というテーマで、精神科医の黒川洋治医師(1943年生まれ~2008年没)が癌の終末期患者でありながら書かれた著作に『在日朝鮮・韓国人と日本の精神医療』(批評社、2006年)という本もある。
以下は朝鮮新報の記事「〈この人、この一冊 -6-〉 「在日朝鮮、韓国人と日本の精神医療」 黒川洋治さん」
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