ブラック校則こそ義務教育の失敗が出来上がる諸悪の根源ー思考を抑制する機能から考える

 みなさんは小中高と校則で悩んだことはあるでしょうか?大学や専門学校などの上級学校ではほとんど制限がないと同じようなもの(防衛大などを除く)ですが、未成年とされる年齢のときの学生時代は制限が多いものです。それは学校という場だけではなく社会的な制約、つまり、お小遣いなどの金銭面的制約や家庭によっては恋愛などの制約もあるかもしれません。
 これは、青少年の健全な育成のための適切な制約もあれば、よく考えれば「ん?おかしいぞ?」と思えるものあるのが現状です。私の経験で言いますと、私の中学(公立)は定期的に頭髪検査があり、眉毛より下に前髪があることが許されていませんでした。いわゆるオン眉のような状態を強制されていたわけです。少し前髪をすいたりするとまぁまぁな状態になりますが、1000円カットなどでは酷い髪型になることもありました。私はその時の頭髪検査でひっかかり、明日までに切ってこいと命令をされました。「部活もあるのに無茶言うなよ」と思いましたが、当時の私に反抗すると言うリベラル的な考えはなく、お利口に1000円カットに向かいました。翌日、担当教師のところに行きチェックを受けましたが、「まだダメだ」と。また明日までに切ってこいという同じ指示が出され、美容師の国際コンテストに出てるのかと錯覚するほどミリ単位で指示される異常な空間でした。またまたその翌日の朝、その教師のもとに向かい、チェックを受け、また不合格。計3回の1000円カット代3000と数百円ほどの代金はもちろん自腹で、お金も時間も無駄にした次第です。
 これを聞いて異常だと思いませんか?派手な髪色に染めてるわけでもなく、眉にかかってるか、かかってないかを目を見開いてチェックする。こんな無駄なことないでしょう?しかもこれ、校則には明確な記載がないのです。つまり、教師の中で取り決めたローカルルールなのです。
 これらのことは、はっきり言って人権侵害です。当然に、人間には生まれながらにして自由があります。他人に迷惑をかけない範囲、公序良俗に反しない限り、ある程度は自由なのです。それをたかが一教員が侵害していいわけがありません。
 ここで本題ですが、「ルールはルールだ」と子どもの頃から問答無用に従わせることで、「考えるな!」と押し付けてきた日本の義務教育。これが日本のノンポリ化を強化したのだと私は考えます。考えるなと思考を子どもの頃から抑圧されてきた私たちですが、社会に出た瞬間に「自分で考えろ」と真っ白い空間に放り出されます。矛盾もいいところです。
 日本のノンポリ化はおそらく、戦後盛り上がった学生運動の衰退が原因でしょう。「若い人間は政治なんか考えなくていいんだ」と、大人たちに敗北した彼らや、それを見ていた若い人たちは「これが現実だ」と痛いほど思い知らされました。「考えるな」という思考を抑圧する共通点が、今もずるずると引きづられて現在があります。もちろん、当時の学生運動で奮闘された方々で、今もパワフルに活躍されている方はたくさんいらっしゃます。私の浪人時代の恩師もその1人です。ですが、変わってしまう人もいるのです。現在、日本維新の会所属の参議院議員をされている猪瀬議員はその代表格でしょう。
 私たちは日々あふれるニュースを目にし、何を考えているのか。みなさん、何か一つニュースを見て、自分の意見を何かしら持っているでしょうか?ワイドショーなどで解説する担当キャスターやお偉いさんの意見をただ鵜呑みにしていることはありませんか?もちろん、全く知識のない分野ならそれでも仕方ないかもしれませんが、常識的に考えることができる範囲の事案については、私たち一人一人が考え、向き合い、取り組まなければなりません。時には声を上げることも必要かもしれません。
 どうか、考えることを大切にしてください。無知や無関心は本当に良くないことだと思います。あなたの考えで世の中は変えることができます。諦めないで、変えていきましょう。

読んでくださり、ありがとうございます。
菅野真琴

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