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入口
「すいません。ウチ、ブレンドやってないんですよ」
若いバリスタはそう言った。
あー、しまった。そういう系の店か。私はその店に入ったことを少しばかり後悔した。
そう。私は初めて入った店では必ずブレンドコーヒーを注文する男なのだ。
ブレンドにはそのお店のこだわりが詰まっている。バランスが取れた味わいの中にも店主の届けたい特徴が隠れていて、この店は香りをうまく出してるなとか、この店主はひたすら苦味を押し付けてくるなとか、自分とその店の相性を図るには最適なのだ。
なのに、この店にはブレンドコーヒーがない。それどころか件のバリスタは「でもこのグアテマラはリージョナルセレクトって言って異なる生産者のいろんな品種が混ざってるからほとんどブレンドみたいなもんですよ」などとのたまっている。
まあ昨今のサードウェーブとかいうブームが来てからは珍しいことではない。やれ素材の個性だとか、豆本来の味わいだとか言って、こちらの要望に応えようともしない。私はコーヒー生産者に会いに来てるんじゃない。この店が作り上げたこだわりを感じたいのだ。むしろそれが私のこだわり、みたいな。
ただ私はそのこだわりを誰かに話したことはない。
こんな場面に遭遇すると、だいたいおどおどしながら「あ、じゃあそれを」とか言って結局飲みたくもないグアテマラとやらを注文する羽目になるのだ。
私はカウンターの一番奥の席に座ってグアテマラが来るのを待つ。
店内を見渡すとレトロな喫茶店を改装した形跡がいくつも見られた。古めかしいブラケット、床の赤い絨毯。そういえば入口の扉を開けたときもカランコロンと懐かしい音を響かせていた。
こんな店にブレンドが無いなんて言う方がおかしいのだ。だったら入口に「ブレンドコーヒーはございません」とでも書いておくべきだろう。
レトロブームだか何だか知らないが、昭和の表面だけをこそぎとったような店が多すぎる。インスタントカメラでゼンマイ巻いてパチリと写真撮って「映えるー」じゃないんだよホント。
実際に昭和を駆け抜けてきた者からすれば振り返りたくない過去でしかないのだ、昭和などという時代は。
そうこうしてる間にバリスタはグアテマラをドリップしてトレーの上に徳利のような感じでコニカルビーカーに入れたコーヒーを、少し小ぶりなカップに半分ほど注いで私の前にサーブした。
「グアテマラ・ウエウエテナンゴです。二杯に分けていますので温度変化を楽しみながらごゆっくり召し上がってください」
トレーの上のコーヒーには小さな紙が添えられていて、どうやら生産者のデータらしきものが書かれていた。
だからそういうことには興味ないのよ。そう思いながらコーヒーを一口すする。
少しぬるめに抽出されたその浅煎りのコーヒーは、飲み口がとても柔らかく、バランスが取れた味わいで私は思わず「おいしい」と呟いてしまった。
バリスタは少し口元を緩めて「ありがとうございます」と言った。そして「いつもブレンドを注文されるのですか?」と続けた。
しまった。話しかけられてしまったぞ。
「ええ。初めてくるお店では必ず」と私は答える。普段、あまり店の人間と話したりはしないのだが、彼があまりにも自然に語りかけてくるので私もつい「そういう人けっこういるでしょう?」と尋ねてしまった。
「そうですね。割と多いかもしれないですね。だからそのたびに謝ってますけど」とバリスタは笑った。
「いや、でもこのグアテマラを出されたら文句なんて出ないですよ。正直私は浅煎りのコーヒーはあんまり得意じゃないんだけど、このコーヒーはなんていうかこう……」
私が適切な言葉を探せず、もごもごしていると「ウチのコーヒーの特徴は甘みがあることだと思います」と補足してくれた。
そう。このコーヒーには甘みがある。自分でも言った通り浅煎りは酸味が強くて苦手だったのだが、このグアテマラにはそれを感じない。それどころか甘いのだ。そこに非常に柔らかく、あまり主張しない程度に顔を出す酸味がアクセントとなり、より甘さを引き立てている。
「ウチの焙煎士がお客様に知っていただきたい、味わっていただきたいと思っているのがコーヒーの果実が持つ甘さなんです」とバリスタは言った。
「甘さですか? 酸味ではなく」
「はい。もちろんコーヒーにとって酸は大事な要素ですが強調しすぎると酸っぱくなってしまいます。イチゴや柑橘の果物でもそうですが、しっかりとした甘さがあるからこそ、酸味が爽やかに、好ましく感じるんだと思います。なので我々バリスタも焙煎士がお届けしたい甘みを最大限引き出せるように抽出するんです」
「なるほど」
「とくにこのグアテマラは飲み口も柔らかいですし、我々が出したい甘みもキャラメルのような心地よさで感じられるので、はじめてスペシャルティコーヒーを飲む方にも抵抗なく召し上がれる入り口的な役割のコーヒーなんですよ」
キャラメルか。なるほど。よくこういうコーヒー屋でオレンジのようなとかチョコレートのようなとか言っていても今ひとつピンとこなかったが、これはたしかに言われてみるとキャラメルのような甘さを感じる、ような気がする。
「ただ」とバリスタは言った。
「さっきついクセでキャラメルとか言ってしまったんですけど本当はフレーバーとかはどうでもいいんです。口当たりだとか長く続く甘い余韻とか、そういうもっと官能的な部分でお客様の琴線に触れるようなコーヒーを作りたいと思ってます」
「へー。若いのにしっかりしたもんだ」
私が感嘆の声を上げるとバリスタは「いやあ実は僕が初めてこの店のコーヒーを飲んだときに知ったかぶりでイチゴのフレーバーがとか言ったときにウチの焙煎士に言われたことの受け売りなんですけどね」と言って笑った。
私はコニカルビーカーに残っていたコーヒーをカップに注ぎ、すっかり冷めてしまった二杯目のコーヒーを口に運んだ。
「味、変わりましたか?」とバリスタが言う。その確信犯的な微笑みが少し癪に障る。悔しいぐらいにその冷め切ったコーヒーはうまかったのだ。
「どういうこと?」
私は半ば助けを求めるような面持ちで彼に問うた。ここまで来ると、何か掌の上で踊らされているような気分だった。
「こうして適正に焙煎されたコーヒーは冷めてもおいしいんです。というより冷めてからがおいしいんです。そうした温度変化による味の違いを楽しんでいただきたいので、当店では敢えて冷めやすいガラスの容器に入れて提供しています」
やられた。こんな体験はしたことがない。そういえばコーヒーを出すときに温度変化がどうとか言ってたな。
たいてい冷めたコーヒーは苦味やら渋みやらで不味くなって、最後はほとんど無理やり飲み干して、さらに水を流し込んで口の中を洗い流して席を立つのだ。なんならそれがちょうどいいぐらいに思っていた。通過儀礼のようなものだと。
それがこのグアテマラはどうだ。はじめに感じたキャラメルの優しい甘みからさらに変わって、甘い果物の果汁のような爽やかで濃厚な甘みになっているし、温度が下がって口に含める量も多くなっているからか、より口いっぱいに甘さを感じるではないか。
「これもウチの焙煎士が言っていることなんですが」とバリスタは言った。「冷めきったときにこそコーヒーの本当の甘さが味わえる。どんどんおいしくなっていって、最後の一口が一番おいしく感じるコーヒーが理想なんだだと」
なんなんだその焙煎士とやらは。こちらの心の内を見透かされているみたいじゃないか。現に私は最後の一口を飲み干して、もう一口欲しいなあとか考えていたのだ。
「そんなに言われたら会ってみたくなりましたよ。その焙煎士さんに」と私は言って席を立つ。
「あいにく今日はお休みですが、平日は普通にカウンターでコーヒーを淹れてますよ」
バリスタはそう言って私が飲み終えたコーヒーカップを引き取りながら「ありがとうございます。またお待ちしてます」と私を見送った。
また来るに決まっている。私は緩む口元を抑えつつカランコロンと気持ちのいい音を鳴らして扉を開けた。
店外の冷たい空気を鼻から吸い込む。するとまだ鼻と口の奥に残っていたのか、キャラメルの甘い余韻が心地よく体中に広がって、今度こそ私は口元が緩むのをこらえることができなかった。
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