"気分"とは何なのだろうか?〜明確に意識される部分に核心はないのかもしれない〜
「気分とは何なのだろう」
私たちは日常生活の中で「気分がいい」とか「気分が悪い」と言うけれど、自分で感じ取ることのできる、この気分というものは、なぜ「気分」と言い表されるのだろうか。
「気を分つ」と書いて「気分」と読むわけなので、「気」と「分」のそれぞれについて考えてみる。
「気」の語源を調べてみると、古代中国の哲学や自然観に由来する概念で、特に道教や儒教などの思想体系で重要視されているもの。万物を構成し、生命や力の根源となるエネルギー」と考えられていたものが気である、と。
次に「分」については、「全体の中の一部」を表す他、物事の状態や程度、性質を表すこともある。
とすると、「気分」とは、「統合的な」気の一部が分たれ、表面化した状態と言えるのかもしれません。
普段は様々な色(状態・特性)がグラデーションのように混ざり合い、渾然一体となっている「気」が、何かのきっかけや状況によって特定の色が濃くなり、その部分が明確に認識されるようになる。
気分がいいと感じるのでも、悪いと感じるのでもない。
明確に認識される状態が「部分」であるならば、むしろ、明確に意識されていない時こそ「気」の核心なのかもしれません。