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身体と楽器の一体感〜何も妨げない媒体としての身体〜

外側を固めすぎないようにする。

最近ヨガに取り組む中で心掛けているのは、表層筋(Outer Muscle)を固めすぎないようにすること。

表層筋を適度にリラックスさせると深層筋(Inner Muscle)の微細な変化を感じることができる。

深層筋の働きを感じると、表層筋にそれほど力を必要としなくとも、力強く全身が伸びやかに動いてゆく。

特に、「呼吸」が深まるように感じている。

昨日、久しぶりに楽器(Saxophone)を練習したのだけれど、ヨガにおける身体の使い方を重ねてみると、今までどことなく感じていた音の窮屈さが解けただけでなく、「自分」と「楽器」という分離しているような感覚が薄れ、「楽器も自分の身体であるような感覚」が芽生えてきた。

音は振動、振動を作り出すのは呼気(と吸気)。

身体や口を固めすぎては振動は楽器に伝わらない。

自分の身体を「何も妨げない媒体」へと変えてゆく。

素直に自然と、呼吸が音へ、振動へ。

「固めすぎないこと」「自他未分」への入口。

そのように思った一日。

才不才を超えた世界、人間が平等にさされる世界(不平等のままで平等にされる世界)、賢愚を越えた境地(愚かが愚かのままで活かされる状態)、選択の二相を去った境地(撰ばないままで正しく撰ばれる時代)、そういう世界や時代の実現をこそ仰望すべきであって、天才でなければいけないとか、愚者では救われないとか、そういう窮屈な考え方に人間を縛るべきではあるまい。それで吾々は民芸美から色々の真理を教わるが、この真理には奥深い性質があって、その謎は中々解き難いが、分ってみれば明々歴々たる真理に他ならないのかも知れない。そうしてこういう真理を宗教の側から最も深く省みたのは仏教であるから仏教の理念を通してこれ等の秘義妙理を更に解くことに努めたい。

柳宗悦『仏教美学の提唱』
書肆心水オフィシャルサイトより

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