ヨガに取り組み始めてから、かれこれ10年以上が経ちます。
実感している大きな変化の一つは「視覚に頼りすぎない」ことです。
スタジオには全身が映る鏡があり、同じ時間と空間を共有する方々が自分の姿が半身でも映るように、重なり合わないように配慮しながら立ち位置を決めていきます。
全身が映る場所でポーズを取ることもあれば、全身は映らない場所でポーズを取ることもあります。
鏡に映る姿に集中すると、つまり視覚に頼りすぎると、全身の隅々に意識を向けることが難しくなります。どこか過剰に緊張してしまうんですね。
そこで、瞼の力を緩めていき、鏡に焦点を合わせすぎないように、ぼんやりと姿を捉える。樹木が大地に根を張り巡らせていくように、身体に意識の根を張り巡らせていくように。
すると、次第に自分の内側を「観る」ような感覚が芽生えてきます。
この内側を「観る」という感覚は表現が難しいのですが、「内側から自分に触れている」ような感覚に近い気もします。
集中と緊張。分散と弛緩。
見ると観えなくなり、観ると見えなくなる、というような二項対立的な構造ではなく、「見ると観る」は両立することができる。
そして、その先には統合的な「察る」がある。
見る、観る、察る。感じる。