個人で解決、仕組みで解決。脆さと反脆さのバランスはどこに。
今日は『反脆弱性』(著:ナシーム・ニコラス・タレブ)から「なぜ集団は個を嫌うのか」を読みました。
部分と全体。システムの脆さ・反脆さを捉える上で、システムに存在する「階層構造」に注目するとよいのでした。著者が例示したレストランや新興企業では、個々が脆いからこそ、業界全体が反脆くなる。評価されないものが退出し、代わって新規参入が促されることで、質が保たれるのです。
個人は反脆くなろうとするが、これは集団(経済)の利益とは一致しない。「反脆くなろうとする」とは「自己成長」と言い換えることができると思いますが、自ら主体的に物事を進めることが充実感を得る基盤であるならば、個人が「反脆くなろうとする」ことは自然なように思います。
「全体は部分へと害を押しつけようとする」とは、つまりシステムとしての仕組みに問題があり、恒常的に問題が発生してしまう、あるいは特定の個人に負荷がかかってしまう。そのような状況ではないでしょうか。
たとえば、職場で退職者が現れ、業務の引き継ぎにおいてシステムの問題が浮き彫りになることはしばしばある話だと思います。システムが反脆くなるとは、特定の要素(たとえば個人)が抜ける衝撃により、それを補うために新しい仕組みを作るなど、システム全体がより動きやすくなるように自らを変えることだと思います。まさに「自己修復」です。
「大きすぎてつぶせない(Too big too fail)」問題。これを乗り越えるためには「オートファジー(自食作用)」とでもいうか、内側から脱皮するのか、あるいは「他の新しい受け皿が現れる」かのいずれかのように思います。
デジタル化の波により、業界の外からの参入が加速する時代になりましたが、脆いシステムを反脆くする契機と捉えることができるかもしれません。
また、「唯一の解決策は、誰かが破綻してもほかの人々が巻き添えを食わないシステムを構築すること」と著者は述べています。自然、経済、社会など私たちを取り巻く環境は多面的に複雑につながっています。そのような中で「破綻してもほかの人々が巻き添えを食わない」ようにするにはどうすればよいのでしょうか。
それは、「自己責任」を強調することなのでしょうか。反脆さという視点で「自助・共助・公助」をどのように調和させてゆくのか。考える問いがまた一つ。